ドイツのシャンソン訳詞文化をめぐる冒険
フランスのシャンソンに自国の言葉で訳詞を作って歌う、というのは日本独自のものかと思いきや、ドイツでも盛んに行われていることが分かった。
きっかけは、引退した某シャンソン歌手とお茶会をしたとき、「ドイツの女性俳優がセルジュ・レジアニのシャンソンをカバーしたレコードがあり、それをきっかけにレジアニの「パリは我がバラ」をレパートリーにした」という話を聞いたことであった。
ドイツの俳優がレジアニのシャンソンのカバーアルバムを出すなんて、そんな奇特なことがあるのだろうか。
早速調べてみると、エリカ・プラハー(Erika Pluhar)という女性俳優が1975年に出した「Die Liebeslieder Der」というLPレコードが、レジアニのカバーアルバムであることが分かった。
このアルバム、日本で購入することは不可能、さらにはインターネット上で音源を聴くこともできない。
しかし、YouTubeには彼女が「hotel zur einsamkeit」という楽曲を歌ったライブ映像があり、これがレジアニの「hotel des voyageurs(旅人たちのホテル)」のカバーであった。
その歌詞は、エリカの夫によるドイツ語訳詞であり、歌唱というより朗読劇のような印象だ。
おそらく私とお茶会をした元シャンソン歌手は、エリカのカバーを聴いてからレジアニのオリジナルを聴いて、それで彼のシャンソンの豊かな音楽性を発見したのであろう。
たしかに、レジアニのシャンソンが市販のCDなどに収録されているのは稀であるし、何らかのきっかけがないと巡り合うことがないような気がする。
この一件から、私はドイツでどのようにフランスのシャンソンが歌われているのか興味を抱いた。
その足がかりとなったのが、物理学者の飛田克己氏のブログである。
氏は、ドイツに留学中に音楽に親しみ、その余暇にシャンソンを聴きにフランスに行ったりしていたらしい。
そして氏のブログをもとに独自に調査して、ドイツでは日本同様に訳詞でシャンソンが歌われているのを知ったのである。
ちなみに、エディット・ピアフのカバーアルバムを出したマリア・ビル(Maria Bill))など、フランス語でシャンソンをカバーするドイツ歌手も一定数存在することが分かった。
ドイツ語でカバーされるシャンソンの訳詞の特徴は、当たり前のことだが、韻が踏まれていることだ。
日本の言語には押韻がないので、フランス語のシャンソンの歌詞を音として再現できないのが最大の難点であるが、ドイツ語ではそれが克服され、言葉の発音とメロディーの響きが共鳴している。
歌詞を発音することもまた楽器のひとつであるのを痛感した。
また、シャンソンの歌詞の内容がドイツ語の訳詞ではどの程度再現されているのか知りたいところだが、フランス語とドイツ語に通じていない私には調べることができなかった。
また、ドイツでは圧倒的にジャック・ブレルのシャンソンがカバーされているのも特徴的だ。
ドイツ語の特徴的な破裂音が、ブレルのシャンソンと非常に相性が良い。
なので、ドイツでは「Kalussel(華麗なる千拍子)」や「Tango funebre(葬送のタンゴ)」などのメロディー性が高いシャンソンが重視され、日本で好まれる「愛しかない時」や「行かないで」「孤独への道」は取り上げられない。
ブレルのシャンソンのメロディー性と歌詞の内容とのどちらを重視するかが、日独の違いとなっている。
だが、歌詞とメロディーの双方に優れた「Lied von den alten liebenden(懐かしき恋人たちの歌)」「Amsterdam(アムステルダム)」は、やはりドイツでも人気なようだ。
ところで、オペレッタの男性俳優である、ミヒャエル・ヘルタウ(Michael Heltau)は、ドイツのブレル唄いと言っても過言ではない。
ミヒャエルのウィキペディアには、ブレル自身が彼にドイツ語でカバーすることを許したとある(google翻訳のため正しい情報かは不明)。
ミヒャエルはブレルのカバーアルバムも出しており、折々でブレルのシャンソンを披露している。
彼はオペレッタの俳優だけに、その歌い方は朗々としており、まさに「いぶし銀」の魅惑に溢れている。
彼の歌声は、ブレルよりもシャルル・トレネに精通すると思っていたら、案の定トレネの楽曲の数々もドイツ語でカバーしていた。
「Ich spiele(私は歌う)」「Ich liebe das Milieu(パリのミュージックホール)」「Was Bleibt Ist Bloß Erinnerung(残されし恋には)」など、やはりメロディー性のあるシャンソンが選ばれているように感じた。
YouTubeでは、ミヒャエルの動画の数々を観ることができ、ピアフの「パダン・パダン」やイタリアのミルバと「群衆」をデュエットしてるものまである。(第二次世界大戦中にユダヤ人が作った「パダン・パダン」がドイツ語で歌われていることは、私にとって驚きであった)
さらに、Amazonでは彼の楽曲がMP3で安価で配信されているのもありがたい。
ミヒャエルは、日本の「シャンソン歌手」に一番近い存在であるといえよう。
女性俳優のギーゼラ・マイ(Gisela May)は、同じくブレルのシャンソンをドイツ語でカバーしている。
彼女は劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品に数多く出演し、作曲家クルト・ヴァイルやハンス・アイスラーの作品を歌った人だ。
ギーゼラの歌声は、晩年のジュリエット・グレコそのものである。
「Mathilda(マチルダ)」など聴くと、ギーゼラがグレコを意識してるのは明白である。
女性俳優のヒルデガルト・クネフ(Hildegard Knef)は、アメリカでも活躍した人で、「セ・マニフィーク」「アイ・ラブ・パリ」で知られるミュージカルの作曲家コール・ポーターの作品を多く吹き込んだ経歴をもつ。
彼女は、1978年に「Überall blühen Rosen(バラはあこがれ)」という、フランスのシャンソンの代表曲の数々をドイツ語でカバーしたアルバムを出している。
これは、私の手元にもあるので収録曲を紹介したい。
ジルベール・ベコー「バラはあこがれ」「そして今は」
シャルル・デュモン「夢の女」
フランソワーズ・アルディ「出逢い」
ジャック・ブレル「平野の国」「アムステルダム」
リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉を」
シャルル・アズナブール「あきれたあんた」「ラ・ボエーム」
エディット・ピアフ「バラ色の人生」
ジュリエット・グレコ「パリの空の下」
パーシー・フェイス「ムーラン・ルージュの唄」
まさにシャンソンの王道を攻めたアルバムだが、あまり面白味はない。
ヒルデガルトの重厚なアルトが、楽曲全体を堅苦しくしている。
先述したブレルに加えて、ベコーの楽曲もまたドイツ語と相性が良かった。
ただ、ベコーのシャンソンはアメリカでも大々的にカバーされているし、彼のメロディーは万国共通でウケが良いことが証明されただけだ。
そして「聞かせてよ愛の言葉を」「バラ色の人生」「パリの空の下」は、ドイツ語で歌っても、フランスの原曲には遠く及ばない。
だが、ひとつ面白いのは、アズナブールの「Mein ideal(あきれたあんた)」で、ヒルデガルトはこのシャンソンをアップテンポのポップスとしてカバーしている。
不摂生な同棲相手にグチを並べるこのシャンソンを、彼女はドイツのオペレッタの雰囲気に結びつけて表現している。
このアプローチは、ドイツならではを感じて、非常に楽しい。
こうして見ると、ドイツではオペレッタやミュージカルの俳優によってフランスのシャンソンが歌われているのが分かる。
日本でも、音大出身者や舞台俳優がシャンソンを歌うのがセオリーなので、ドイツと共通するといえよう。
ただ、ドイツ語の発音の破裂音はバラードには不向きで、ブレルの「Die alten(老夫婦)」、トレネの「Noch mehr(ラ・メール)」は、日本語訳詞に軍配が上がる。
ここまで調べてみると、他にもシャンソンをカバーする歌手はいるのか、ドイツにはシャンソンの訳詞家が存在するのか、など疑問は尽きない。
あわよくば「日独シャンソン訳詞の会」などのコンサートを催したいところだが、これは力のない私には無理、心ある人に委ねたい。
せっかくなので、ドイツ語で歌われるシャンソンを文末に紹介したい。
マレーネ・ディートリッヒの「行かないで」は、まさにドラマティック・シャンソンの極みである。
ドイツのマレーネ、日本の美輪さんという悲劇的シャンソンの繋がりも見えてきて、シャンソンファンとしてまことに心晴れやかになる。
[動画URL]
https://youtu.be/QlEz-3zJCy8?si=hH_rtnERgdUDqK31