シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。

石井好子さんのパリ時代のレコードを発見

石井好子さんのパリ時代のレコードを発見 

きっかけは、ネットオークションに、箏曲家の唯是震一さんのフランス版のレコード「日本の歌(au Japon)」が出品されていたことだった。
「フランスで琴のレコード?」と思って見てみると驚いた。
ジャケットには「YOSHIKO」と記され、日本髪の女性の肖像はまぎれもなく石井好子さんだったからだ。 

早速入手して聴いてみると、収録されているのは「さくらさくら」「平城山」といった叙情歌5曲と、唯是さんによる琴の独奏2曲である。
石井好子さんは、曲がはじまる前にフランス語で曲紹介をし、琴の伴奏にあわせて日本語で歌唱している。
石井好子さんの歌声は、声楽のテクニックをベースに、長唄などの邦楽の歌い方を掛け合わせたものであり、それが琴の音色と相まってファンタジックな印象を醸し出している。

収録曲は次の通り。

「かぞえうた」
「子守唄」
「春の曲」(箏曲
「さくらさくら」
「猫うた」
源氏物語」(箏曲
平城山

ジャケットの裏には石井好子さんの経歴が記されている。
私はフランス語に不通だが、そこには
石井好子さんはフランスやベルギー、スイスのキャバレーで日本とフランスの楽曲を歌っている。ダニエリーのラジオ番組、キャバレー「アンドレ・パスドックの家」に出演している」
といったことが書かれているようだ。(求む翻訳)

この情報を、石井好子さんの自伝『私は私』(岩波書店)と照らし合わせてみよう。

石井好子さんは、1951年12月にシャンソンを学ぶためにアメリカからパリに渡った。
このとき石井好子さんは30歳だった。
そして、パリのシャンソンの店「パスドックの家」の専属歌手になる。
この店は、アンドレ・パスドックという男性歌手が経営しており、石井好子さんは耳馴染みのシャンソンと「さくらさくら」といった日本の叙情歌を着物姿で歌った。
それから間もなく、石井好子さんは「グランド・オーケストラ」という舞台中継番組に出演してジョセフィン・ベイカーの「二人の恋人」を歌ったことで、「貞奴以来の日本人歌手」としてメディアを賑わせた。
1952年3月頃からは、芸能マネージャーと知り合い、マドリード、ドイツ、ローマの劇場に出演している。
この自伝によれば、石井好子さんはベルギーにはドイツ公演の帰り道で足止めをくらって降り立ったとある。

そして同じ頃、石井好子さんは「海辺のほとり」というラジオ番組の準レギュラーだった。
これは、マダム・ダニエリという女性がプロデューサーで、外国の音楽や詩、物語を取り上げる内容だった。
そこでも石井好子さんは「さくらさくら」や「平城山」を歌ったとある。

やがて、石井好子さんはきちんとフランス語を話し、パリで生活することに慣れたいと思うようになる。
そして、同年5月からはパリのキャバレー「ナチュリスト」で365日休みなしの出演契約を結んだのであった。

ここから推測されるのは、このレコードは石井好子さんが「ナチュリスト」に出演する前、1952年4月頃に吹き込まれた音源であるということだ。
まさに「シャンソンの女王・石井好子」の産声である。
石井好子さんの自伝ではこのレコードについて言及されておらず、新発見の資料だと言えよう。

とはいえ、謎は残る。
それは琴を伴奏した唯是震一さんのことだ。
1952年の唯是震一さんは東京藝術大学に在学中であり、同年に「邦楽コンクール」(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞をしている。
しかし、このレコードの説明には、
唯是震一さんは、パリの「テアトル・カブキ」に出演した」(求む翻訳)
といったことが記されている。
なぜ、唯是震一さんがフランスのレコードで演奏の録音の機会を得たのか、さらなる調査が望まれる。