薔薇の棘 乾宣夫
作家の三島由紀夫が没後50年とのことで、テレビで彼を特集する番組を観た。
そのなかで、三島の次のような肉声が流れた。
「自分が小説を書くのは、社会を敵と見なす一方で、その社会に認められたいからだ」
彼の創作の源は、鹿苑寺金閣のような装飾主義を愛する美意識である。その一方で三島は、代表作『金閣寺』のラストで金閣が炎上するように、絢爛な美が無惨にも崩壊していく退廃美も愛した。
装飾主義と退廃美、このふたつの美を文学を通じて社会に発信するだけでなく、自身の内面にも向けてしまったのが、結果として「三島事件」の悲劇に繋がったのではなかろうか。
三島の番組を観ながら、私が思い出したのは、ピアノの弾き語りシンガー・乾宣夫(いぬい のぶお)のことである。
乾は、昭和8年に日本橋で生まれる。国立音楽大学のピアノ科を卒業後、数々のバンドのピアニストとして活躍する。昭和36年から38年、渡米し、帰国後はホテルのラウンジのピアニストとして活躍し、第一人者となる。また室内装飾家としても活躍しており、雑誌『男子専科』に掲載されたことがあるようだ。
一方で彼は歌手として、レコード会社の専属歌手だった時期もある。またシャンソン喫茶「銀巴里」にも出演していたので、シャンソンを歌った音源も多く残されている。
彼を語る上で欠かせないのが、ラジオ番組のDJとしても活躍していたことだ。この音源はYouTubeに現在投稿されているが、何気ない日常話から、ふっとピアノの弾き語りをはじめる。この入り方がなんとも絶妙なのである。歌いうのは生活の中で口ずさむもので、仰々しくするものではない、と思わざるを得ない。
これがよく表れているのが、「ピアノと少年」というレコードだ。
主人公の「私」が海で出会った男子との蜜月が、アメリカのオールディーズやシャンソンの名曲とともに語られる。ルキノ・ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」のごとき世界観だが、この「私」が乾自身とも捉えることができ、彼の美意識とリビドーが表れているアルバムと言えよう。
乾はすでに死去している。その年月日などを調べることはできなかったが、ネットには、「老いに耐えられなくなって自殺した」とある。また、「アメリカに行ったのは、トラブルに巻き込まれて逃亡したため」ともある。
私は、ネットの情報は信憑性がないので参考にはしない。だが、もしこれが本当ならば、乾もまた三島同様に美意識が内面に向いてしまったのだろう。
美意識は、日常の風景に美を発見し、他者に発信するためにある。だが、それが自身に向けば凶器になる。まさに「美しい薔薇には棘がある」だ。
最後に、私が所蔵する乾のレコードを、ディスコグラフィー的に紹介したい。
★『Chanson de ginparis』は、銀巴里出演歌手の音源が収められているが、乾は、エンリコ・マシアス「恋心」(Enrico Macias「L'amour c'est pour rien」)のカバーをする。
★『Chanson de giminparis 73』は、銀巴里24周年記念公演の実況録音盤。乾は、シャルル・アズナブール「帰り来ぬ青春」(Charles Aznavour「Hier encore」)を英語でカバーする。
★『All about the mood music』は、オールディーズの楽曲のピアノ演奏。
★『スターライト・ポップス』は、札幌ローヤルホテルでの、ピアノライブの実況録音盤。
★『ラ・ボエームを覚えているかい』は、乾のオリジナル曲を集めたアルバム。正直イマイチの内容で、自分のために作られた曲を歌う乾は魅力が半減する。やはり彼は、カバー曲で真価が発揮されると言えよう。