シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

月田秀子

南蛮人の叫びを歌う 月田秀子」 

今年亡くなられたファド歌手の月田秀子のアルバムを、先日手に入れた。歌詞カードには自身の柔らかな筆致のサインが記されている。

月田秀子
1951年、東京の下町に生まれる。高校時代に大阪に行き、女優を目指す傍らで、菅美沙緒、出口美保からシャンソンを学ぶ。
1980年、出口の営むシャンソニエ「ベコー」でデビュー。
1987年、アマリア・ロドリゲスのファドを聴いて衝撃を受けて、ポルトガルに留学。ファドを歌う日本人として現地で広く知られ、アマリアからも認められる。
帰国後は日本のファド歌手として活躍した。
2017年6月16日、病没。

私が月田を知ったのは、社会人1年目のとき。アマリア・ロドリゲスの曲を聴いて魅了されて、ファドについて調べた。ファドは、人間の悲哀、哀悼、抑圧、嘆きを主題にしたポルトガルの歌であり、日本では月田秀子という歌手が第一人者で、彼女は最近北海道白老に引っ越してきた、ということであった。シャンソン好きの知り合いの大半が月田のステージを聴いていて、「月田さんのファドは素晴らしいよ」と口を揃えて言った。同じ北海道にいるなら、いつか自分も聴けるかも…と悠長に考えていたら、結局ステージには間に合わなかった。

月田のアルバムの解説を読んでみると、ファドの代表曲である「暗いはしけ」のところに次のように記してあった。
大航海時代に海の藻屑と消えた数知れぬポルトガル人の鎮魂歌に通じる趣がある。」
私は「ポルトガル人」が「南蛮人」であることに、はたと気づいた。航海中に船が沈み、中世の日本に流れ着いた南蛮人たち。故郷であるポルトガルでは、家族や恋人が彼らを思ってファドを歌っていたのだろうか。あるいは、南蛮人たちが故郷に向けてファドを歌っていたのだろうか。そう考えると、私たちにとってファドは決して他国の音楽ではないのである。
日本史のなかには取り上げられない無名の人びとの絶唱が、月田のファドによって再生されているように感じた。

月田がファドに惹かれた根底には、かつて学んでいたシャンソンがあるのではないかと思った。あるサイトには、月田はシャンソンに違和感を感じてファドに転向したと記されていた。しかし、菅、出口という強烈な個性派歌手の指導もとで、月田は何かを得たからこそファドに惹かれたのではないかと私は考える。
月田のシャンソンを聴いてみたい、と思い調べてみるとYouTubeで「時は過ぎて行く」の動画を見つけた。この動画を見て思い出したのは、菅が自身のレコードのなかで述べていた「歌の行き着くところは人間」という言葉であった。月田が、菅と出口から学んだのはシャンソンではなく、人間を歌うということであった。だからこそ、月田は人間の悲哀を歌うファドを選んだのではないだろうか。
歌のなかに生きる人間だけでなく、かつて実在したであろう名もなき人びとの叫びをも甦らせる月田秀子。彼女もまた、菅や出口に並ぶ孤高の歌手であったと言ってよい。