シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

中村力と五人の美魔女

2023年3月31日、上野「Qui」にて催された
中村力と「五人の美魔女」」
の昼公演を観賞した。
なお、槇小奈帆様はご事情があり欠席され、四人の美魔女のステージであった。

強行の日帰り旅行に加えて、突然の飛行機遅延などのトラブルに見舞われ、主催者様にご迷惑をおかけしましたが、格段の配慮をたまわり心より感謝申し上げます。

開演20分後に入店し、香川有美様のステージを途中から観賞する。
香川様の歌声は、大波に立ち向かうかような感情のうねりを歌声にのせて、客席の海に投げ掛けるような壮大な世界を感じた。「夜は泣いている」からフィナーレの「水に流して」の大サビでは、香川様自身が大きな波になって飛沫を上げ、それを聴き手が抱き締める、圧巻のステージであった。

かいやま由起様は、一輪の薔薇である。
上手からステージまで歩み、振り返った瞬間に、ステージに気高い薔薇が咲いた。
このステージでは、かいやま様の「人々の言うように」「遠い思い出」に強く惹き付けられた。共にストーリー仕立ての歌詞になっているが、かいやま様は物語の朗読者ではなく、登場人物の独白として歌われる。
そこに描かれた生きずらさや未練を抱えて生きる人々の憂いや凄惨さが、かいやま様の歌声にと表情、一挙一動に表れていた。そして、それらに聴き手は自分を重ねて、心がじわじわと痛むのを感じるのである。

渡辺歌子様は、例えるならば一冊の詩集だろうか。それも、その表紙を見れば中に記されている詩の一編が連想されるような、長く愛読して紙が柔らかくなった詩集である。
渡辺様の歌声は、人の喉から口を通して言葉が生まれる瞬間に立ち会えるものだ。歌詞の世界観より前に、音声としての言語の美しさに心が留まる。
「マリーAの思い出」は、その言葉の美しさを堪能し、渡辺様が歌い終えたときに一編の切ない物語が完成したことに気がつく1曲だ。言葉がジグソーパズルのピースで、それを埋めていくと1枚の絵が現れる、歌い手の聴き手への信頼のもので紡がれる楽曲であった。

トリの瀬間千恵様は、魔女にはもったいない、聖女である。
瀬間様が歌った楽曲、ステージを踏みしめた足跡に、奇跡を起こす聖水の泉が湧くような、崇高さに満ちていた。
印象に残ったのは、「過ぎ去りし青春の日々」である。

まるでこの空 絵にかいたみたい
あまりに青すぎて 別世界みたい
死ねたらいいのに こんないい日には
走っていきたい でもどこまでいけるの

この楽曲の大サビを歌い上げたあと、瀬間様は小さなため息を漏らした。それがマイクに入ったのである。
その瞬間、私はこの楽曲の「生きたいように生きれない人生」という問いに対する、瀬間様の答えを見たような気がした。
瀬間様の小さなため息に、氏が長い人生のなかで経験したことから導き出した答えがこもっているように感じた。
それは、まさに禅問答である。
そのため息に、私は瀬間様の命の息吹を感じたのである。

バイオリンの伴奏をなさった渡辺剛様は、高校時代に好んで聴いていたゴシック&ロリータユニットの専属バイオリニストであった。このステージのシャンソンの伴奏を聴きながら、ひそかに十代の頃を懐かしんだ。

そして、ピアニストの中村力様は、楽曲の伴奏の合間に歌手を見つめて、フッと笑顔になるのが印象的であった。中村様は歌い手を愛しているのだと感じた。伴奏をしながら、歌い手の手技の見事さに唸り、そして微笑む中村様こそが、このライブの大輪の花であった。