シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

森田宏

シャンソンを演じるー森田宏トリビュートライブ

かつて、フランスの歌手イヴ・モンタン(Yves Montand)は、リサイタルのセットリスト1曲ごとに振付を考え、長期間の公演であっても、それを一糸乱れず連日こなしたという。
それを日本で受け継いだのが、森田宏さんという歌手であった。

森田宏さんは東京生まれ。俳優座に在籍する傍ら、シャンソンに目覚め、シャンソンのカルチャースクール「エコール・ド・シャンソン」で学ぶ。そこの講師だった歌手の深緑夏代の門下になり、「銀巴里」や「蛙たち」などに出演する。
映画「シャンソン・ド・パリ」(モンタンのモスクワ公演の記録映画)を観たことで、ステージアクトに目覚め、パントマイムを太田順造に学び、ステージに取り入れていく。その際に使う小道具は手作り、自身の演技プランや伴奏、照明音響等の指示などを、その都度手書きで作成していたという。
2017年、没。

森田さんに関する資料はとても少ないが、YouTubeに数曲のステージ映像がアップされている。それを見ると、曲に合わせた計算し尽くされた細かな振付、端正な身のこなしと歌声が目を引き付ける。

彼について詳しく知りたいと思っていたところ、5月22日に銀座「蛙たち」で「森田宏トリビュートライブ」という催事が開かれ、私は配信を通じて視聴することができた。

ライブの一部は森田さんの生前のフィルムコンサート、二部は御息女、森田まどさんのステージである。
フィルムコンサートでは、50~80代の森田さんのステージ映像が流された。暗転した店内のスクリーンに映し出される映像を配信で画面越しに見ると、まるで店のなかに森田さんが立っているように錯覚してしまうのが不思議であった。
印象に残った曲は「ユカパタのインディアン」で、アメリカの白人たちに虐げられたインディアンの恨みを歌い、摩天楼に向かって矢を放つ振りつけには緊迫感が漲っていた。
また、ピエロの仮面を手にして歌う「大根役者」(Charles Aznavour「Le cabotin」)「老いぼれ役者」(Maurice Chevalier「原曲名が分からないです」)も印象的だ。ともに役者をテーマにした曲だが、
「きらめく衣装の下に 仮面の人生裏表」
「老いぼれ役者よ お前の浴びた拍手もブラボーも どこへ行った」
というフレーズを仮面に語りかけるように歌うのが見事であった。仮面は「虚像」や「若い頃の自分の顔」であり、森田さんの素顔が「内面」であるということを暗示していたからだ。
また、森田さんは声色を変えて若者や高齢者になりきろうとはせず、身振りやパントマイムでそれを表現する。私は、彼の整然なステージアクトのなかに、激しい身悶えを感じた。悲愴を表現するには、沈黙が何よりも勝るのだ。

二部は、森田まどさんによる「昔の歌」(Line Renaud「Ce refrain d'autrefois」)から始まった。森田まどさんは高野圭吾の訳詞で歌われたが、思えば森田宏さんと高野は深緑門下の同期である。
MCで、森田まどさんは小学生のときに「父親の絵を描く」という課題で、ステージで歌う森田宏さんを描いたところ、学校には父親は会社員と申告していたので、描き直しさせられたと仰っていた。
森田まどさんは、森田宏さんのレパートリーだった「魔術師」(原曲が分かりませんでした)、「悪魔のジャヴァ」(Charles Trenet「La Java du diable」)を、遺品の小道具を使って披露された。手作りのシルクハットとステッキを身につけて、「怪人二十面相」のような出で立ちで歌い踊るお姿から、私は森田まどさんが森田宏さんを憧れの眼差しで見ていらっしゃったのではないかと思った。
ところで、森田まどさんもまた文学座の俳優を経て、シャンソンを歌われているとのことだった。それがよく伝わったのが、「真夜中の居酒屋」(Damia「Chansons des guinguettes」)で、19世紀末のパリの下町の飲み屋街の雰囲気と娼婦を演じるお姿が、ロートレックの絵から抜け出てきたようで、魅惑的であった。

ライブの最後に、森田さんは「これからもシャンソンを演じていきます」と仰った。
森田宏さんが大成されたシャンソンのスタイルと志を、森田まどさんが受け継がれることに、私は「芸」が生きているのを見たような気がする。