先日、片耳がいよいよ聞こえなくなり、もうシャンソンを聴くのは無理かなと観念しております。
そのため、最近はお誘いいただいたライブなどをお断りしておりましたが、今日はクミコさんのコンサートがあり、そちらはすでにチケットを買ってあったので、観覧しました。
もしかしたら、私にとってこれが最後のコンサートの観覧になるかもしれません。

今回のクミコさんのコンサートは、「人生は美しい、シャンソンティックな歌たち」というタイトルで、ゲストは竹島宏さんとドリアン・ロロブリジーダさん、伴奏は大貫祐一郎さんであった。
クミコさんにとって「シャンソンティック」とは何だろうか、と私は考えた。
今回のプログラムを通じて、クミコさんはシャンソンで「運命の理不尽」「人間の狂気」「絶望からの希望」を歌いたいのではないかと思った。
例えば、街の人混みに揉まれるゼスチャーをしながら歌う「群衆」では、自分の思い通りにならないで引き裂かれていく運命を表していた。
また、「バラヲ、バラヲ、クダサイ、ヒャクマンボンノ、バラヲクダサイ」と片言で絶叫する「百万本のバラ」は、「街中のバラを贈る」という凶々しい恋狂いを表現している。
そして、「人生は美しい」「愛しかない時」は、まさに絶望的な状況でも希望を見出そうとする健気な思いが歌われている。
これは初めて知ったことだが、「人生は美しい」には佐世保空襲を経験した古賀力さんが防空壕から出て見た夜明けの光景が描かれているという。
クミコさんにとって「シャンソンティック」は「ロマンティック」を単にもじったものではない、表現者としての信念が込められているように思った。
ゲストの竹島宏さんは「巴里の屋根の下」を歌われた。
いまではこの曲がシャンソニエで歌われることはめったにないが、かねてより私は若手演歌歌手が、この牧歌的なシャンソンを歌ったらどんなにか面白いだろうかと思ったので、とても満足した。
ドリアン・ロロブリジーダさんは「それぞれのテーブル」を歌われ、ちあきなおみさんへのリスペクトを感じた。
私は、アコースティックで歌われた「帰ろかな」(北島三郎)に強く惹かれた。