シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

昭和10年頃のシャンソン事情①

昭和10年頃のシャンソン事情
①日本最初のシャンソンのレコード

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先日、雑誌「音楽倶楽部 パリ流行歌特集」(昭和10年7月 楽苑社)を入手した。
これを通じて、戦争が始まる前の昭和一桁代の日本のシャンソン事情について見識を深めることができたので、全三回にわけて紹介したい。

まず、昭和初期における日本のシャンソン史を振り返る。

昭和2年宝塚歌劇団シャンソン「モンパリ(Mon Paris)」を主題歌にしたレビュー「吾が巴里よーモン・パリ」が上演される。
5年には再び宝塚でシャンソンレビュー「パリ・ゼット」が上演。
6年、フランス映画「パリの屋根の下(Sous les toits de Paris)」がヒットし、同名の主題歌を声楽家田谷力三がレコードに吹き込む。
7年には、フランス帰りの声楽家・佐藤美子さんがシャンソンのみで構成したリサイタル「パリ流行歌の夕べ」を開く。
10年、淡谷のり子をはじめとする歌謡歌手がシャンソンをカバーするようになる。
13年、コロムビアレコードよりフランスのシャンソン歌手のレコード六枚組のボックス「シャンソン・ド・パリ」が発売。

宝塚がシャンソンを取り上げたのをきっかけに、フランス映画や日本人歌手によるカバー曲を通じて、日本人がシャンソンが耳馴染みになり、やがてはフランスのオリジナルの楽曲にも関心を示していく過程が読み取れるだろう。

今回は、日本で最初に発売されたフランスのシャンソン歌手のレコードについて取り上げる。
菊村紀彦『ニッポンシャンソンの歴史』という書籍の記載から、日本で最初に発売されたフランスの歌手のシャンソンは、

リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」(Lucienne Boyer「Parlez-moi d'amour」 )

だというのが定説だ。
しかし、このレコードにはひとつの謎が存在する。
発売年が不明なのだ。
菊村は、昭和10年発売と記載するも、昭和6年には自分の母親が口ずさんでいた、という証言を記し、結論を濁している。また、シャンソンに関してはWikipediaよりも詳しい、藪内久『シャンソンのアーティストたち』という書籍でも、その情報は欠落している。
つまりは、「聞かせてよ、愛の言葉を」が日本最初のシャンソンのレコードという説は、菊村の推論なのである。

だが、今回入手した「音楽倶楽部」には、その謎を解く手がかりが記されていた。誌面のなかに、当時のシャンソンのレコードの発売リストが掲載されていたのである。

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昭和初年、フランスのシャンソンのレコードを扱っていたのは、コロムビアとポリドールであった。
ポリドールは、フランス映画の主題歌を中心に扱っていたことがわかった。
そして、当時の日本でシャンソンのレコードをほぼ独占していたのが、コロムビアだ。
昭和10年の時点で、コロムビアからは約80枚のシャンソンのレコードが発売されていたことが、記事には書いてある。その当時のコロムビアのレコードは、黒ラベルに金字でタイトルが記され、品番が「J」からはじまるものだ。この当時のレコードは、私もいままで見たことがないので、いつか手にしてみたい一品だ。

さらに、「音楽倶楽部」の表紙の裏には、コロムビアのレコードのラインナップが、品番付きで記載されていた。
それを見ると、

リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」

は、発売当時

ルシエンヌ・ボアイエ「甘い言葉を」

というタイトルだったのが分かった。
このレコードの品番は「J1478」だ。

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しかしよく見ると、これよりも若い品番のレコードが存在する。
それは、

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ジョセフィン・ベーカー「二人の愛人」(J1333)

である。

この楽曲は現在、「二つの愛」「二人の恋人」というタイトルで知られる「J'ai deux amoures」だ。
ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)は、アメリカからフランスに渡って活躍した女優であり歌手であった。彼女は、フランスのレビューで活躍していたことから、宝塚が「吾が巴里よ」を上演した時から、本場のレビュー歌手として、日本では知られていた。現に、昭和2年にはベーカーを主人公にしたドキュメント映画「麗美優(レビュー)モン・パリ」(「La Revue des revues」)が、国内で公開されている。
昭和初期の日本人にとって、フランスの歌手といえばベーカーであったことから、彼女のレコードが先に発売されたと思われる。

そして、ボワイエの「聞かせてよ、愛の言葉を(甘い言葉を)」とベーカーの「二人の愛人」は、フランスでは同年の1930年(昭和5年)に発売されている。ともすれば、日本にそれらが輸入されたのは、翌年の昭和6~7年頃だと推測できる。それならば先に記した、菊村紀彦の母親が昭和6年に「聞かせてよ、愛の言葉を」を口ずさんでいたという証言とも一致する。

よって、日本で最初に発売されたフランスのシャンソンのレコードは、

ジョセフィン・ベーカー「二人の愛人(「二つの愛」「二人の恋人」)」

であり、発売年は昭和6年頃と規定できるのである。

(次号に続く)