シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

聞かせてよ愛の言葉を?

聞かせてよ愛の言葉を」という、素晴らしいシャンソンがあります。
原曲は1930年(昭和5年)にフランスでレコード化した、リュシェンヌ・ボワイエの「PARLEZ MOI D'AMOUR」。
そして、昭和7年に日本でもレコードが発売されましたが、そのときの邦題は「甘い言葉を」でした。

では「甘い言葉を」は、いつから「聞かせてよ愛の言葉を」になったのか。私はとても気になりました。

現在「聞かせてよ愛の言葉を」のタイトルで歌われている日本語の訳詞は、このようなものです。

聞かせてよ 好きな甘い言葉
話してよ いつものお話しを
何度でもいいのよ その言葉
「愛す」と

これは佐伯孝夫さんの訳詞で、昭和27年に淡谷のり子さんが歌いました。
しかし、そのレコードには「聞かせてよ、あまい言葉」と書いてあるのです。
タイトルが違うのです!

では「聞かせてよ愛の言葉を」のタイトルはどこからやって来たのか?

答えは、水星社から出版された楽譜集『シャンソンアルバム(4)』にありました。
そのなかに収録されている「あらかわひろし」さんの訳詞のタイトルが「聞かせてよ愛の言葉を」とありました。
この訳詞は、次のようなものです。

愛のその 言葉を 繰りかえし
甘くこの 胸に 囁いてネ
愛のあの 言葉を 心から
私に

つまり今日まで、佐伯孝夫さんの訳詞は、「あらかわひろし」さんの訳詞のタイトルで紹介されていたのです。
なんだか、佐伯さんに申し訳なくなってきました。

ちなみに「あらかわひろし」さんは、牧野剛さんという人のペンネームです。
しかも、牧野さんは「音羽たかし」というペンネームも使っていました。
この「音羽たかし」は、キングレコードに所属する作詞家が共有していたペンネームで、Wikipediaによれば、カンツォーネの「愛は限りなく」という楽曲を訳した「音羽たかし」は牧野さん、ジャズの「テネシーワルツ」を訳した「音羽たかし」は、和田壽三さんという人らしいです。

さらに「聞かせてよ愛の言葉を」の訳詞は、「あらかわひろし」「音羽たかし」「菅美沙緒」の3名の名前がJASRACに登録されていて、この楽曲が何かに使用されると、この3名に著作権料が分配されるらしいです。
つまりこれは、牧野剛さんを「あらかはひろし」として雇用した水星社、そして牧野さんが「音羽たかし」として勤務しているキングレコードに、著作権料が流れるように仕組まれているのです。

何事にも金銭が絡むのが芸能の世界です。しかしながら、一番損をしているのは佐伯孝夫さんです。
今さら「聞かせてよ愛の言葉を」のタイトルを変更するのは難しいですが、せめて私は今後「聞かせてよ、あまい言葉」のタイトルで紹介していこうと思います。

追記
調べてみたところ、昭和34年にビクターレコードから淡谷のり子聞かせてよ愛の言葉を』というタイトルのLPレコードが発売され、佐伯さんの訳詞が「聞かせてよ愛の言葉を」として掲載されていました。
あらかわひろしさんの訳詞が掲載されている『シャンソンアルバム』は昭和38年出版でした。
なので、当初「聞かせてよ、あまい言葉」として発表された訳詞のタイトルが、後年改名されたというのが真相のようです。