シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

ダミア

フランスのシャンソン歌手、ダミア(Damia)の最後のレコードは、昭和28年に日本でレコーディングされ、発売された。
この年、ダミアは来日公演を果たし、1ヶ月かけて日本各地でコンサートを催した。そして、コロムビアレコードの東京スタジオで4曲のシャンソンを吹き込んだ。
長年、そのレコードを聴いてみたいと思っていたが、このほど念願が叶った。

そのレコードは次のとおり。

★「十字架(Les croix)」
 「あなたとわたしも(Y avait toi)」
★「恋が一杯(Y'a tant d'amor)」
 「罪はあなたの瞳に(C'est d'la faute a tes yeux)」

伴奏は、来日公演での専属ピアニスト、ドミニック・ジェラール。当時64才のダミアが、はかない恋と幸薄い人生がテーマのシャンソンを切々と歌っている。

面白いのは、「恋が一杯」で日本人の原孝太郎がバイオリニストとして参加していることだ。私はたびたび、原のことを取り上げているが、「原孝太郎と東京六重奏」というシャンソンとタンゴのバントリーダーで、「銀巴里」をキャバレーからシャンソン喫茶に路線変更した人物である。美輪明宏戸川昌子、仲代圭吾の師でもある。
そもそも、ダミアの来日公演は「フランスのシャンソンはダミアと共に」と「ダミアの夕」という二種類の催事があった。原は「ダミアの夕」のほうに伴奏者として参加しており、そのままレコーディングにも抜擢されたのであろう。
この曲の内容は、「街にラブソングが溢れると、恋が一杯になる。でも、貴方は私の恋心を分かってくれない」というもので、原の伴奏はその後半部分から挿入される。しかし、これは過剰演出であり、哀愁漂うバイオリンの音色がなくとも、ダミアならばその表現ひとつで雰囲気を醸し出すことができただろうにと思う。
これは、フランスのシャンソン歌手のレコーディングに日本の音楽家が参加するという点に、意義があったというべきだろう。

このレコードの中で一番素晴らしい曲は「十字架」である。
この曲は、シンガーソングライターのジルベール・ベコー(Girbert Becaud)によるもので、日本人はダミアの「十字架」を通じて彼の名前を知った、という伝説があるが、それは誇張されたもので、レコード盤に小さくプリントされた作曲者の名前をいちいち覚えているのは、一部のマニアくらいなものだったであろう。
この楽曲のダミアの歌声は、彼女のレコードのなかでも傑作に値する。
特にサビの、

「Et moi, pauvre de moi, j’ai ma croix dans la tête
 (それに加えて、わたしは何て愚かなのでしょうか。私の頭のなかにも一本の十字架があるのです)」

というフレーズを、吐き捨てるように歌うのは、鳥肌が立つ巧さである。
ちなみにこの曲は、ベコーはじめ、エディット・ピアフ(Edith Piaf)も歌っているが、彼らは声を張り上げて歌うばかりで、ダミアの切々とした歌声には及ばない。

ダミアの歌声を聴くと、言葉の壁を越えて、自分のネガティブな心情や恥の多い人生を許されたような気持ちになる。アーティストとして孤高であり、聖母のごとき慈愛に満ちた歌声を紡いでこそ、歌姫の才である。
これらの楽曲は、日本のコロムビア著作権を持っているのか、一度EPレコードになって以来、お蔵入りしている。これらが広く聴かれないのは、惜しいことである。もし「十字架」がフランスで録音され、今売られているダミアのCDに収録されていれば、この曲の評価も変わっていたことであろう。
良いものは時を越えて、広く共有されるべきだ。マニアたちの宝箱のなかで眠らせておくのは、もったいない逸品である。