『シャンソンマガジン 2024冬号』(歌う!奏でる!プロジェクト)に寄稿しました。
今回は、巻頭特集の岸洋子さんについて執筆しました。
岸さんは、歌手としてのスケールが大きく、そして壮絶な生涯を歩まれたことが、歌の魅力に繋がっているのを再確認しました。
他のページでは、今年亡くなられた有馬泉様の追悼記事があります。
有馬様と御息女様には、私がラジオ番組を持っていた際に多大なお心くばりを賜りました。
そのご恩に感謝しながら、ご冥福をお祈りしました。
「アパッシュの唄」という和製シャンソン
岡大介さんは、明治大正の演歌師(演説歌)の系統を継ぐ人である。
今回、すすきのの飲み屋数軒を岡さんが「流し」をするというので、「焼き鳥じゃんぼ」さんの一席で観覧した。
演説歌は、自由民権運動の高揚とともに発展したので、歌詞に政治批判や社会批判が盛り込まれる。
正直それを聴くというのはどんな心地だろうか、という不安もあった。
だが、今回の岡さんのライブを見て、この演説歌というものは非常に面白く痛快なのが良くわかった。
昭和歌謡や、明治大正のはやり歌で盛り上げながら、場が湧き上がったところで、さらりと皮肉を歌ってみせる。
それは自分が頭の中で思っていたことで、それを演歌師が代弁してくれて、それによって周りの観客たちも盛り上がる、その場の連帯感が楽しかった。
なので、これはライブハウスで耳を傾けるものではなく、盛り場や街角のガヤガヤしたなかで聴くものだと思った。
これぞ「流し」という芸なのである。
さて、今回私は「アパッシュの唄」という楽曲をリクエストした。
これは、大正時代に作られたパリを舞台にした楽曲で、日本最古の和製シャンソンである。
アパッシュとは、モンマルトルで強盗などに手を染めていた若者のことだという。
「花の巴里のどん底で、貧しさゆえの盗みの稼業。顔で笑って、心で涙」といったような歌詞である。
大正時代の日本も貧富の差が激しい社会であり、フランスのパリとてそれは同じ、という意味合いで作られた楽曲だと思われるが、その内容が同時期にモンマルトルの歌手、アリスティード・ブリュアンが歌っていた現実派シャンソンと共通するのは驚くべきことだ。
おそらく当時の演歌師や音楽家は、「シャンソン」という名前は知らずとも、フランスにも生活苦や貧困苦を歌った歌謡曲が存在することを知っていたのではないだろうか。
「アパッシュの唄」が作られた頃は、堀口大學のフランス翻訳詩集『月下の一群』が刊行されたこともあり、パリの雰囲気を伝える題材も存在した。
宝塚歌劇団がシャンソンを紹介するのは昭和に入ってからだが、それ以前の日本に本家よりも前に和製シャンソンが作られていたというのは面白いことだ。
韓国のシャンソンの始祖、이미배(イ・ミベ)
韓国語でシャンソンは、「샹송(シャンソン)」と表記される。
女性歌手、이미배(イ・ミベ)は、その「샹송」を韓国で最初に紹介した人として知られている。
イ・ミベは、1951年生まれ。
小学生のときから子供合唱団で活動し、1971年に大学生向けのジャズフェスティバルで最優秀賞を受賞した。
1979年に歌手デビューし、「당신은안개였나요(あなたは霧なのか)」というヒット曲を持つ。
また、ジャズやラテンなど世界中の楽曲を原語で歌っている。
現在も歌手活動を続けているらしい。
イ・ミベが、シャンソンの始祖として言われているのは、1987年に発表された彼女の4枚目のアルバム『샹송 깐소네(シャンソン・カンツォーネ)』に由来すると思われる。
これは、シャンソンとカンツォーネを集めたもので、「思い出のマリッツァ」「エマニエル夫人」「雪が降る」「バラ色の人生」「夜のメロディ」「枯葉」などが収録される。
まず目を引くのは、これらのシャンソンが韓国語の訳詞と原語の折衷で歌われていることだ。
シャンソンが他国でカバーされるときは、訳詞で歌われるのが宿命のようであり、いよいよ「訳詞は日本の文化」などとは言えなくなってくる。
そして収録曲を見る限り、イ・ミベは日本のシャンソン歌手のように、戦前のフランスの楽曲を取り上げてはいない。
世界的に有名なシャンソン、あるいは自分と同時代で流行ったシャンソンをレパートリーにしているフシがある。
ゆえに、彼女はシャンソンを探求して韓国にもたらしたというよりは、同時代のヨーロッパのヒット曲をカバーしたら、はからずも韓国シャンソンの始祖として名前を残してしまった人物だと言えよう。
何より、このアルバムは資料的価値はあれど、楽曲の雰囲気が暗すぎて聴くに耐えない。
あまりにも韓国歌謡の雰囲気を引っ張りすぎている。
イ・ミベの歌声が例えるならば渡辺真知子に似た伸びやかでパンチの効いたものだけに、残念な仕上がりだと言わざるを得ない。
イ・ミベの本領が発揮されるのは、2018年のアルバム『The Story』だ。
昨今のK-POPの興隆によって、彼女のレパートリーの編曲が劇的に変化したのである。
このアルバムでは、「バラ色の人生」「Feeling」「雪が降る」がカバーされているが、どれも過去の楽曲とは異なる洗練されたアレンジが聴く耳に楽しい。
特に面白いのは、「雪が降る」で「雪が降る、あなたは来ない、雪が降る、全ては消えた」のセリフがヒップホップで歌われていることだ。
こんなアレンジをしてよいものなのか、と驚くばかりだが、不思議と違和感がなく聴くことができる。
韓国でもシャンソンが歌われていることは、新たな発見であった。
きっとイ・ミベ意外にもシャンソンをカバーしている歌手がいると思われるので、今後も調べていきたい。
イ・ミベ「雪が降る」(2018年ver)
急遽、札幌にて全身網タイツのシャンソン歌手・蜂鳥あみ太=4号さん、アコーディオニスト・田村賢太郎さんのライブを企画いたしました。
蜂鳥あみ太さんは、戸川昌子さんのシャンソニエ「青い部屋」でデビューされて以来、唯一無二のスタイルを貫き通して活躍され、私が高校生の時にシャンソンを聴きはじめた時から気になっていた方です。
アコーディオニストの田村賢太郎さんは、数年前まで札幌でご活躍されており、素晴らしい演奏と優しいお人柄に心を掴まれました。
蜂鳥あみ太さんと田村賢太郎さんの白熱のステージをお楽しみいただきたいです。
また今回のイベントでは、蜂鳥あみ太さんのシャンソン歌手としての歩みについてお話しいただく、トークショーを設けました。
その聞き手は、私がつとめさせていただきます。
このライブの開催日は、なんと今週の土曜日。
あと4日もありません。
そのような突発的な私の思いつきを快く認めてくださった、ライブハウス「Voice」を経営される、歌手の新賀裕深さん(Singer hiromi)には感謝しております。
裕深さんには、前歌でシャンソンを2曲歌っていただきます。
突然、急遽、突発的、でも楽しく情熱的、胸躍るライブのひとときを、皆様に満喫していただきたいです。
ぜひご予定にお加えください。
【蜂鳥あみ太=4号に迫る夜】
10月12日(土) 19時開場、19時半開演
北海道札幌市北区北24条西4丁目2−7 田中ビル 3F 「Cafe Live Bar Voice」
«プログラム»
① トークショー「シャンソン歌手・蜂鳥あみ太の歩み」(聞き手・峰艶二郎)
② 蜂鳥あみ太=4号&田村賢太郎 白熱ライブ
(前歌・新賀裕深)
料金 3.000円+1ドリンクオーダー
☆ご予約は峰まで
夏の名残というわけではないが、岩見沢「シャンソン酒場peuple」再訪。
「シャンソン酒場peuple」、8月で38周年を迎えたらしい。
だが、それも現在地に移転後のことであって、前住所では15年ほど営業していたというから、合計すれば50年を超える。
本当はアニバーサリーマンスに行きたいところだったが、都合がつかず9月にずれ込んでしまった。
周年のお祝いには、バラの花とブックオフで見つけた倍賞千恵子がシャンソンを歌っているレコード。
倍賞千恵子のシャンソンのレコードは、見つかりそうでなかなか出てこない盤だ。
彼女のシャンソンは譜面に忠実、あまり面白味はない。
同じ盤に収録されている「船頭小唄」のほうが良かった。
倍賞の愛らしい歌声を聴きながら、マスターから最近パリオリンピックの「愛の讃歌」効果でお客が来たこと、私の「シャンソン酒場peuple」の紹介記事をきっかけに来た客がいたことを教えてもらう。
あと、店内に美輪明宏のポスターが増えた。
今は無き、札幌銀巴里のマスターから貰い受けたものらしい。
店に飾ると退色するので出し惜しみしていたらしいが、やはり美輪さんのまなざしは空間を引き締める。
お祝いを贈ったお礼に、マスターがシャンパンを抜いてくださる。
金色の泡を眺めながら、2枚目のレコードのフランソワーズ・アルディをリクエスト。
「もう森へなんか行かない」のレコードは、かつて常連だった男性が置いていったものらしい。
この男性は、小学生のとき音楽の授業で先生から「今からタンゴのレコードをレコード店に行って買ってこい」と言われて、買って帰ってきて聴かされて以来のタンゴファンだった。
店では、アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴをリクエストしたらしいが、あるときアルディのレコードを店に置いていった。
それからその男性は来なくなり、しばらくしてから息子夫婦が来て、彼が亡くなったこと、家にあった大量のレコードを全て処分したことが告げられた。
マスターは、男性の唯一の遺品となったアルディのレコードを息子に見せると、これは男性がよく家の中で流して家族に聴かせていたそうだ。
そして、マスターは息子夫婦のためにアルディのレコードを流し、男性を追悼したという。
私もまた、レコードを通じてその男性と心を通わせたような気がした。
3枚目は、パトリック・ブリュエルのライブ盤。
彼は、戦前のシャンソンをジャズっぽいアレンジで80年代末にリバイバルさせた歌手。
マスターは、ブリュエルの楽しそうな歌声から、彼が本当にシャンソンが好きなのが感じられることに好感を覚えるそうだ。
一応、日本にもレジョン・ルイというブリュエルばりの才気あるシャンソン歌手がいることをアナウンスしておく。
そして、日本の楽曲をフランス人が歌うこともあるという話から、私が最近気に入っているYOASOBI「アイドル」のフランス語カバーを聴いてもらう。
そして「いまの日本のポップスは言葉の羅列だから、フランス語と相性がいい」ということで意見が一致。
「YOASOBI「アイドル」、シャンソンとしてフランスから売り出せばよかったのにー」というのは私の弁。
ドイツのシャンソン訳詞文化をめぐる冒険
フランスのシャンソンに自国の言葉で訳詞を作って歌う、というのは日本独自のものかと思いきや、ドイツでも盛んに行われていることが分かった。
きっかけは、引退した某シャンソン歌手とお茶会をしたとき、「ドイツの女性俳優がセルジュ・レジアニのシャンソンをカバーしたレコードがあり、それをきっかけにレジアニの「パリは我がバラ」をレパートリーにした」という話を聞いたことであった。
ドイツの俳優がレジアニのシャンソンのカバーアルバムを出すなんて、そんな奇特なことがあるのだろうか。
早速調べてみると、エリカ・プラハー(Erika Pluhar)という女性俳優が1975年に出した「Die Liebeslieder Der」というLPレコードが、レジアニのカバーアルバムであることが分かった。
このアルバム、日本で購入することは不可能、さらにはインターネット上で音源を聴くこともできない。
しかし、YouTubeには彼女が「hotel zur einsamkeit」という楽曲を歌ったライブ映像があり、これがレジアニの「hotel des voyageurs(旅人たちのホテル)」のカバーであった。
その歌詞は、エリカの夫によるドイツ語訳詞であり、歌唱というより朗読劇のような印象だ。
おそらく私とお茶会をした元シャンソン歌手は、エリカのカバーを聴いてからレジアニのオリジナルを聴いて、それで彼のシャンソンの豊かな音楽性を発見したのであろう。
たしかに、レジアニのシャンソンが市販のCDなどに収録されているのは稀であるし、何らかのきっかけがないと巡り合うことがないような気がする。
この一件から、私はドイツでどのようにフランスのシャンソンが歌われているのか興味を抱いた。
その足がかりとなったのが、物理学者の飛田克己氏のブログである。
氏は、ドイツに留学中に音楽に親しみ、その余暇にシャンソンを聴きにフランスに行ったりしていたらしい。
そして氏のブログをもとに独自に調査して、ドイツでは日本同様に訳詞でシャンソンが歌われているのを知ったのである。
ちなみに、エディット・ピアフのカバーアルバムを出したマリア・ビル(Maria Bill))など、フランス語でシャンソンをカバーするドイツ歌手も一定数存在することが分かった。
ドイツ語でカバーされるシャンソンの訳詞の特徴は、当たり前のことだが、韻が踏まれていることだ。
日本の言語には押韻がないので、フランス語のシャンソンの歌詞を音として再現できないのが最大の難点であるが、ドイツ語ではそれが克服され、言葉の発音とメロディーの響きが共鳴している。
歌詞を発音することもまた楽器のひとつであるのを痛感した。
また、シャンソンの歌詞の内容がドイツ語の訳詞ではどの程度再現されているのか知りたいところだが、フランス語とドイツ語に通じていない私には調べることができなかった。
また、ドイツでは圧倒的にジャック・ブレルのシャンソンがカバーされているのも特徴的だ。
ドイツ語の特徴的な破裂音が、ブレルのシャンソンと非常に相性が良い。
なので、ドイツでは「Kalussel(華麗なる千拍子)」や「Tango funebre(葬送のタンゴ)」などのメロディー性が高いシャンソンが重視され、日本で好まれる「愛しかない時」や「行かないで」「孤独への道」は取り上げられない。
ブレルのシャンソンのメロディー性と歌詞の内容とのどちらを重視するかが、日独の違いとなっている。
だが、歌詞とメロディーの双方に優れた「Lied von den alten liebenden(懐かしき恋人たちの歌)」「Amsterdam(アムステルダム)」は、やはりドイツでも人気なようだ。
ところで、オペレッタの男性俳優である、ミヒャエル・ヘルタウ(Michael Heltau)は、ドイツのブレル唄いと言っても過言ではない。
ミヒャエルのウィキペディアには、ブレル自身が彼にドイツ語でカバーすることを許したとある(google翻訳のため正しい情報かは不明)。
ミヒャエルはブレルのカバーアルバムも出しており、折々でブレルのシャンソンを披露している。
彼はオペレッタの俳優だけに、その歌い方は朗々としており、まさに「いぶし銀」の魅惑に溢れている。
彼の歌声は、ブレルよりもシャルル・トレネに精通すると思っていたら、案の定トレネの楽曲の数々もドイツ語でカバーしていた。
「Ich spiele(私は歌う)」「Ich liebe das Milieu(パリのミュージックホール)」「Was Bleibt Ist Bloß Erinnerung(残されし恋には)」など、やはりメロディー性のあるシャンソンが選ばれているように感じた。
YouTubeでは、ミヒャエルの動画の数々を観ることができ、ピアフの「パダン・パダン」やイタリアのミルバと「群衆」をデュエットしてるものまである。(第二次世界大戦中にユダヤ人が作った「パダン・パダン」がドイツ語で歌われていることは、私にとって驚きであった)
さらに、Amazonでは彼の楽曲がMP3で安価で配信されているのもありがたい。
ミヒャエルは、日本の「シャンソン歌手」に一番近い存在であるといえよう。
女性俳優のギーゼラ・マイ(Gisela May)は、同じくブレルのシャンソンをドイツ語でカバーしている。
彼女は劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品に数多く出演し、作曲家クルト・ヴァイルやハンス・アイスラーの作品を歌った人だ。
ギーゼラの歌声は、晩年のジュリエット・グレコそのものである。
「Mathilda(マチルダ)」など聴くと、ギーゼラがグレコを意識してるのは明白である。
女性俳優のヒルデガルト・クネフ(Hildegard Knef)は、アメリカでも活躍した人で、「セ・マニフィーク」「アイ・ラブ・パリ」で知られるミュージカルの作曲家コール・ポーターの作品を多く吹き込んだ経歴をもつ。
彼女は、1978年に「Überall blühen Rosen(バラはあこがれ)」という、フランスのシャンソンの代表曲の数々をドイツ語でカバーしたアルバムを出している。
これは、私の手元にもあるので収録曲を紹介したい。
ジルベール・ベコー「バラはあこがれ」「そして今は」
シャルル・デュモン「夢の女」
フランソワーズ・アルディ「出逢い」
ジャック・ブレル「平野の国」「アムステルダム」
リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉を」
シャルル・アズナブール「あきれたあんた」「ラ・ボエーム」
エディット・ピアフ「バラ色の人生」
ジュリエット・グレコ「パリの空の下」
パーシー・フェイス「ムーラン・ルージュの唄」
まさにシャンソンの王道を攻めたアルバムだが、あまり面白味はない。
ヒルデガルトの重厚なアルトが、楽曲全体を堅苦しくしている。
先述したブレルに加えて、ベコーの楽曲もまたドイツ語と相性が良かった。
ただ、ベコーのシャンソンはアメリカでも大々的にカバーされているし、彼のメロディーは万国共通でウケが良いことが証明されただけだ。
そして「聞かせてよ愛の言葉を」「バラ色の人生」「パリの空の下」は、ドイツ語で歌っても、フランスの原曲には遠く及ばない。
だが、ひとつ面白いのは、アズナブールの「Mein ideal(あきれたあんた)」で、ヒルデガルトはこのシャンソンをアップテンポのポップスとしてカバーしている。
不摂生な同棲相手にグチを並べるこのシャンソンを、彼女はドイツのオペレッタの雰囲気に結びつけて表現している。
このアプローチは、ドイツならではを感じて、非常に楽しい。
こうして見ると、ドイツではオペレッタやミュージカルの俳優によってフランスのシャンソンが歌われているのが分かる。
日本でも、音大出身者や舞台俳優がシャンソンを歌うのがセオリーなので、ドイツと共通するといえよう。
ただ、ドイツ語の発音の破裂音はバラードには不向きで、ブレルの「Die alten(老夫婦)」、トレネの「Noch mehr(ラ・メール)」は、日本語訳詞に軍配が上がる。
ここまで調べてみると、他にもシャンソンをカバーする歌手はいるのか、ドイツにはシャンソンの訳詞家が存在するのか、など疑問は尽きない。
あわよくば「日独シャンソン訳詞の会」などのコンサートを催したいところだが、これは力のない私には無理、心ある人に委ねたい。
せっかくなので、ドイツ語で歌われるシャンソンを文末に紹介したい。
マレーネ・ディートリッヒの「行かないで」は、まさにドラマティック・シャンソンの極みである。
ドイツのマレーネ、日本の美輪さんという悲劇的シャンソンの繋がりも見えてきて、シャンソンファンとしてまことに心晴れやかになる。
[動画URL]
7月24日、苫小牧のシャンソニエ「カプリス」へ。
こちらは、北海道唯一のシャンソニエであり、毎月末には道内外で活躍するシャンソン歌手をゲストとして招いている。
かつて、苫小牧には「ペペ・ル・モコ」というシャンソニエがあった。
「ペペ・ル・モコ」が閉業した後、そこで働いていた現在のママさんが「カプリス」をオープンさせた。
そして今月は、その「カプリス」が30周年を迎えるアニバーサリーマンスなのだという。
今夜のゲストは、苫小牧出身で都内で活躍する唯文さん。
昨年、東京ドームシティホールで開催された「パリ祭」はライブ配信されたが、その時に視聴した唯文さんの「今夜は帰れない」が素晴らしく、ぜひとも生のステージを観てみたいと思っていた。
唯文さんは、昨年夏も「カプリス」に出演していたが、その時は私の勤め先でコロナのクラスターが発生してしまい、泣く泣く観覧を断念したのであった。
そして今夜、ようやくその夢が実現したのであった。
はじめてお会いする唯文さんは、私に御心を尽くしてくださり、私のリクエスト曲の数々に応えてくださった。
愛しかない時
She
勝手にしやがれ
センチメンタル・ゲイ・ブルース
ハイヒール
アコーディオン弾き
今夜は帰れない
唯文さんのステージを間近で観覧して、私は氏の歌声に「男の死からの再生」が共通して表れているのを感じた。
三島由紀夫は「大義のために死ぬ」ということを、男の死に方の理想としたが、唯文さんの「今夜は帰れない」には、恋人に寄り添うことができない諦念と同時に、祖国のために死んで麦の穂として生まれ変わる悲劇的英雄への憧れが、際どいバランスで込められている。
一方で、今年の「パリ祭」でも歌われたという「愛しかない時」は、戦場をくぐり抜けた冷めきった目で非戦を訴えているように感じた。
戦争を知らない人間が声高に反戦を訴えるのとは異なる、惨禍を知るからこそ主張できる説得力を醸し出しているように思え、やはりこれも「男の死からの再生」だった。
そして「センチメンタル・ゲイ・ブルース」は杉本真人さん、「ハイヒール」は井関真人さんによる歌謡曲で、ともにオネエが主人公だ。
ひとりの男がホモセクシャルに目覚め、やがて「男」というセクシャリティーを捨てて、女装をして「女」として生きていく姿を描く。
伸びてくるヒゲやスネ毛、男の足に合わないハイヒール、などの男が女に成りきるための苦悩が散りばめられたコミックソングだが、その根底のテーマは男としての自分を殺して社会で生きる哀歌に他ならない。
我ながら堅苦しく唯文さんのシャンソンについて記したが、氏はこうした深刻なテーマを前面に出さずに、実に華やかに楽しく、そして卒なく歌っている。
そのエンターテインメントぶりに、私は清々しい好感を抱いたのであった。