シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

シャンソワレ

先日閉店したライブスペース「サラヴァ東京」のプロデューサーであるソワレと、店に出演していた若手歌手によるシャンソンのアルバム「シャンソワレ」が発売された。
収録されている曲は、越路吹雪の研究家でもあるソワレのセレクトらしく彼女のレパートリーだった曲や、加藤登紀子なかにし礼の訳詞のものが多い。
歌い手を見ると、俳優の三浦浩一、昨年心ないライターから「ゲイだからシャンソンを歌うのだろう」と誹謗された松村雄基、定期的にヴィジュアル系の歌手を集めてシャンソンライブを開いているKaya、新宿で歌謡曲を歌うギャランティーク和恵、日本シャンソン協会主催の若手シャンソンコンクールで今年の決勝に残ったセニョリータとも夜などが集っている。また鈴木結女が大曲「カルーソ」を布施明訳「慟哭」で挑戦するなど、なかなか骨のあるアルバムだ。
松村の「ラ・ボエーム」は、俳優らしく情感がこもっているのが気に入って何度も聴いているが、このアルバムの最も素晴らしいのは、歌詞カードに寄せられたソワレによる「序文」である。彼がシャンソンを好きになって歌手になり、若者たちとシャンソンを歌うようになったまでの遍歴が書かれている。「シャンソンは素晴らしい」という信念と「可能性ある若者に受け入れられなければこのジャンルは死んでしまう」という危機感を抱えて、ひとつの音楽シーンを作り上げるまでの彼の道のりは私の胸を打った。

思えば、シャンソン界は若者不足を嘆くばかりで、彼らのようなシャンソンに関心を持つ若手歌手たちの存在に気づいてこなかったのではないだろうか。かつての「銀巴里」のように新人歌手の登竜門のような店もなく、各協会が主催するシャンソンコンクールが新人発掘の場である現状では、協会=シャンソン界になってしまうのは仕方ないことだ。しかし、インターネットを使えばライブやアーティストの情報を得ることができる。何よりも、日本のシャンソンには様々なカタチがあってしかるべきことを認めていかなければならない。オールドファンと若者が好むシャンソンのスタイルは異なって当然だ。様々なスタイルに溢れたシャンソンから好きなものを選ぶのは、我々聴衆なのである。
私は、シャンソン界を狭い視野ではなく広域に俯瞰して捉える目をきちんと持ち、様々な音楽スタイルが生まれることを認めていきたい。