シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。htmt-mth@ezweb.ne.jp

塚本邦雄とシャンソン

塚本邦雄とシャンソン

ネットニュースに、辻原登氏による
塚本邦雄『薔薇色のゴリラ―名作シャンソン百花譜』(北沢図書出版)
の書評が載っていた(初出は2014年)。

塚本邦雄は、短歌の歌人。戦後の現代短歌の巨匠である。作歌の技術力はもちろん、日本の古典からヨーロッパの文学や歴史、芸術に精通した博学ぶりで美意識も高く、まさに知の巨人であった。
百年の逸材とは、この人のことだと言っても過言ではない。

塚本の『薔薇色のゴリラ』は、シャンソンについての本を読もうとしたら、最初に検索ヒットするものだろう。
しかし、これはシャンソンの専門書ではない。塚本が偏愛するシャンソンの楽曲と歌手について、主観で綴ったエッセイである。
とはいえ、塚本は博識と美意識の人だ。ゆえに「主観」といえども、それは教養に裏打ちされた高度なものであり、誰もがそれに太刀打ちできず、鵜呑みにしてしまう説得力があった。まさに「白いものを黒と言えば、黒になる」状態である。

塚本が、こうした自己に偏ったシャンソンの本を書いたのには、シャンソン評論家の蘆原英了への反感がある。蘆原は、シャンソンを多く日本に紹介した人物であるが、彼は「フランスのシャンソンは何でも素晴らしい」という言説をしてきたため、自分の意見を主張をしてこなかった。
一方で塚本は、最も愛したジョルジュ・ブラッサンスに対しても、「名作と言うに足りるものは五指に満たない」と厳しい鉄槌を下すくらい、厳しい批評眼を光らせている。

塚本の博識と美意識をもって、シャンソンを論じることは、「アンチ蘆原」の標榜に他ならない。そして、蘆原以降に登場した永瀧達治や蒲田耕二などのシャンソン評論家は、塚本に追随した論法を展開した。しかし、塚本のような一度読めば誰もが有無を言わさず納得させる、ある種の鮮やかさをもった論考や著作を書いた人は、いまだいない。
『薔薇色のゴリラ』は、シャンソンの研究には使えないが、日本のシャンソン評論の歴史を見る上では、ターニングポイントのような書籍だと言えよう。

塚本がシャンソンを好きになったのは、太平洋戦争前夜の学生時代に、レコード6枚組の『シャンソン・ド・パリ 第2集』を手に入れて、その音楽性に感激したからである。以来シャンソンのレコードを集め、戦時下で押入のなかで周りから聞こえないようにこっそりレコードを聴いて親しんだが、それらは空襲で灰になったという。彼にとってシャンソンは、穏やかな時代の思い出の象徴でもあった。
戦後は、シャンソンにあまり興味を示さなかったが、フランスの詩人が書いた文学詩に曲がつけられた楽曲がもたらされると、塚本のシャンソン愛は再熱する。こうして、彼はシャンソン愛好家としての顔を持つようになる。

塚本は、自身の短歌でもシャンソンを題材にしている。例えば、自選歌集『茴香變』(ういきょうへん)の一首、

青春は一瞬にして髭けむるくちびるの端の茴香のoui!

は、髭面のジョルジュ・ブラッサンスに寄せたものだ。茴香(ういきょう)は、ハーブの一種でメントス系の香りがするらしい。青春時代が過ぎて髭面でも、そのくびるから発せられる歌声には爽やかな若さ(エロティシズム)が漂っている、といった内容か。これは、塚本からブラッサンスへの恋歌なのだ。
ちなみに、この歌集は音楽評論家の間章によって、ブラッサンス本人に届けられたらしい。ブラッサンスは「意味を訳せ」と言ったが、間は口ごもったという。評論家同士、恩の貸し借りはしない姿勢の表れだろう。

『薔薇色のゴリラ』に、収録されていない塚本のシャンソン論もある。
オーマガドキレコードから発売された
『ポエジー・エ・シャンソン Vol. 2 ジョルジュ・ブラッサンスのすべて』
の歌詞カードに寄稿されている
ジョルジュ・ブラッサンス考」(1987年9月)
は、なぜか単行本未収録である。

もうひとつは、
『サッフォイズム 紅茶中毒患者の雄叫び』
という書籍に寄稿された
「堕天国頌歌」
だ。
これは、モロッコ出身の女性フレンチロックシンガー、サッフォーの論考である。意外にも、塚本はサッフォーを高評価していたのである。
きっかけは、永瀧達治から贈られたサッフォーのCDに、アルチュール・ランボーの詩「谷間に眠る男」に曲がつけられたものが収録されていたからだ(イヴ・モンタンが歌った楽曲とは別物)。塚本は、サッフォーの「谷間に眠る男」から、詩人を辞めて武器商人として砂漠を横断した擦れっ枯らしのランボーの姿を見たという。サッフォーは「文学シャンソン」を愛する塚本の心を掴んだのである。
そして塚本は、サッフォーのシャンソンにアラブの雰囲気を感じることも気に入っている。シャンソンは多国籍文化であり、その国々の伝統音楽をフランスの雰囲気と融合させるセンスに、面白さを見いだしていた。

塚本を歌人としてでなく、シャンソンを視点に論じても、まだまだ書き足りず、こちらの息が上がってしまった。
大きな背中を追ううちに、脚がもつれて倒れてしまったような気持ちである。

https://www.excite.co.jp/news/article/AllReview_00005819/