シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

黒崎昭二

遥かなる友ー黒崎昭二

日本各地のシャンソンの動向について調べていくなか、これまで東北地方はノーマークであった。しかしながら先日、
黒崎昭二『シャンソンと私』
(昭和59年、自費出版・非売品)
を入手し、秋田県におけるシャンソンの盛況ぶりを知ることができた。

黒崎昭二は、昭和2年秋田県生まれ。戦時中は東北電力秋田支部に就職し、灯火管制下で聴いたリュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」(Lucienne Boyer「Parlez-moi d'amour」)をきっかけに、シャンソンファンになる。
昭和30年、日本でのシャンソンブームを受け「秋田シャンソン友の会」を結成(のちに「秋田シャンソンカンツォーネ・ファンクラブ」となり、平成23年まで継続)。
昭和40年に、ラジオ秋田放送「パリの町から」のDJを担当する。それをきっかけに、47年にNHK秋田放送局「夕べのひととき」、60年にFM秋田シャンソンをあなたに」のDJをつとめた。
その間、県内でのレコード、フィルムコンサートや、金子由香里、深緑夏代などの日本人歌手、コラ・ヴォケール(Cora Vaucaire)、ジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)などのフランス人歌手の秋田公演にも尽力した。日本シャンソン協会の理事をつとめていたこともあった。
平成6年、功績が認められフランス芸術文化勲章「シュバリェ」を受章。
平成23年、病気のためラジオ番組を勇退。その後の消息は掴めなかった。

黒崎の精力的な活動によって、秋田県ではシャンソンカンツォーネのファンがとても多かったという。現に、シャンソンブームの際に全国で乱立した「シャンソン友の会」のなかで、一番長く続いたのが秋田の会だった。夕食の支度をする多くの主婦が、黒崎のラジオを聴いてシャンソンに興味を持ち、秋田のレコード店にはフランスの新譜が常に並んでいたという。
とはいえ、今もなお、秋田でシャンソンが盛況とは正直考えにくい。黒崎が勇退したのをきっかけに、秋田のシャンソンブームは衰退したのではなかろうか。影響力のある一人の人物がブームを牽引しても、その後継者がなければ続かない。これは非常にもったいないことだ。

シャンソンと私』は、黒崎の自伝と、黒崎がDJをつとめたラジオ番組の数年分のプログラム、シャンソンに関する資料、ラジオ番組を再現したカセットテープで構成される。

自伝に関しては、執筆中に力が抜けてしまっているのが見てとれる。自分語りがあまり好きな性格ではなかったようだ。

とはいえ、ラジオ番組のプログラムは見ごたえがある。自伝を読むよりも、番組で取り上げられたテーマや楽曲を知るだけで、黒崎の人柄が見えてくる。音楽全般が好きだったようで、シャンソンに限らず、オペラ、民謡、演歌まで幅広く特集を組んで放送している。特にカンツォーネの特集では、当時イタリア在住だったカンツォーネ歌手・戸山英二から送られてくる最新の楽曲をかけるというこだわりぶりだ。
番組には、ゲストとしてシャンソン関係者だけでなく、地元のシャンソンファンをも招いていた。彼は、有名無名に関係なくシャンソンの好きな人と話がしたかったのだろう。
秋田県の人たちに、自分の好きな素晴らしい音楽を届けたいという黒崎に熱い思いが伝わる。

シャンソンの資料に関しては、DJをしていただけあってその重要性をきちんと理解しているのが分かる内容だ。戦後、日本コロムビアレコードから発売されたSPレコードのシリーズ(通称「F盤(フランスの盤)」)の全リストが、商品コード付きで掲載されているのは、大変ありがたい。
そして何より私を感涙させたのは、歌人シャンソンマニアだった塚本邦雄がたびたび開いていたという、シャンソンのレコード鑑賞会のプログラムが再掲されていることだ。かつて塚本を特集した文芸誌に、説明文なしで掲載されていた鑑賞会のプログラムの写真を見て以来、私にとって謎の種であったが、ようやくその端緒を掴むことができたのである。このプログラムのページは画像に添付するが、なんてマニアックな選曲…。

付属のカセットテープには、黒崎の好きなシャンソンが彼の解説付きで収録されている。例えるなら芦野宏似の、優しいトーンの静かな話しぶりは非常に好感が持てた。知識をひけらかすわけでもなく、かつ素人っぽさがない話し方が耳に心地よい。
収録曲は、比較的有名なものばかりとはいえ、再録音版であったり、ライブ音源であったりと、珍しいものを届けようという意気込みが伝わる。現に、私も6割くらい初めて聴く音源であった。とはいえ、視聴の感動は初めてスタジオで録音しレコード化されたものに尽き、再録やライブテイクはそれに従属する、というのが私の感想だ。
だが、世にも珍しいシャルル・トレネ「街角」(Charles Trenet「Coin de rue」)は、よく知られたジュリエット・グレコのものよりも味わい深く、オランピア劇場のライブ版のジャック・ブレル「愛しかないとき」(Jacques Brel「Quand on n'a que l'amour」)は、溢れんばかりのカリスマ性で心がしびれた。この2曲を聴けたことは、私にとって幸いであった。
そして、これをきっかけとして、フランシス・ルマルク(Francis Lemarque)に個人的関心を持った。彼については、一時期のイヴ・モンタン(Yves Montand)の専属作曲家というイメージだったが、歌手としても実力があったのを知るに至った。

彼のシャンソン愛に溢れた著書から、彼の人となりを伺い知れたが、私がもっとも共感するのは、彼がシャンソンの聴き手を育てたことである。シャンソン愛好家といえば、自分で歌う楽しみを知る人が多いなかで、彼はシャンソンを聴く楽しみを提供した。シャンソンを知らない人に興味をもってもらうためには、その鑑賞のツボを教示することが大切だ。戦時下にシャンソンのレコードを通じて愛好家になった黒崎は、身をもってその信条に徹した人であった。

読了後、本の感想を手紙にしたためたく、筆を執って、はたと気づく。
「遥かなる友、今いずこ…」