シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

青木裕史 (青木清)

仕事にやりがいを見つけるー青木清「みちのく慕情」

先日投稿した動画で大塚博堂のことを話しました。その時、シャンソン歌手の青木裕史さんが博堂の曲を歌っていたのを思い出し、氏のホームページに行ってみました。そこで「えっせい」というページを見つけました。
そこには、氏が現在に至るまでの半生が綴られていました。そのなかで私が一番興味を持ったのは、氏の「みちのく慕情」という曲にまつわるエピソードです。

昭和53年。レコード会社の専属歌手だった氏は、福島県にキャンペーンに行った際、テレビ局の局長から「「青葉城恋歌」のような曲を、福島県でも作ってほしい」とお願いされます。それに触発された氏は、レコード会社に相談するも、却下されてしまいました。そこで、氏はレコードを自主製作します。
そのレコードを携えて、氏は福島県に移住しました。そこで3年間、レコードのキャンペーンに奔走します。テレビやラジオの出演、慣れない夜のスナックの営業などをこなしたそうです。レコードを売り、かつ生活費も稼がねばならない日々を過ごすなか、その甲斐あって福島県で話題になり、最終的に全国区でのレコード発売に繋がりました。

この話を読んで、私は「みちのく慕情」を聴いてみたくなり、レコードを入手しました。
氏が、当時「青木清」という名前で活動していたのをはじめて知りました。

「みちのく慕情」
(ねもと・みつや詞、山口順一郎曲)
下りやまびこ 東北線
空は日暮れて あかね色
白河の関すぎる頃には
頬の涙もかわくだろう
恋に疲れた旅人ひとり
芭蕉の詩に涙ぐむ
阿武隈川の流れにそって
思い出は 北へ走る

正直、難しい歌詞だと思います。一読しただけでは、内容が頭に入ってきませんでした。氏も、歌詞を読んで「がく然とした」と書いてます。
ですが、山口順一郎さんの曲が素晴らしいです。全体的に軽快なメロディーですが、「阿武隈川の流れにそって」の部分に「峠の我が家」の旋律が使われていたりして、耳に馴染みやすいと思いました。一度聴いたら、口ずさみたくなる曲です。
そして氏の爽やかな歌声が、難しい歌詞を一掃し、叙情歌のように親しみやすい曲に仕立てていきます。確かに、これは人気が出る曲だと思いました。

この曲の良さと同時に、私は氏の仕事ぶりに感銘を受けました。
氏は、レコードのキャンペーン中に酔った客に嫌なことを言われたり、高齢者の客ばかりのステージで今まで歌ってこなかった演歌や懐メロを覚えてレパートリーにしたそうです。本人のなかでは不本意な思いをしたのが察せられますが、そのなかで客の喜ぶ顔を見ることを、仕事のやりがいにして続けていました。

私は、嫌な仕事を前にすると顔を背けたくなったり、逃げ出したくなります。ですが、不本意な仕事のなかに「やりがい」を見つけることが、仕事をこなしていく力になるのだと気づきました。
仕事をして生活をする上では、当たり前のことかもしれませんが、つい忘れがちなことでもあるように感じます。

行き詰まってるなー、と思ったときは、その仕事のなかでのプラスの面を探してみる。「みちのく慕情」を通じて、私は仕事への姿勢を学んだように思います。