今日は美空ひばりの命日。私は小学生のときから、ひばりちゃんの歌が好きだった。
ひばりは歌謡曲だけでなくジャズや端唄なども歌いこなしたが、シャンソンだけはレコードに吹き込まなかった(「愛の賛歌」「薔薇色の人生」などはレコード化しているが、これらはシャンソンというよりワールドミュージックの意味合いが強い)。音楽の教育を受けず、自身の才能ひとつで活躍した彼女にとって、宝塚や音大出身者によって歌われる、日本におけるシャンソンをレパートリーにすることに、ある種のコンプレックスがあったのではないだろうか。当時の日本のシャンソン界の大御所が、ひばりと不仲だった淡谷のり子(東京音大首席)だったことも遠因やもしれぬ。
話は逸れるが、ひばりと淡谷は最初から不仲だったわけではない。幼少のひばりが笠置シズ子の物真似歌手として巡業していた頃、共演していた淡谷はひばりのことを可愛がり、風呂で体を洗ってあげたこともあるそうだ。
しかし、ひばりが自身のオリジナル曲を歌ってヒットするようになると、笠置が自身の曲を歌わせることを禁じてしまう。淡谷はひばりを呼び出し、「オリジナル曲を歌うなら笠置の物真似は止めなさい」と注意する。その時ひばりは淡谷を上目遣いに睨んだという。その目を見て淡谷は、自立した歌手として生きるひばりの運命を悟り、絶縁した。このときから淡谷は、ひばりを子供タレントから一人のライバル歌手と見なしたのである。
ネガティブなエピソードではあるが、私はこの出来事がひばりにとって「歌謡界の女王」へのスタート地点だと思っている。
さて、シャンソンをレコード化しなかったひばりだが、テレビ番組ではシャンソンを披露している。
私が一番印象に残っているのが、この「雪が降る」である。これはサルバドーレ・アダモによる楽曲で、フランス語で歌唱したものを発表したのち、日本をはじめとする6ヶ国語で吹き込み、ある種のご当地ソングとして発売する。日本では大変よく売れた。
音楽の教育を受けたことがないひばりがシャンソンを歌うために実行したのは、アダモの歌唱の耳コピであった。ひばりのオリジナル曲における高度な表現力を思えば、この「雪が降る」はあまりにもったいない。
そして私は、ひばりにその表現力を自粛させてしまった、当時の日本におけるシャンソンのイメージとシャンソン界の構造に、やるせなさを感じるのだ。
シャンソンの祭典、パリ祭には小林幸子(2019年)や藤あや子(今年出演予定だったが、公演中止)など演歌歌手がゲスト出演している。いまなら、シャンソンでひばりの本領発揮できたのではないだろうか。
最近「AIひばり」なるものが話題になっているが、声真似はできても、時代によって抑制された肉声は再現できない。ひばりとシャンソンの関わりを通じて、改めて彼女が蘇生することがない「死者」であるのを悟った次第である。