井関真人ゑがく、その美の世界
10月10日(月)、札幌のパークホテルで開かれた「ブーケ・ド・シャンソン」というディナーショーに伺いました。
私は受付係でしたが、無理を言って、トリをつとめられた井関真人さんのステージを拝見させていただきました。
井関さんのレパートリーの数々が披露されるなか、私の印象に残ったのは、シャルル・アズナブールが原曲の「昔がたきの恋」という曲でした。訳詞は、仲代圭吾さん。
この曲の最後、井関さんは、客席に背中を見せて、右手で老いた夫の首に手をまわす妻を演じておりました。
身体で妻を抱き寄せる夫を演じつつ、右手はその首筋に這わせる妻の手を演じ、夫が冗談を言えば、妻はパチン!とその首筋を叩く。
その姿は、竹久夢二の絵を彷彿させるものでした。
客席はニヤニヤと笑っておりましたが、私は「ああ、竹久夢二の絵がステージに現れている」と感嘆したものです。
竹久夢二の絵は、人体のデッサンがデタラメで、でも均衡が整っていて、観る人が美しく感じるように描かれているそうです。
言うならば、肉体を酷使した美しいプロポーションを、井関さんはステージで描いていたのです。
受付係の縁もあり、私は打ち上げにお招きいただきました。そこで、井関さんは、
「難しいものを面白く、面白いものを楽しく」
ということを座右の銘に、シャンソンに向き合って来られたというのを語られました。
シャンソンという音楽を難しく捉えて、偏屈になっているうちは、井の中の蛙だということだと思います。
とはいえ、それを脱却するために、竹久夢二の美の世界を、歌で肉体で表現することは、いかにストイックで険しい道だったか、を私は考えるのです。
井関さんは、シャンソンを面白く、可笑しく、観る人や聴く人の感情に迫る表現を目指して、それを認められるまで、大変なご苦労をされたと、たった一言仰いました。その詳細は何も語られませんでしたし、私も深く質問しませんでした。
ですが、竹久夢二の絵のなかにある非現実な美のプロポーションを、自らの肉体でステージに描くまでの境地に至るまで、どれだけ骨身を削られたのか、私には想像ができません。
シャンソンという、一音楽ジャンルに心血を注がれた証に、私は深く感動し、そこまで私自身がシャンソンという音楽にのめり込めるかと、戦々恐々といたしました。
井関真人ゑがく、その何者にも犯されぬ美の世界に、私は感動し、ノックアウトされたのでした。