シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。htmt-mth@ezweb.ne.jp

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅴ(完結)

薩めぐみは、自身が作詞し、細野晴臣がアレンジしたテクノ調の楽曲「シリコンレディー」によって、移民として、そしてシャンソン歌手として生きる鎧を手にいれた。

この鎧が最も効果をもたらしたのは、1986年発売の4枚目のアルバムの表題曲「Give back my soul」(作詞者は薩)である。

IT WAS IN 1995 AT THE LAKE OF SENEGAL A GIANT RAPED ME,
CHANGED ME INTO A LOVE MACHINE
MY HEART DOESN'T BEAT ANYMORE
MY BLOOD DOESN'T FLOW ANYMORE (中略)
I WAS A LOVE MACHINE
(GIVE BACK MY SOUL)

1995年、私はセネガルの湖の巨人にレイプされた。
私は、肉便器に成り下がった。
私の感情は失われてしまった。
私は冷血になった。(中略)
私は肉便器だった。
(私の心を返して) (峰訳)

この歌詞を読み解くと、発表されたのが86年であるにも関わらず、「IT WAS IN 1995」と未来の出来事が過去形で記されている。よって、このストーリーは架空のことであることが示される。
しかしこの生々しい歌詞からは、シャンソンを通じてフランスで生きるための鎧を纏った薩が歩んだ半生が、ドンキホーテのごとき「花咲ける騎士道」ではなかったことが伺える。彼女のなかでは常に「心をレイプされる」不安に怯えていたのではないだろうか。
一方でこの歌詞は、読み方によっては自分語りのヒロイズム、被害者意識として捉えられかねない脆弱さがある。しかし見ての通り、彼女はこの歌詞を英語で記している。フランス語や日本語ではない、自身のバックボーンによらない言語である英語を用いて歌ったことが、異端者としての薩のプライドの表れであり、歌詞の脆弱性を克服している。
この歌詞は激しいテクノ調に編曲され、薩は喘ぎ声や首を絞められたような奇声を上げたり、床に倒れ混んだりしながら歌っている。従来の彼女には見られなかった、ある種の狂気を感じずにはいられない。

ところで、我々が薩について興味を持ったとき、検索に用いるのはYouTubeだろう。しかしYouTubeには「Give back my soul」までの映像は多く投稿されているが、それ以降の楽曲があまりないことに気づく。つまり、86年までの彼女の姿がそのまま「薩めぐみ」という歌手のイメージとして固定されてしまう可能性がある。
彼女を真の姿を知るためには、86年から死去する2010年までの楽曲も見ていかなければならない。
とはいえ、86年以降はオリジナルアルバムはほぼ製作されていない。何枚かのライブ盤が発売されたのち、
2005年『CHANSONS LITTERAIRES DES ANNEES 30 Reissue(1930年代の文学的シャンソン)』
2009年『Apres ma mort(私の死んだ後)』
の2枚が発売されたきりである。

(この2枚については、他稿参照のこと)

ところで、私は彼女が「詩の世界を生きた人」であると認識する。
ひとつ、それを裏付ける楽曲を紹介したい。2002年に発売された、音楽評論家の永瀧達治プロデュースによるアルバム『暗い日曜日 トリビュート』の収録曲だ。
このアルバムは、1936年にシャンソン歌手、ダミアが歌った「Sombre Dimanche(暗い日曜日)」を10組のアーティストがカバーしたものである。

私はいつか日曜日に死ぬだろう(中略)
怖がらないで、恋人よ
瞳があなたを見ることができなくても
瞳が語りかけるのよ
私は自分の命よりもあなたを愛していたと
暗い日曜日 (永瀧訳)

このアルバムに参加した薩は、アコーディオニストのダニエル・コランの伴奏に合わせて歌詞を朗読する。あえて歌わず、抑揚と情感を込めた肉声をもって歌詞の世界を紡ぎ出すパフォーマンスは、表現者として生きた彼女が至った境地である。
この「暗い日曜日」こそ、薩めぐみの真の姿が表れた楽曲だと私は思う。

結びとして、薩めぐみの激動の生涯の原動力を探りたい。
彼女がプレヴェールのアルバムをもって日本公演を催した際、自身のバイタリティーは「道産子の開拓者精神」と述べている記事を見つけた。
彼女の出身地である札幌は、明治以降に開拓使が原野を拓き、西欧の都市モデルを再現したフロンティアである。従来の日本の風土にはなかった西洋建築や欧米の植物を根付かせ、近代日本という新しい時代を「まちづくり」によって創造した過程は、薩の生きざまそのものに思えてならないのだ。
日本とフランスの異文化を、自分のなかで相互に結びつけ、新たな文化のスタイルを作り出した表現者として活躍した彼女の生きざまは、まさに開拓者精神の強さに裏打ちされていると言えるだろう。

そして、これは現代のグローバル社会を生きるものとして、あるいはシャンソンを愛するものとして、自分はそれらをいかに捉えて表現や紹介をしていくか、という私自身の問いに帰結するのである。

(画像は『暗い日曜日 トリビュート』のジャケット、晩年の薩、薩のインタビュー記事)