シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

蜂鳥あみ太=4号

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粧(よそお)いは暴力 ー蜂鳥あみ太=4号の夜

Facebookを約5年続けて、この投稿が私のシャンソンに関する100本目の記事に当たる。自分なりの信念をもって、記事のテーマは厳しく見極めながら書いてきたつもりだ。塵も積もれば山となる、ひとえに嬉しい。

そんなことを思っていると、いきなりスマホが動作不能になった。どこを押しても反応せず、本体がだんだん熱を帯びてくる。
私のイライラは最高潮に達していたが、今日はこれからライブに行かねばならない。

『北海道・札幌ガンゲット・ダイマ蜂鳥あみ太+acc田村賢太郎初来襲』

蜂鳥あみ太さん=4号さんは、全身網タイツとホットパンツ一丁で歌うシャンソン歌手である。
私が、あみ太さんを知ったのは大学生のときだった。当時、シャンソンに興味をもった私はインターネットで情報を集め、YouTubeシャンソンを聴いていたが、その頃はYouTubeのチャンネルを持っている日本のシャンソン歌手は皆無であり、結局のところ手当たり次第にCDやレコードを買い集めねば、シャンソンが聴けない時代であった。
しかし、そんな時にYouTubeで「シャンソン」と検索してヒットしたのが、あみ太さんだった。まるで、女装したピエール・モリニエ(Pierre Molinier)のような出で立ちに「シャンソンって、こんな感じなの?」と思ったものだが、氏が歌う越路吹雪の「ようこそ劇場へ」(ミュージカル「アプローズ」の劇中歌)を聴いて、「蜂鳥あみ太」の名前は私のなかに深く刻まれたのであった。

会場である「ガンデッド・ダイマ」に着くと、狭い路地を挟んだ向かいの建物の前で、アイラインを引く美しい男がいる。多分この人が、あみ太さんだろう。
まるでアングラ映画みたいな光景だったが、他人のドレスアップを覗き見るのはタブーであろう、私はそそくさと入店した。

会場で、今日の伴奏をつとめるアコーディオン奏者の田村賢太郎さんと再会し、懐かしい気持ちになる。田村さんが札幌でご活躍の頃に、ご出演のステージに伺ったのを覚えていてくださったのが嬉しかった。

かくして、あみ太さんと田村さんのステージが始まった。あみ太さんは、ステージに上がる前に、私の目の前でパーカーを脱ぎ捨てて、網タイツに包まれた姿態を露にした。華奢に引き締まった身体つき、肌のつや、きめ細やかさが、黒タイツ越しに光り、思わず見とれてしまう。
私の後ろにいた男の子も「綺麗…」もつぶやいていた。

セットリストは、シャンソンだけでなく諸外国の楽曲やオリジナルで構成されていた。1930年代に作られた楽曲が多い印象だ。
披露されたシャンソンだけ挙げると、次のとおり。

「歌舞伎」(Diane Dufresne「Kabuki」訳シモーヌ・深雪)
「葬送のタンゴ」(Jacques Brel「Tango Funebre」)
「人生、殴る蹴る」(Claude Nougaro「Vie violence」)

加えて、シャンソン歌手に好まれる他国の楽曲も挙げておく。

マンダレイ」(ドイツのキャバレーで歌われた曲)
「長い道」(ロシア民謡。別名「悲しき天使」)
「アマポーラ」(アメリカの流行歌)

あみ太さんによる「超訳詞」で歌われる楽曲の数々は、ときに過激な言葉やシチュエーションが飛び出す。これもまた、あみ太さんの「粧い」である。
奇をてらう、と言われればそれまでだが、その「奇」が現実に引き寄せられたとき、我々の心は暴力的に打ちのめされる。

印象に残ったのは、「アマポーラ」であった。
これを歌う前に、あみ太さんはコロナ禍での自粛期間中に感じたことを詩にしたためて、朗読した。それは次のような内容だった。

「ポルノグラフにはエロだけでなく、弱者を見世物にする感動ポルノや、故人の知人面をして注目を集めるお悔やみポルノなどがある。
そんな私も、こんな偽善に巻き込まれ、昔見た美しかった花の名も思い出せない。
だがその花もまた、人に見下ろされるのにうんざりしている」

そして「アマポーラ」の曲にあわせて、

「奴隷なの、奴隷なの 生きとし生けるものすべてが♪」

と毒づくのである。

美しい旋律の楽曲が、あみ太さんの悪魔的な歌詞に切り裂かれ、その血溜まりに映った「現実」を見たとき、我々はマゾヒストとして生きねばならないことを悟る。これは痛快なカタルシスだ。

ライブ後、私のスマホは嘘のように、すいすい動作するようになった。ライブ中は撮影自由だったのに、お陰で全く写真が撮れなかった。
もしや、店の前でアイラインを引く男を見たときから、私は別世界に迷い混んでいたのではなかろうか。
そして、その間は私もまた、あみ太さんの手中で「粧い」のひとつと化していたように思えてならないのである。