シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。htmt-mth@ezweb.ne.jp

日本のシャンソンと渋谷系

異種婚礼ーシャンソンは「渋谷系」と結びつくか?

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1990年頃、日本には「渋谷系」と呼ばれる若者文化がありました。

これは、渋谷にレコードショップが沢山あったことで、様々な音楽が若者たちの間で流行り、それがファッションなどにも派生したムーブメント(流行)を指す、と言われています。ですので「渋谷系」は、特定の音楽ジャンルを表した言葉ではなく、言うなれば「90年代の渋谷の雰囲気」みたいなものだと思います。
私はその頃は幼少だったので、これを文章で説明するのは大変難しく、リアルタイムで「渋谷系」の雰囲気を体感した世代にしか分からないものがあるでしょう。

ところで、そんな「渋谷系」の若者たちの間では、いわゆるフレンチポップスが大変流行していました。フレンチポップスとは、1960~70年代にフランスで流行った、アメリカやイギリスのロックやポップスの影響を受けた楽曲のことを言います。
日本にはシャンソンがあったにも関わらず、なぜ90年代の「渋谷系」で突然フレンチポップスがブームになったのか、私は不思議でした。

今回、1996年に発売された雑誌『ur⑫ フレンチポップス』(ペヨトル工房)を入手しました。
これを読んで「渋谷系」で何故フレンチポップスが受け入れられたのかが、少し見えてきました。
それを通じて、「日本のシャンソン」と「渋谷系」は結び付く余地があるのかを検証します。
これは、もうひとつの「日本のシャンソン史」です。

まずこの雑誌を読んで「渋谷系」では、フレンチポップスに次の2点が重視されていたのが分かりました。

フランス・ギャルの「レトロ&ロリータ」
ブリジット・フォンテーヌの囁き声

まず、フランス・ギャル(France Gall)についてです。ギャルは、1966年にフランスで「夢見るシャンソン人形(Poupée de cire, Poupée de son)」という楽曲がヒットして、アイドル歌手として活躍しました。彼女をプロデュースしたのは、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)です。
ゲンズブールがギャルに求めたのは、アイドルとしての「少女性(ロリータ)」でした。それは無論、大人の男の性的関心を惹きつけるものです。

90年代の「渋谷系」の若者たちにとって、ギャルは30年前のアイドルです。そんな彼女が注目されるようになったきっかけは、当時「渋谷系」を代表するバンドだった「フリッパーズギター」のメンバー、小山田圭吾小沢健二がギャルを評価したことで、そのファンたちが彼女のCDを買うようになりました。こうして、ギャルは若者たちに人気になり、彼女のロリータ性とレトロなファッションが、「渋谷系」の特徴して定着していったのです。

同時に、ギャルをプロデュースしたゲンズブールも、若者たちに知られていきました。しかし、それは彼の「ロリコン」なところや、スキャンダルなところばかりが注目されました。ゲンズブールは、もともとは優れたオールドスタイルのシャンソンを手掛けた人でもあります。「渋谷系」によって、ゲンズブールのスキャンダラスな部分のみ取り上げられ、それがそのまま日本での評価に繋がってしまったことに、私は憤りを感じています。

ところで、ギャルと同じ経緯で「渋谷系」に受け入れられたのが、男性歌手のピエール・バルー(Pierre Barouh)と彼のレーベル「サラヴァ(Saravah)」です。
バルーは映画「男と女」の音楽を手掛けたことで、シンガーソングライターとして活躍しました。そんな彼が自身の楽曲や気に入ったアーティストのレコードを出した自主レーベルが「サラヴァ」です。
当時バルーは、フランスと日本を拠点に活躍していました。そんな彼の「サラヴァ」のレコードを日本で取り扱ったのが、「渋谷系」の音楽をプロデュースしていた牧村憲一です。彼によって、バルーと「サラヴァ」のレコードは、若者たちに広まっていきました。
なので日本における「サラヴァ」の楽曲の受け皿が、たまたま「渋谷系」であったわけで、バルーが「渋谷系」と結び付いていたわけではありませんでした。

次に、②のブリジット・フォンテーヌ(Brigitte Fontaine)について見ていきます。フォンテーヌは、奇抜なパフォーマンスと、既存のシャンソンを全否定した前衛的な楽曲を手掛けた「反体制」の歌手です。1971年に彼女が「サラヴァ」レーベルから発表した代表曲「ラジオのように」は、聴いていて恐怖すら感じる仕上がりです。
フォンテーヌの特徴は、囁くような歌い方です。「渋谷系」で注目されたのは、彼女のアバンギャルドな姿勢よりも、その歌い方でした。
そもそも、フォンテーヌの「ラジオのように」は1972年に日本でも紹介されており、音楽評論家の間章が評価したことで、すでにカルト的な人気がありました。彼女のアバンギャルド性は、こちらで受け入れられていたのです。

フランス・ギャルの「レトロ&ロリータ」と、ブリジット・フォンテーヌの囁き声は、「渋谷系」に何をもたらしたか。
それは、「渋谷系」の若者たちが思い描いた、独自のフレンチポップスのイメージでした。つまり、彼らにとってフレンチポップスのイメージは、「レトロな服装のロリータが、囁き声でフランス語の歌詞を歌う」というものに固定されてしまったのです。無論、これは誤ったイメージです。

しかし、その独自のイメージを体現する歌手が「渋谷系」に登場します。女性歌手のカヒミ・カリィです。
92年、カヒミ・カリィは先に述べた小山田圭吾のプロデュースでメジャーデビューしました。アニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌にもなった、彼女の代表曲「ハミングがきこえる」のミュージックビデオは、まさに上記のフレンチポップスのイメージを体現したものになっています。いま聴いても、お洒落で人を惹きつける魅力に溢れていると思います。
https://youtu.be/jgxmgtJ2Lc8

そして、現代にこのイメージを継承するのが、日本で活躍するフランス人女性歌手のクレモンティーヌ(Clementime)です。彼女のボサノバ調の楽曲は、まさに「渋谷系」のイメージに符合します。

これを見て分かるように「渋谷系」では、フランスの楽曲をもとに、日本人の手によって新たな作品を創作することで、流行として発展しました。
一方で「日本のシャンソン」はフランスの楽曲を日本語でカバーすることで発展しました。
渋谷系」と日本のシャンソン、根本的な違いはここにあります。もちろん、両者に優劣はありません。

こうして見ると、「渋谷系」と「日本のシャンソン」は、別種のものであり相容れません。しかし、この両者を結び付けた歌手が一人だけいます。
女性歌手の戸川純です。

戸川は「渋谷系」に分類される歌手ではありません。しかし彼女の表現のスタンスは、「渋谷系」と「日本のシャンソン」双方に通ずるものがあります。

戸川は女優としてデビューし、84年に生理を歌った「玉姫様」を発表して歌手活動を始動しました。彼女は、いまも活躍していますが、表現のタブーに切り込んだ歌詞とパフォーマンスは、根強い人気があります。

戸川の歌声は、まさにブリジット・フォンテーヌのような不穏さと、セルジュ・ゲンズブールが生前最後に手掛けたロリータ歌手、ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)を彷彿とさせます。
そんな彼女の楽曲で注目したいのが、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)のカバー「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」です。
https://youtu.be/mnlft9kLe_4

これは1985年に戸川が発表したもので、どんなことがあっても待ち続ける女のイメージと、情念に満ちたセリフは、まさに「日本のシャンソン」のドラマティック性そのものと言えます。
さらにミュージックビデオでは、戸川がナース服で日本の国旗を振っています。これは従軍看護婦のように見えます。さらにセリフのなかにある「たとえ大惨事が起きたってー」は、映像を見ることで「大惨事」が「第三次世界大戦」の比喩になっているのが分かるようになっています。こうした皮肉な詩的表現は、まさにシャンソン的だと言えるでしょう。

以上のことから、私は「渋谷系」と「日本のシャンソン」が結び付くことは、戸川純によってすでに体現されており、現在その余地はないと判断しました。
いま「渋谷系」と「日本のシャンソン」が結び付くには、戸川純越路吹雪がかけ合わさったような強烈な個性とカリスマ性を秘めた歌手が出現しなければ、大成しないでしょう。それはもはや、AIや初音ミクなどの仮想領域に思えてなりません。
ただ、もしこのふたつの異文化を統合するカリスマが出現したとき、日本のシャンソンはとてつもない変貌を遂げることは間違いないでしょう。