シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。htmt-mth@ezweb.ne.jp

私の応援する催事

今週は私が応援する催事が目白押し。

6月23日(木)
「ピアフとアズナブールの夜」
@銀座「蛙たち


ミュージカルの世界に身を置かれるNAOMIさん、本坊綾子さん、オペラのご経験がある髙野ピエールさん、声優のレオンさんが、ピアフとアズナブールのシャンソンを歌い継がれます。伴奏は私も大好きな、今野勝晴さん。
劇団新幹線の右近健一さんによる訳詞も披露されるとのことで、新しい風が吹くライブになることでしょう。
フライヤーには、拙稿「姉と弟が出逢う夜」を寄せてます。

6月26日(日)
「北のパリ祭」
@ロイトン札幌

今年も、札幌の夏の訪れを告げるシャンソンコンサートが開かれます。
第4回目を迎える豪華なステージ。ご出演は、若林ケンさん、柴田乃生子さん、タマーラさん、NAOMIさん、Singer hiromiさん。伴奏は、平岡健一さん。
私は、今年もお手伝いさせていただきます。

漫画「黄昏流星群」のシャンソン

岩見沢シャンソン酒場People」の興奮が冷めやらぬなか、次ような漫画があるのを思い出しました。

弘兼憲史の漫画「黄昏流星群」は、中高年の男女の恋愛を通じて、折り返し地点の人生をいかに生きるかというテーマを描いた短編作品群である。
その単行本の第4巻に収録されているのが、「流星美人劇場」というストーリーだ。

60代初頭の女性ふたりは、30年以上にわたり、新宿で「シャンソンbar ラ・メール」という店を経営している。とはいえ、若かった頃は男性客が沢山来たが、今はさびれてしまい、酔っ払った客に法外な値段をぼったくる店に成り下がっている。

ある雨の日、店に大学教授を名乗る初老の男性客がやってくる。そして、ウイスキーを飲みながら、ジュリエット・グレコのレコードを所望するところから、ストーリーが展開してゆく。

この「シャンソンbar ラ・メール」は、漫画のコマを見る限り、歌手が出演するライブハウスではなく、シャンソンのレコードを聴かせる店のようだ。こうしたスタイルの店は、昭和30年代に駿河台にあった「ジロー」(現在も数多くの飲食店を展開する「ジローレストランシステム」の第1号店。ちなみに、お茶の水「ジロー」は2号店に当たる)を筆頭に、都内に多く存在した。作家の五木寛之が学生時代に通った新宿「モンルポ」や、シャンソン歌手の仲マサコさんのお母様が経営されていた広島初のシャンソン喫茶も、このスタイルであった。
こうした、かつて存在したお店の様子を描写している点で、この漫画は面白い。

ところで漫画の中で、店のママと客の大学教授は、グレコのどの楽曲を聴いているのだろうか?
曲名は明示されていないが、私が思い付くのは「ノン・ムッシュ、私は二十歳じゃないの」という楽曲だ。

私は、20歳の時
もうすっかり、「はずれて」いたわ
口に「嵐」をくわえたように
それは見事に、滅茶苦茶だった
死者たちと私は踊っていた
それから、私たち、白い夜明けに
黄金時代を作ったわ
私はいつも、この同じ朝日を
しっかり抱きしめている
 
ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない
(中村敬子訳)

二十歳のときは、呆れるようなメチャクチャな人生の過ごし方をしていたが、その経験を踏まえて今の私がある、といった内容の楽曲だ。
若い頃を儚むのではなく、その経験値を踏まえた現在の人生を見つめる、これは「黄昏流星群」のテーマと一致する。
1曲のシャンソンをキーワードにドラマが動き出すあたり、やはりシャンソンは人生の歌だと思う。

ちなみに「流星美人劇場」のなかでシャンソンが登場するのはこのシーンのみで、ストーリー全体としては、その他の作品に比べてやや凡庸。
同じ第4巻に収録されている、落ちぶれたフランスの2つ星レストランのコックが、駆け出しの料理人の若者にフランス料理の作り方を叩き込む物語「星のレストラン」のほうがオススメである。

岩見沢「シャンソン酒場People」



北海道岩見沢に「シャンソン酒場People」というお店があることは、数年前からネットを通じて知っていました。とはいえ「シャンソン」と銘打っても、シャンソンの店とは限りません。
ずっと気になっていたので、先日思いきって連絡してみたところ、マスター様がシャンソンがお好きで、お店でシャンソンのレコードやCDを流しているお店だということを確認できました。
早速、片道一時間かけて足を運びました。

お店は、岩見沢駅前の飲み屋街のビルの2階にありました。窓看板や行灯を見た時点で、ドキドキします。

お店のなかは、カウンター席とテーブル席のこざっぱりした内装でした。カウンターのなかに並べられたCDやレコードをチラチラ見ながら、マスター様のお話を伺わせていただきました。

マスター様は元々、岩見沢市内のジャズシンガーのママさんのお店のもとでバーテンのノウハウを鍛えたそうです。マスター様は、シャンソンに惹かれたことから、シャンソンのレコードを流す店を開店し、現在の店に移転した後の期間を合わせて、約50年にわたりお店を営まれております。

マスター様からは、来道した越路吹雪さん、金子由香利さん、美輪明宏さんのリサイタルのお話を伺いました。さらに、岩見沢でコンサートを開かれた、イヴェット・ジローさん、深緑夏代さん、加藤登紀子さんの裏話も伺えて、私のハートは破裂しそうでした。
また、お店の周年パーティーには、札幌で活躍する多数のシャンソン歌手が歌声を披露したそうです。

お店を支えたのは、かつて岩見沢にあったシャンソン愛好会の人たちだったそうです。
ところで、昭和30年代に東京で発足した「シャンソン友の会」(代表・菊村紀彦)という愛好会がありました。この会は全国に支部ができて、北海道は岩見沢支部があったのです。

なので、私はかねてより「岩見沢にはシャンソンブームの痕跡が残っているはずだ」と推測しておりましたが、今回お店を訪れたことをきっかけに「シャンソン友の会」のメンバーが独立して、岩見沢市内で活動していたのを知れました。岩見沢の関係者はすでに亡くなられたそうですが、時を越えてその思いに触れたような気がいたします。

マスター様は、あるお客様のお話を聞かせてくださいました。
はじめて来店したその方は、アンドレ・クラヴォー「エルザの瞳」というシャンソンをリクエストされたそうです。

客「この曲、マニアックだからご存知ないかもしれないですが…」
マスター「CDなら持ってますよ」

マスターがその楽曲をかけると、客は無言で聞き入り、最後は涙を浮かべていたそうです。その方は、学生時代に先輩の家に呼ばれると、必ず「エルザの瞳」のレコードを聴かされたそうです。そして時が経って、その先輩が亡くなったという知らせを受けたとき「エルザの瞳」のことを思い出し、改めて聴いてみたいと思ったそうです。ですが、どこの音楽ショップに尋ねても見つからず、たまたま目に入ったこのお店に入って、ようやく楽曲と再会したとのことでした。
マスター様は、シャンソンはマイナーだけどこうしたお客様に寄り添える店にしていきたい、と語られました。それは、まさにシャンソン愛だと思いました。

マスター様は、お店秘蔵のとっておきのレコードを1枚聴かせてくださいました。

それは、リュシエンヌ・ドリールのLPレコードで、そのなかに彼女が日本語で歌った「ジェルソミーナ」が収録されていたのです。
はじめてそれを聴いた私は感激しました。上質なスピーカーから流れる、彼女の歌声と「パチパチッ…」と心地よいレコードよ針の音が、若くして白血病で亡くなったドリールの運命を内包しているようにすら思えました。

かつて「シャンソン喫茶」と呼ばれるお店は、歌手がステージに立つライブハウスだけでなく、シャンソンのレコードを聞かせる店も指しました。レコードが貴重品だった時代は、それでお店が成り立ったのです。
岩見沢の「シャンソン酒場People」は、オールドスタイルの稀有なシャンソンのお店です。このスタイルを貫くシャンソンの店は、日本にここだけではないか?とすら思うのです。

そんなお店が、私が住む北海道に存在したことは、大きな喜びです。
お店から出た後、次はいつ行こうか、とスケジュール帳を開いてしまいました。

【住所】
 岩見沢市3条西1丁目
【電話番号】
 0126-24-5505
【営業時間】
 18時30分~
【定休日】
 日曜日

パリのジャズ物語り

1994年10月に発売された雑誌『STUDIO VOICE』の特集は「パリのジャズ物語り」。
フランスのジャズの歴史について、多数の執筆者が寄稿している。シャンソンとジャズの関わりについても触れられていて、興味深く読んだ。

まず触れておきたいのは、ジャズの発祥地であるニューオリンズは、かつてフランスの植民地だったことだ。白人男性と黒人女性(いわゆる愛人である)の間に生まれた子供は「自由黒人」として、フランスに留学することなどが許されていた。しかし、アメリカが支配するようになると、黒人は一律に差別されてしまう。こうした人権抑圧のなかで生まれたジャズは、もとを辿ればフランスの音楽とは無縁ではないのだ。

フランスで黒人音楽であるジャズが流行したのは、第一次世界大戦だったという。フランスでは、自国の男性が戦死して減少するのを防ぐために、海外から「外人部隊」を募集した。そこに志願したアメリカの黒人たちがジャズをもたらしたのである。アメリカでは、白人と黒人が一緒に戦うことはできなかったが、フランスでは対等に扱われたのであった。

第一次世界大戦後は、ロシアのバレエ「バレエ・リュス」がフランスに進出するなど、非西洋文化が席巻していく。そのようななかで、黒人ダンサーのジョセフィン・ベイカーが活躍するなど、黒人の文化がフランスで認められていき、ジャズもブームになってゆく。
しかし、フランス人が求めたのは黒人文化の「野蛮さ」であり、人種差別には何ら変わらないものであり、やがてブームは去り、同時に反発を招いたことは、本書でも触れられている。

ジャズギターの大家、ジャンゴ・ラインハルトがフランスで活躍したのは、この時期である。彼はジプシーの遊牧民で、幼少から楽器の才能に溢れていた。パリで活躍するも、火事で左手の指2本が動かなくなってしまう。しかし、彼は残りの3本指でギターを弾くテクニックを編み出して独自のスタイルを確立し、白人がジャズを演奏できることを証明した。
彼は、歌手のジャン・サブロンと組んで楽曲を発表するなど、シャンソンとも縁が深い。

シャンソンとジャズを融合させたのは、歌手のシャルル・トレネである。彼は、ジャズに影響を受けた楽曲を数多く作曲し、ワルツの三拍子が基本だった従来のシャンソンのスタイルに、新たなメロディラインをもたらした。
1937年、リス・ゴーティの前座で劇場に出演したトレネはこれらの楽曲を披露し、観客からの熱狂を受けてワンマンショー状態となった。ゴーティはぶちギレて帰宅してしまい、警官隊が劇場に出動した。そのとき、彼が歌った楽曲のなかの掛け声から、ジャズ狂いの若者のことを「ザズー(zazous)」と呼ぶようになったという。

このザズーが躍動するのは、第二次世界大戦下であった。フランスを占領したナチスドイツのヒトラーが、ジャズを下等な音楽として批判し禁じたのを受けて、反体制の若者たちを中心にジャズがひそかに流行した。また、ナチスが頭髪管理令や質素な国民服を強制したことに反発し、前髪を大袈裟にカールさせた長髪に、耳元まで立てた襟、長い上着、短いズボンやスカート、腕にこうもり傘をひっかける「ザズースタイル」を編み出して、権力に抵抗した。
フランスの反権力、アナーキー精神は、シャンソンではなくジャズによって培われたのである。

戦前の若者文化としてのジャズ、そして戦時中の反権力としてのジャズの影響を受けたのが、ボリス・ヴィアンであった。
彼はジャズを聴くだけでなく、戦後に実存主義が起こったパリの文化の街サンジェルマン・デ・プレで自らトランペットを吹くことで、その精神を表現した(あくまでセミプロとしてである。トランペッターとしての彼の評価は高くない)。しかし、彼は持病の心臓病が悪化し、トランペットが禁じられた。そして彼は、ジャズの評論を書くようになり、アメリカから来たジャズプレイヤーを紹介する役割を担うようになった。
また彼の反権力の精神は、自作のシャンソン「脱走兵」などにも表れているといえよう。

そして、ジャズとシャンソンの関係といえば、ジュリエット・グレコと、アメリカのトランペッターのマイルス・デイヴィスとの蜜月である。
1949年、パリで開かれた第1回国際ジャズ祭のゲストに呼ばれたデイヴィスは、その合間にグレコのコンサートを観に行った。そこで二人は出逢い、恋に落ちた。デイヴィスは2週間フランスに滞在したが、その間ふたりは愛し合った。そして、人種差別が待ち受けるアメリカに帰ることを嫌悪し、麻薬に溺れた。
それほどまでに、アメリカの黒人差別は酷く、差別を受けないフランスに憧れるジャズマンは当時沢山いたという。

1957年、デイヴィスは再びフランスを訪れ、ルイ・マル監督のヌーベル・ヴァーグの代表作「死刑台のエレベーター」の音楽を担当する。それは、映画を見ながら指定されたシーンでトランペットを即興で吹くというものだった。
これこそ、ジャズの即興性というものだろう。
以来、映画の音楽でジャズが使われることが増えたという。

そして、おそらくこのあたりからフランスでジャズのブームが低迷していったと思われる。この時期、シャンソンジルベール・ベコーが頭角を表していたが、彼はジャズ調よりロック調の人だ。
現に、本書でもこの時期以降のことになると、執筆陣の筆が失速している。ジャズブームの衰退は、本書の「パリのジャズ物語り」というテーマにそぐわなくなっていったのだろう。
本書の最後のページには、現在のフランスのジャズの担い手として、クレモンティーヌやアルチュール・アッシュなどが紹介されているが、さすがにこれには疑問符がつく。

フランスとジャズの関わりを見ると、人権問題と反権力がテーマとして浮かび上がるのが分かる。生きにくい世の中を歩んでいくために、文化が武器になることを改めて感じた次第である。

『シャンソンマガジン 2022年夏号』

シャンソン専門の定期購読誌『シャンソンマガジン 2022年夏号』(歌う! 奏でる! プロジェクト)に、寄稿しました。

峰 艶二郎「3杯のカクテルグラスー越境の歌手・ダリダ」

エジプトからフランスに渡って、シャンソンの歌姫として活躍したダリダ(Dalida)について書きました。
今回の執筆にあたり、彼女の様々な楽曲(本当に多種多彩!)に触れて、今まで知らなかった魅力に触れたような気がします。

塚本邦雄とシャンソン

塚本邦雄とシャンソン

ネットニュースに、辻原登氏による
塚本邦雄『薔薇色のゴリラ―名作シャンソン百花譜』(北沢図書出版)
の書評が載っていた(初出は2014年)。

塚本邦雄は、短歌の歌人。戦後の現代短歌の巨匠である。作歌の技術力はもちろん、日本の古典からヨーロッパの文学や歴史、芸術に精通した博学ぶりで美意識も高く、まさに知の巨人であった。
百年の逸材とは、この人のことだと言っても過言ではない。

塚本の『薔薇色のゴリラ』は、シャンソンについての本を読もうとしたら、最初に検索ヒットするものだろう。
しかし、これはシャンソンの専門書ではない。塚本が偏愛するシャンソンの楽曲と歌手について、主観で綴ったエッセイである。
とはいえ、塚本は博識と美意識の人だ。ゆえに「主観」といえども、それは教養に裏打ちされた高度なものであり、誰もがそれに太刀打ちできず、鵜呑みにしてしまう説得力があった。まさに「白いものを黒と言えば、黒になる」状態である。

塚本が、こうした自己に偏ったシャンソンの本を書いたのには、シャンソン評論家の蘆原英了への反感がある。蘆原は、シャンソンを多く日本に紹介した人物であるが、彼は「フランスのシャンソンは何でも素晴らしい」という言説をしてきたため、自分の意見を主張をしてこなかった。
一方で塚本は、最も愛したジョルジュ・ブラッサンスに対しても、「名作と言うに足りるものは五指に満たない」と厳しい鉄槌を下すくらい、厳しい批評眼を光らせている。

塚本の博識と美意識をもって、シャンソンを論じることは、「アンチ蘆原」の標榜に他ならない。そして、蘆原以降に登場した永瀧達治や蒲田耕二などのシャンソン評論家は、塚本に追随した論法を展開した。しかし、塚本のような一度読めば誰もが有無を言わさず納得させる、ある種の鮮やかさをもった論考や著作を書いた人は、いまだいない。
『薔薇色のゴリラ』は、シャンソンの研究には使えないが、日本のシャンソン評論の歴史を見る上では、ターニングポイントのような書籍だと言えよう。

塚本がシャンソンを好きになったのは、太平洋戦争前夜の学生時代に、レコード6枚組の『シャンソン・ド・パリ 第2集』を手に入れて、その音楽性に感激したからである。以来シャンソンのレコードを集め、戦時下で押入のなかで周りから聞こえないようにこっそりレコードを聴いて親しんだが、それらは空襲で灰になったという。彼にとってシャンソンは、穏やかな時代の思い出の象徴でもあった。
戦後は、シャンソンにあまり興味を示さなかったが、フランスの詩人が書いた文学詩に曲がつけられた楽曲がもたらされると、塚本のシャンソン愛は再熱する。こうして、彼はシャンソン愛好家としての顔を持つようになる。

塚本は、自身の短歌でもシャンソンを題材にしている。例えば、自選歌集『茴香變』(ういきょうへん)の一首、

青春は一瞬にして髭けむるくちびるの端の茴香のoui!

は、髭面のジョルジュ・ブラッサンスに寄せたものだ。茴香(ういきょう)は、ハーブの一種でメントス系の香りがするらしい。青春時代が過ぎて髭面でも、そのくびるから発せられる歌声には爽やかな若さ(エロティシズム)が漂っている、といった内容か。これは、塚本からブラッサンスへの恋歌なのだ。
ちなみに、この歌集は音楽評論家の間章によって、ブラッサンス本人に届けられたらしい。ブラッサンスは「意味を訳せ」と言ったが、間は口ごもったという。評論家同士、恩の貸し借りはしない姿勢の表れだろう。

『薔薇色のゴリラ』に、収録されていない塚本のシャンソン論もある。
オーマガドキレコードから発売された
『ポエジー・エ・シャンソン Vol. 2 ジョルジュ・ブラッサンスのすべて』
の歌詞カードに寄稿されている
ジョルジュ・ブラッサンス考」(1987年9月)
は、なぜか単行本未収録である。

もうひとつは、
『サッフォイズム 紅茶中毒患者の雄叫び』
という書籍に寄稿された
「堕天国頌歌」
だ。
これは、モロッコ出身の女性フレンチロックシンガー、サッフォーの論考である。意外にも、塚本はサッフォーを高評価していたのである。
きっかけは、永瀧達治から贈られたサッフォーのCDに、アルチュール・ランボーの詩「谷間に眠る男」に曲がつけられたものが収録されていたからだ(イヴ・モンタンが歌った楽曲とは別物)。塚本は、サッフォーの「谷間に眠る男」から、詩人を辞めて武器商人として砂漠を横断した擦れっ枯らしのランボーの姿を見たという。サッフォーは「文学シャンソン」を愛する塚本の心を掴んだのである。
そして塚本は、サッフォーのシャンソンにアラブの雰囲気を感じることも気に入っている。シャンソンは多国籍文化であり、その国々の伝統音楽をフランスの雰囲気と融合させるセンスに、面白さを見いだしていた。

塚本を歌人としてでなく、シャンソンを視点に論じても、まだまだ書き足りず、こちらの息が上がってしまった。
大きな背中を追ううちに、脚がもつれて倒れてしまったような気持ちである。

https://www.excite.co.jp/news/article/AllReview_00005819/

『がいこつ亭 107号』に寄稿しました

札幌在住の三神恵爾様が発行する個人文芸誌
『がいこつ亭 107号』
に寄稿しました。

峰艶二郎「運命従順主義ーマルセル・ムルージ『エンリコ』を読む」

今年生誕100年を迎えるシャンソン歌手のマルセル・ムルージが、1945年に書いた自伝的小説の書評です。
よろしければ、御高覧ください。

『がいこつ亭 107号』の表紙はウクライナカラー。
他の寄稿も、それに関連したものが多いです。

三神様の「大きな物語と小さき人々」には、「国家とは一種の信仰だ。『国家』と呼ばれる実体は存在しない」という、作家の李琴峰の言葉が引用されています。
実体のない国家が威厳を保つために、人々を支配して、戦争をも正当化していく危険性を述べております。
権力が守るべきは、国家ではなく国民だと、私も信じています。

それに加えて、日和佐忠様「影の軍隊」で、第二次世界大戦中に、ナチスドイツに占領されたフランスで暗躍したレジスタンスの実像を描いた映画「影の軍隊」(1969年)という作品があるのを知りました。
この映画には、戦闘シーンや民主主義を啓蒙するシーンはなく、レジスタンス内部の人間関係のみが描かれているらしいです。
早速、インターネット上でレンタルしてみました。これから観てみます。

鑑賞を通じて、これからの時代を生きるヒントに繋がればいいな、と思います。