昭和7年、日本初のシャンソンのみで構成されたリサイタルが開かれた。
フランス留学帰りの声楽家・佐藤美子さんによる「巴里流行歌の夕」である。
このリサイタルは、帰国した佐藤美子さんが、早速フランス語によるオペラの独唱会を開くも「フランス語では日本人には分からない」と酷評され、さらに日本語で独唱会を再演するも「フランスで学んできたのに日本語で歌うとは何事か」と誹謗されたことに業を煮やして、留学時代に交際していた鈴木崧さんに相談したところ「パリの流行歌だけでプログラムを組んで、リサイタルを開いてみたら?」とアドバイスを受けたことで催された。
当時は「シャンソン」という言葉が一般的ではなかったため「巴里流行歌」という言葉が造られた。
そして、このリサイタルは当時にしては破格そのもので、佐藤美子さんはドレスアップをせずに、パリの下町娘の姿に扮装し、歌いながら客席を歩き回ったり、ステージから風船を飛ばしたりして、まさにパリの劇場のレビューを再現したものだった。
これまで「巴里流行歌の夕」については、小出しの情報しか得ることができなかった。
しかしこの度、12年ぶりにこのリサイタルのプログラムがオークションに出品されたことで、ようやく「巴里流行歌の夕」の全貌を知ることができた。
今回入手したのは、11月12日に大阪の「朝日会館」で開かれた公演のプログラムである。
このリサイタルは、9月19日に東京の「日本青年館」で初演、12月には「京都公会堂」で再演されていることが分かっているので、東京と関西で公演が開かれるほどには人気を得ていたのがわかる。
いまだに、日本初のシャンソンのリサイタルとして語られるのは、東京と関西で複数回公演が開かれたからであろう。
「巴里流行歌の夕」の主催は朝日新聞社会事業団、伴奏は宝塚ジャズバンド、賛助出演は声楽家の内田栄一さんとある。
そして全ての楽曲の編曲は、作曲家の倉重瞬輔(舜介)さん。
倉重さんは、フランスに留学してラヴェルと交流をするかたわら、パリのシャンソンの魅力に惹かれて、帰国後は自身の和製シャンソンを藤田嗣治の愛人マドレーヌに吹き込ませたり、シャンソンを紹介する記事を雑誌に投稿したり、「シャンソン」という言葉を日本に定着させたりした、音楽家にしてシャンソンのプロデューサー、評論家のような人だ。
佐藤美子さんと倉重さん、さらに宝塚もタッグを組んで、当時のシャンソン愛好家たちが総力を挙げたリサイタルだったのがわかる。
公演で披露された楽曲は、全て賛田一誠さんという人の訳詞である。
今回、賛田一誠さんという人物の特定には至らなかったが、私はこの人は鈴木崧さんのペンネームなのではないかと思っている。
曲目は以下の通り。
第1部
忍ぶ恋に
プレジャンの船唄 内田栄一歌唱
サ・セ・パリ
昔し恋しや
かっぱらいの一夜 内田
異教徒の恋歌
プエ・プエット
第2部
すみれ
巴里の屋根の下 内田
のりあい船
みんな知ってる
一緒に踊れば
懐しのパリ
さらば巴里
プログラムは、オペレッタの挿入歌、映画主題歌、パリのレビューの人気曲で構成されている。
原語の曲名が記されていないので、半分くらいは楽曲の特定はできない。
しかし、「プレジャンの船唄」「かっぱらいの一夜」「巴里の屋根の下」は、アルベール・プレジャン主演の映画主題歌で、「サ・セ・パリ」はミスタンゲット、「すみれ(ラ・ヴィオレッタ)」はラケエル・メレ、「懐しのパリ(二つの愛)」はジョセフィン・ベーカーのレビュー曲なのは分かる。
佐藤美子さんは、宝塚歌劇団やフランス映画で当時の日本人には馴染みの楽曲を、パリのレビューの雰囲気で歌うことで、フランスの最先端の芸能を紹介したのが窺える。
佐藤美子さんは、日本で最初にシャンソン中心のリサイタルを開き、そのステージでパリのレビューの雰囲気を再現したことが、先駆的であり今なお伝説として語り継がれる所以だったと言えるだろう。
佐藤美子さんは、生涯「声楽家」であることにこだわり、「歌手」と呼ばれることを嫌ったゆえ、公的には彼女のシャンソンの音源は残っていない。
しかし、ここまで調べたのだからぜひとも聴いてみたいというのが、研究者の欲望というものである。