シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

綾部肇

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以前、フランスの作曲家でピアニストのエミール・ステルン(Emile Stern)について調べたことがあった。その際に、「日本のエミール・ステルン」と呼ばれたピアニストがいたことを知った。綾部肇さんという人である。

私は、生前の彼がシャンソン関係者に大変慕われた人物であったというのは聞いたことがあったが、詳しい経歴などを記した資料を一切見たことがなかった。しかしながら、晩年の綾部さんが石井好子さんの専属ピアニストだったことで、彼女の著書にわずかながら彼のことが記されていたので、紹介したい。

綾部さんは1932年頃に生まれた。彼がどのような経歴でシャンソンのピアニストになったのかは分からないが、昭和20年代シャンソンブームのころから活動を始めていたようだ。
石井さんの周りには、寺島尚彦さん(いまなお歌われている「さとうきび畑」を作った人)、岩崎洋さんなどのピアニストがいたが、彼らは教育者になったり、活躍を海外に広げるなか、綾部さんはシャンソンの業界に留まりつづけた。
石井さんが主宰していた「パリ祭」のバンドマスターを寺島さんから引き継いだり、彼女のリサイタルのピアニストをつとめていた。

また綾部さんは、東京オリンピックメキシコオリンピックで、女子床上体操の伴奏者としても活躍した。そんな彼のピアノはミスタッチが一切ない、心の行き届いたものだったという。その軽快なタッチが、エミール・ステルンばりに美しかったそうだ。
また、編曲者としての腕も素晴らしいもので、石井さんは自身のリサイタルで彼が手掛けたドイツ映画の主題歌メドレーを高く評価している。

石井さんの著書には、綾部さんの最期の様子が記されている。
1977年初頭に開かれた石井さんのリサイタルで、綾部さんはピアニストをつとめたが、声がかすれて苦しそうにしていた。「扁桃腺が悪い」と本人は言ったが、7月の「パリ祭」ではさらに声がかすれ、11月には声が聞き取れなくなっていた。石井さんは綾部さんのマネージャーに受診をすすめるも、本人が病院に行こうとしない、と返される。それでも、本人は元気で何度もリハーサルをしていたという。
翌年の78年1月14日、綾部さんは病院で急死する。喉頭ガンが全身にまわっていたという。10日前まではピアニストの仕事をしていたらしく、まさに急な訃報だった。享年45歳。
その葬儀では、知人たちは遺体にすがって泣いたという。

私は、そんな綾部さんの音源を聴いてみたいと思うようになった。
見つけたのは、「OTTO」というアルバムに収録されたボニー・ジャックス「窓をひらいて」という楽曲の伴奏をしているものだった。

この「OTTO」というアルバムは、当時音質が良かったという「4チャンネルステレオ」というレコードの宣伝と試聴のために作られた。様々なジャンルの楽曲が収められたなかに、「窓をひらいて」はある。
この楽曲は「aprite le finestre」というイタリアのカンツォーネ。また、ボニー・ジャックスの音源はリサイタルのもので、綾部さんが彼らの専属ピアニストだったことも分かった。

楽曲は明るい曲調で、ボニー・ジャックスの重唱によく合っていた。また、間奏の綾部さんのピアノも華麗なタッチが冴えている。
とはいえ、この1曲だけではまだまだ綾部さんの魅力は掴めない。きっと、他にも綾部さんの伴奏を収めたレコードがあるはずだ。今後、様々な曲調のものを聴く機会に恵まれればと思っている。