シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

薩めぐみ

再び、シャンソンという鎧ー 薩めぐみ再考 Ⅱ

1970年に日本からフランスに渡った薩めぐみは、石井好子のツテでパリのライブハウスで歌い始める。そこで、彼女は1920~30年代のシャンソンに傾倒していく。
彼女が戦前のシャンソンを歌ったのは、日本で「シャンソン」と認識されている古い曲を、そのままレパートリーにしたからだと思っていた。そして、2005年に発表したアルバム

「1930年代の文学的シャンソン(Chanson littèraires des annèes 30)」

は、彼女の駆け出しの頃を懐古するものだという認識であった。
しかし私は、アルバムの収録曲を見たとき、その認識を改めねばならないことを悟ったのである。

1 マッキーの哀訴 ☆
2 孤独 ★
3 大砲ソング ☆
4 朝寝坊 ★
5 スラバヤ・ジョニー ☆
6 ビルバオソング ☆
7 殺戮ゲーム (作詞.アンリ・ジョルジュ・クローゾ Henri-Georges Clouzot)
8 雪玉 (作詞.ポール・フォール Paul Fort)
9 子供狩り ★
10 船倉係 (作詞.テオドール・プリビエール Theodor Plievier)
11 海賊の花嫁 ☆
12 タクシー運転手の悪夢 ★
13 夜の音 ★
14 私は愛さない ☆

(☆は作曲がクルト・ヴァイル、★は作詞がジャック・プレヴェール)

特徴的なのは、1928年にドイツのベルトルト・ブレヒト(Berthold Brecht)が作った音楽劇「三文オペラ(Die Dreigroschenoper)」の作曲者、クルト・ヴァイル(Kurt Weill)の楽曲、そして詩人のジャック・プレヴェール(Jacques Prèvert)の楽曲が大半なことであろう。
しかし、一番注目しなければならないのは、収録曲の12曲が、30年代に活躍した女性歌手、マリアンヌ・オズワルド(Marianne Oswald)のレパートリーだということだ。

(ちなみに「タクシー運転手の悪夢」の創唱者は不明。1950年代にフレール・ジャック(Les Frères Jacques)、ジェルメーヌ・モンテロ(Germaine Montero)が歌っているのを確認した。「私は愛さない」は、第2次世界大戦中にフランスに亡命したクルト・ヴァイルが、女性歌手、リス・ゴーティ(lys Gauty)に捧げた曲である。)

マリアンヌ・オズワルドは、1901年にドイツ領サルグミーヌで生まれたユダヤ人。歌手を志したオズワルドは、17才でベルリンのキャバレーに出演するが、さらなる飛躍を夢見てパリに移住する。
パリでは、当時ドイツで人気だった「三文オペラ」の挿入歌を歌うが、全く人気がでなかった。それでも、一部のオーディエンスには人気があり、彼女が歌うクルド・ヴァイル作品はレコード化している。
彼女が有名になったのは、当時駆け出しの詩人だった、ジャック・プレヴェールの詩に曲を付けた「私を抱いて(Embrasse moi)」を歌い、それをジャン・コクトー(Jean Cocteau)が称賛したことがきっかけであった。以来、彼女はプレヴェール作品を中心に歌い、さらにコクトーなどの他の文学者たちも彼女に詩を捧げた。
第二次世界大戦中は、ユダヤ人迫害を恐れてアメリカに亡命し、そこで活躍した。戦後、パリに戻るも新人歌手の台頭で居場所を失ったが、プレヴェールが自身の映画に出演させたことで、映像の世界に入り、子供向けテレビ番組を作ったという。85年、没。
プレヴェールは、「オズワルドなくしては自分のシャンソンは存在しなかった」と評し、彼女がいなければ、シャンソンの名曲「枯葉(Les feuilles mort)」も生まれなかったかもと思えば、重要な女性である。

オズワルドの歌い方は、まるでドイツ語かと思われるくらいに語気が強く、音程を崩した歌い方をしているので、まさに癖の強い破調という印象だ。そして、それは薩めぐみの歌い方に酷似している。
日本からパリに渡った薩は、ドイツからフランスに渡ったオズワルドの歌声を通じて、「移民」という共通点でシンパシーを感じたのではないだろうか。さらに、フランスに移住しても、フランス人になることができない彼女たちは、フランスの知性、教養である文学作品を自己表現することで、フランス人との精神的同化を図ったと私は考える。薩とオズワルドは、文学的シャンソンを通じて、異国で生きる術を模索していたのである。

それを裏付ける映像がYouTubeに投稿されている。薩がフランスに渡って間もない1975年のテレビ番組で、彼女がオズワルドの代表曲「私を抱いて」を歌っているものだ。
フランスに渡った初期の頃から、彼女はオズワルドをリスペクトしていたのである。

そんな薩の運命を変えたのが、彼女のステージ映像をテレビで観て感激し、彼女に自身の詩の使用権を与えたプレヴェールである。それは彼が、薩の歌う姿にかつてのオズワルドの面影を重ねたからに他ならないだろう。

フランスに「シャンソンの神」なるものがいるとすれば、迷える子羊であるオズワルドと薩に、その祝福の手が差しのべられたに違いない。

(次回完結)