シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

宇井あきら 作曲集

シャンソン歌手にして作曲家としても活躍した宇井あきら。

大正10年、東京生まれ。武蔵野音大卒業後、NHKの専属歌手となり、オペラ歌手としても活躍する。
昭和28年、作曲家の高木東六のもとでシャンソンを学び、シャンソン歌手としてデビューし、歌手として指導者として活躍した。
昭和38年からは作曲家としても活動した。
平成21年、没。

昭和45年のレコード大賞に選ばれた菅原洋一「今日でお別れ」(作詞・なかにし礼)は、宇井の代表曲だが、彼が手掛けたその他の楽曲についてはあまり知られていない。
今回、それを知る手がかりとして

『たった一人のエトランジェー宇井あきら作品集ー』(ポリドール)

というカセットテープを入手した。

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これは宇井が、訳詞家の津田誠や薩摩忠、山本雅臣、永田文夫中原淳一、さらには女優の葦原邦子などが書いた歌詞に曲をつけている。
それを、宇井のもとでシャンソンを学んだ歌手14人が歌っている。

このカセットの収録曲は、宇井がパリをはじめヨーロッパを旅しながら触れた音楽をもとに作られたとある。
確かに、「ロカ岬」はポルトガルのファド風、「海辺のバラード」はシャンソン風である。宇井が、日本人がイメージするヨーロッパの音楽のステレオタイプに見事に嵌った曲作りをしていたのが伺える。

宇井が、ヨーロッパの音楽に根差した作曲をしていたのは、師の高木東六の影響だ。
高木は、日本人の民衆の手による音楽の創出を目指した「日本のシャンソン運動」の推進者であり、シャンソン歌手は自身の楽曲を自ら作るべきだと主張していた。これは今でいうシンガーソングライターであるが、宇井は高木の理想を弟子として実現したことになる。
宇井が手掛けた楽曲を聴いていると、師から弟子へ、そして宇井の後進の歌手へと受け継がれる信念のバトンを思わずにいられない。

ところで、今回このテープを聴いて気になったのは、「夢を見ましょう」という楽曲を歌っている横井浩二という人物だ。物腰の柔らかいダンディーな歌声が、非常に印象的であった。
手持ちの資料やインターネットには、一切情報がなく、大変気になる人物である。

追記
横井浩二氏は、銀座のシャンソニエ「蛙たち」の元オーナー・横井公二氏とのことでした。美雲様、御教示ありがとうございました。