シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

森敦「月山」&岸洋子「月の山」

死体のある風景 作家とシャンソン
⛰️森敦「月山」

作家の森敦は、1912年に長崎で生まれた。作家の横光利一に師事し、太宰治中原中也らと同人誌を通じて交流をもった。
45年より、妻の故郷である山形県酒田市に住むも、その後は庄内地方を点々とするようになる。
73年に発表した小説「月山(がっさん)」で、翌年の第70回芥川賞を史上最高齢の62歳で受賞した。その後も作家活動を続け、89年没。

今回は、森の小説「月山」を取り上げる。
月山とは、山形県にある出羽三山のひとつで、古来より修験道が盛んであった。また、地域の言い伝えでは、死者の魂は月山に飛んでいく、という「あの世の世界」の象徴として語られている。

物語の主人公の男は、放浪の末に月山のふもとの寒村の寺に身を寄せて冬を越す。
この村は、他の地域との交流を絶ち、密売酒でひそかに生計を立てている。主人公は、世間と断絶した村での生活を通じ、村人たちが月山に寄せ集まった死者のようであり、この村があの世のように思えてくるのであった。

ところで、この村には即身仏(そくしんぶつ)を信仰する風習がある。即身仏とは、昔の偉い僧侶が生きながら仏になるために、断食をして餓死し、ミイラとなったものである。
しかしこの村では、行き倒れになった行商人の死体をミイラにして、即身仏と偽って観光資源にしようとしていた。(ちなみに、これはフィクションであり、庄内地方に実際に祀られている即身仏とは関係はない)

やがて春が来ると、主人公は村から出ていく。彼の友達が迎えに来たからだ。その友達は主人公に、
「この村の土地開発を持ちかけたら、村人みんなが喜んで、密売酒を差し出した」
ことを告げる。
世間から隔離されたあの世のような村も、やがては行商人の即身仏のように、まがい物になっていくことが暗示されて、物語は終わる。

ところで、森の「月山」を読んで感銘を受けたのが、当時かけだしの音楽家新井満だった。
新井は、「千の風になって」の作曲者として知られている。

森と仲良くなった新井は、酒の席で「月山」の文章に即興で曲をつけて歌った。それに感動した森は、新井に小説を楽曲化する許可を与える。
そして新井は、76年に「組曲月山」を発表した。これは、小説の文章に曲をつけるという意欲作で、好評を得る。

この組曲の冒頭の楽曲「月の山」に注目したのが、シャンソン歌手の岸洋子であった。彼女は山形県酒田の出身で、同郷の作家が故郷の山を楽曲にしたことに、興味を抱いたのだろう。
岸は、78年のアルバム『雪枕』に同曲を吹き込んで収録している。

岸の「月の山」を聴くと、月明かりに浮かび上がる「あの世の世界」が静かに立ち現れてくるようだ。

彼方に白く輝く まどかな山があり
この世ならぬ月の出を 目のあたりにしたようで
かえってこれが あの月山とは
気さえつかずにいたのです。

思えば、岸は70年に膠原病で倒れて以来、その歌声に灰暗い死の影が漂うようになった気がする。それは、92年の最期のライブまで徐々に色濃くなっていった。しかし、それが彼女の歌い手としての美しさを際立たせたと私は思う。
もしかしたら、彼女の魂はすでに月山のふもとの寒村あたりを飛んでいたのかもしれないとさえ感じるのである。

「死体のある風景 作家とシャンソン」シリーズ、最後の3回目のテーマがなかなか決まらずにいたが、岸の「月の山」が森の小説をもとにしていることを知り、ようやく完結することができた。何事も粘り強くいれば、不思議と道が開けることを強く感じた執筆であった。