シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

シャンソン歌手は、ドイツ・カバレットソングを歌うか

 

🇩🇪シャンソン歌手はドイツ・カバレットソングを歌うか

「Cabaret Song Night」於・神戸「サンジャン」
を鑑賞しました。

これは、第一次世界大戦後からナチスドイツ成立までの、1920~40年代にドイツで活躍した作曲家の楽曲を特集したコンセプトライブでした。
「サンジャン」は、シャンソニエですが、今回はシャンソンは全く歌われず、シャンソンの歌い手がドイツの楽曲を歌い継ぐという、実験的なひとときでもありました。

竹下ユキさんはクルト・ヴァイル、須山公美子さんはハンス・アイスラー、海江田文さんはフリードリッヒ・ホレンダーの作品を披露されました。ピアニストは吉田幸生さん。

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まず、このライブのタイトルである「カバレット・ソング・ナイト」について見ていきます。
「カバレット・ソング」とは、ドイツのキャバレーで歌われた楽曲のことを指します。
クルト・ヴァイル、ハンス・アイスラー、フリードリッヒ・ホレンダーは、この「カバレット・ソング」を実際に作ったり、それに影響を受けた曲作りをしていました。

「カバレット・ソング」を知るためには、ドイツのキャバレーの成り立ちを見ていかねばなりません。
そもそも、キャバレーが最初に登場したのはフランスでした。19世紀後半、フランスのモンマルトルで、酒を飲みながら、歌手が世の中を風刺したシャンソンを歌い、それに客が野次を飛ばしあうというお店が登場し、ブームとなります。ちなみに、現在のシャンソンの祖と言われるアリスティード・ブリュアンは、こうしたお店の人気歌手でした。

このフランスの店を訪れたドイツの旅行者が、そのスタイルに驚き、自国に持ち帰ったのが、ドイツのキャバレーのはじまりでした。
当時のフランスのシャンソンを真似て、世の中の風刺や、政治批判を盛り込んだ楽曲が作られ、キャバレーで歌われるようになったのが「カバレット・ソング」のはじまりです。
また、それと同時に文学の世界でも、「これからの文学詩は、文字で読むだけでなく声に出して歌われるべきだ」という考え方が広まっていきます。そして「歌うための文学詩」が、キャバレーで披露されるようになります。
加えて、オペラとミュージカルの合の子のような「オペレッタ」の歌手がキャバレーに出演し、劇中歌を歌うこともありました。
ドイツのキャバレーは、時代風刺や文学色、演劇色、娯楽色の高い場所だったといえます。

これを踏まえて、このライブを鑑賞しますと、ハンス・アイスラー、フリードリッヒ・ホレンダーの作品は、「カバレット・ソング」の影響を濃厚に受けているのが分かりました。
権力批判、ジェンダーイデオロギーをテーマにした楽曲が、戦前ドイツのイメージを体現したような優雅かつ厳粛なメロディで歌われていきます。
一方で、クルト・ヴァイルの作品は極めてポピュラー路線なメロディであることに気づきした。クルト・ヴァイルは、当時は音楽だったジャズに影響を受けたのが反映されているのだと感じました。クルト・ヴァイルの作品が、日本のシャンソンの世界で歌われたのは、そのポピュラー性だったのでしょう。

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シャンソン歌手が「カバレット・ソング」を歌うとき、楽曲に対してどのように向き合うのか、というのを考えました。
須山さんと海江田さんは、原詞に忠実に、ドイツのキャバレーの雰囲気を再現するように歌われておられました。
第一次世界大戦に負けて巨額の賠償金が課されて国民の暮らしが困窮した時代のなかで、風刺や思想、政治批判が声高らかに歌われることが文化の発展に繋がり、同時にナチスを支持するファシズムへの傾倒が強くなっていった時代の、夢と退廃が混ざりあった世界観は、今の時代を生きる我々に警鐘を鳴らすものだと感じました。

その一方で私は、歌人の塚本邦雄さんの有名な一首を思い浮かべていました。

「突風に生卵割れ、かつてかく撃ち抜かれたる兵士の目」

前半に突然に生卵が割れるという、突拍子もない、かつアニメーションのような情景が詠まれ、後半で戦場の兵士の目が撃たれたことを詠んでいます。これは、生卵が割れて中身が飛び散った様を通じて、兵士の目が撃ち抜かれた様を比喩をもって描いたものです。
ここにあるのは、戦争の悲惨さを訴えるためには、直接的な表現よりも比喩、悲惨さよりも笑いを用いたほうが、よりメッセージ性やリアリティーが生まれてくるということです。

そして、こうした技に長けていたのが、なかにし礼さんや矢田部道一さんといった、シャンソンの訳詞家でした。彼らの作品が今なお古びないのは、何気ない言葉で壮大なドラマを描ききっているからでしょう。
こうした訳詞の技こそが、世にいう「シャンソン風」「シャンソンの雰囲気」であるといえます。
日本のシャンソンの世界で培われたものを、カバレット・ソングに当てはめたとき、シャンソン歌手がカンツォーネやファドをレパートリーにするように、ドイツの楽曲もメジャーになっていくのではないか、と私は思います。

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最後は、ライブで印象に残った楽曲を。

竹下ユキさん「アラバマソング」
オペレッタ「マハゴニー市の興亡」の挿入歌。出稼ぎに来た娼婦が「私にお酒を貢いでください、さもなくばアラバマの月にサヨナラせねばなりません」と歌います。この簡素な歌詞に、クルト・ヴァイルは「神聖と俗悪」を音楽で表現しました。
竹下さんは、この世の悦楽と地獄の全て知り尽くした天使のように、高らかに歌い上げられました。スポットライトに潤んだ瞳のなかに白刀のような閃光を見たのは、私だけではないでしょう。

須山公美子さん「ナチ兵士の妻のバラード」
ナチスが占領したヨーロッパの国々から、兵士である夫が妻にお土産を贈るが、最後はロシアから喪服が届くという内容。ドイツがソ連と戦って大敗した史実を暗示しています。
この楽曲でのナチス批判、戦争批判の方法は、上で述べたシャンソン的なアプローチであると思います。カバレット・ソングに可能性を感じた1曲でした。

海江田文さん「セックスアピール」
歌詞のなかに「#Metoo(ハッシュタグ、ミートゥー)」が出てきて、ハッとしました。
女優たちが、芸能関係者から受けたセクハラや性的暴力を告発した「#Metoo運動」。
セックスアピールをして女優の頂点に君臨し、彼女に手をつけた男たちをスキャンダルで追放するという内容でした。これを狡い女と捉えるか、男性社会で強く生きる女と捉えるかが、聴き手に委ねられる面白い曲です。