シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

照井詠三

ジョルジュ・ミルトンをめぐる冒険《下》
ー歌手・照井詠三

前回紹介したフランスの歌手で喜劇役者のジョルジュ・ミルトン。
1932年(昭和7年)、彼が主人公「ブーブール」を演じたもうひとつの映画「靴屋の大将(Le Roi du Cirage=靴磨きの王様)」が、フランスと日本で公開された。

この映画のあらすじを紹介する。駅の靴磨きとして働くブーブールは、客のレビューの女優の靴下を汚してしまい、廃業を余儀なくされる。その後、タクシー運転手に転職すると、街で彼女を見かけて追い回し、大騒ぎになる。しかし、ブーブールは彼女に恋心を抱く。紆余曲折あって、カジノに行ったふたりは賭けに勝ち、大金を得て靴の製造会社を興し、「靴屋の大将」となる、というものだ。

この映画でもミルトンがシャンソンを2曲歌っている。

「T'en fais pas, Bouboule(心配しなくていい、ブーブール)」
「Y m'faut mon pat'lin(僕は故郷が懐かしい)」

この2曲は、「モン・パパ」のときのように、日本ではレコード会社の歌手によってカバーされた。リストは以下のとおり。

昭和7年、太陽レコード
榎本健一「嘆きの靴磨き(T'en fais pas, Bouboule)」×二村定一「もぐりの唄(Y m'faut mon pat'lin)」

ツルレコード
黒田進「打っちゃっとけよブブール(T'en fais pas, Bouboule)」×「あたしやお里がなつかしい(Y m'faut mon pat'lin)」

ポリドールレコード
矢追婦美子「靴屋の大将(Y m'faut mon pat'lin)」×照井詠三「ほっとけブブール(T'en fais pas, Bouboule)」

レコード会社が違えば、同じ曲でもタイトルが異なるという、なんともややこしい時代であった。

今回注目したいのは、ポリドールの照井詠三という歌手である。照井の名前には、照井瓔三、照井瀴三、照井栄三、照井榮三、という様々な表記が存在し、本人が使い分けをしていたようだ。ここでは、詠三を採用したい。

照井は、明治21年に盛岡で生まれた。郵便局で勤める傍ら、アメリカに行きたい!という夢を抱き、明治40年に渡米した。12年、アメリカで生活するなかで声楽に出会い、大正8年にフランスに渡る。そこで2年間、バリトン歌手のもとで修行して帰国した。
日本では、声楽家としてフランス歌曲の普及につとめ、ドビュッシーを紹介したのも彼らしい。YouTubeでは、彼のレコードがアップされているが、歌曲から日本民謡まで幅広く歌いこなしていたようだ。
昭和20年、東京大空襲で死去。

そんな彼のシャンソン「ほっとけブブール」である。この楽曲で一番注目したいのは、ワンコーラス目は日本語、ツーコーラス目はフランス語で歌っていることだ。おそらく、日本人がフランス語でシャンソンを歌ったレコードは、これが最初であろう。
戦後のシャンソン歌手のスタイルであった日本語&フランス語の折衷歌唱は、この時すでに完成していたのである。

さらに、照井の経歴で注目したいのは、文学詩の朗読運動をしていたことだ。照井は、「文学詩は黙読ではなく朗読することで、より深い意味を捉えることができる」という信念のもと、島崎藤村石川啄木の詩や短歌を朗読した。それは、ラジオでも流れ、レコードにも吹き込まれた。ちなみに、レコードにはバイオリンによるBGMがついているらしい。奏者は黒柳守綱黒柳徹子の父である。
彼の朗読運動は評判だったらしく、文学者が自分の作品を朗読するレコードや、戦時中は戦意高揚の詩の朗読レコードが多数作られた。

ところで、終戦後に照井の死を悼んで、再び朗読運動が起こった。中心人物は、照井と親交のあったNHK所属の津田誠。のちに、シャンソン毛皮のマリー(La Marie vison)」などの訳詞を手掛けた人物である。
津田は、照井の自宅に行くと、フランスから持ち帰った詩の朗読のレコードやシャンソンのレコードを聴かされたという。照井の朗読運動の根底には、フランスのシャンソンの影響があったのである。
津田の朗読運動は、あまり盛り上がらずに終息してしまう。しかし彼は、照井のもとで聴いたシャンソンを思いだし、文学詩に曲をつけて歌うことを思い付く。こうしてはじまったのが、レコード会社にとらわれないで日本の民衆の手による楽曲作りを目指した「日本のシャンソン運動」に発展した。
この運動も、結果的には衰退してしまったが、照井のシャンソン愛は、後進の津田に受け継がれたのである。
運動は盛り上がらなかったとはいえ、津田もまたシャンソンの訳詞家として作品を残し、いまなお歌われているのだから、照井への思いにきちんと応えたと言えるだろう。

調べてみて思ったのは、照井に戦後のシャンソンブームを体感してもらいたかったということだ。イヴ・モンタンが歌うプレヴェール、ジョルジュ・ブラッサンスが歌う中世詩、レオ・フェレが歌うボードレールルイ・アラゴンを聴くことができたら、さぞかし喜んだに違いない。
そして、彼ならきっと、日本のシャンソンにも「朗読シャンソン」という分野を築いたに違いないのである。
私が最近サボっている「ポエトリーシャンソン」も、あながち奇抜なものでなかったことが知れて、ひと安心した次第だ。