ベトナムのシャンソン歌手
19世紀から第二次世界大戦後まで、ベトナムはフランス領であった。
戦後になって、フランス領は資本主義国の南ベトナムとなり、社会主義国の北ベトナムとの分断の時代を迎える。
南ベトナムは、イギリスやアメリカの支援を受けて発展するが、フランス領時代の特にインテリ層はフランス語と英語、ベトナム語の3カ国語が話せたという。
やがて、ベトナム戦争が起きて、1975年に北ベトナムが南ベトナムを陥落して南北統一をすると、南ベトナムの人々はアメリカに亡命し、現在ベトナムでフランス語を話せる人々はほぼいなくなったという。
こうした歴史のなかで、1960年代から70年代にかけて南ベトナムルーツの歌手がフランス語や英語を用いてシャンソンをはじめとする洋楽をカバーしたり、オリジナル曲を歌うことがもてはやされた時期があった。
ベトナムにおけるフランスのシャンソンをカバーの特徴は、まずフランス語で原曲を歌ったあと、ベトナム語の訳詞で歌うという二段構造である。
これは、フランス語が分かるベトナムのインテリ層を喜ばせ、かつフランス語を知らない人々にシャンソンの魅力を伝えるという意図があった。
ベトナムにおけるシャンソンの受容は、日本のように戦前のシャンソンから現代のシャンソンまで幅広い曲をカバーするものではなく、当時最新のシャンソンをカバーするものであった。
面白いのは、ベトナム語の破裂音がフランス語との相性が良く、違和感なくベトナム訳詞のシャンソンを楽しめる点である。
この時期、フランスはいわゆるイエイエのブームであり、おそらくベトナムで最もカバーされたのはシルヴィ・ヴァルタンのシャンソンであったと思われる。
こうしたシャンソンをカバーした南ベトナムルーツの歌手は、ベトナムでデビューしてベトナム戦争でアメリカに亡命し、そこで歌手活動をするという遍歴をもれなくしている。
ベトナムのシャンソン歌手として、注目されるべき人は、タン・ラン(Thanh Lan)という女性である。
タン・ランは両親が南ベトナムにルーツを持ち、北ベトナムで生まれ育ったが、この経歴が彼女を波乱の人生をもたらすこととなる。
高校で音楽を学び、大学ではフランス文学を専攻して、音楽学校にも通った。
このとき、タン・ランはフランス語、英語、ベトナム語を話すことができたという。
やがて歌手デビューしたタン・ランは、上記のような原語とベトナム語の二段構造でシャンソンをはじめとする洋楽をカバーし、インテリ層を中心にファンを獲得していく。
また、タン・ランは俳優としても成功している。
注目すべきは、日本の映画監督の長田典雄が南ベトナムの首都サイゴンを舞台にした作品「ナンバーテン・ブルース」を撮るにあたり、タン・ランを主演に抜擢したことである。
この映画は、南ベトナムで殺人を犯した日本人男性が恋人のベトナム人(タン・ラン)を連れて、北ベトナムに逃亡するという物語であった。
それが縁で、タン・ランは日本のヤマハ音楽祭に出場し、日本の歌謡曲のレコードを日本語で吹き込んで発売している。
しかし、ベトナム戦争が起こると「ナンバーテン・ブルース」は公開できなくなり御蔵入りしてしまう。
この映画が公開されたのは、2013年になってからであった。
ベトナム戦争のさなか、多くの南ベトナムの人々が亡命するなか、タン・ランは亡命の機会を失い、ベトナムに留まることとなる。
終戦後にベトナムが社会主義国になると、タン・ランは政府から検閲を受け、音楽シーンから姿を消すこととなる。
しかし、政府から許された楽曲を歌うことや映画作品に出演すると、タン・ランの出身地である北ベトナムのイントネーションと、南ベトナム時代の素養の豊かさが感じられる歌声や演技がもてはやされる。
そのようななかで、1993年にタン・ランはアメリカツアーを企画し、同時に亡命を企てる。
しかし、アメリカ人たちはタン・ランを社会主義国であるベトナムのスパイと見なした。
タン・ランのコンサートの会場には、彼女を糾弾する人々で溢れたという。
タン・ランが南ベトナムにルーツを持ちながらも、ベトナム戦争後もベトナムに留まり、政府の容認のもとで芸能活動をしたことに厳しい目が集まった。
しかし、結果としてタン・ランはアメリカでの市民権と永住権を獲得し、それによってスパイの疑いは晴れることとなった。
その後、タン・ランはアメリカで自分と同じような南ベトナムルーツのフランス語を話せる亡命歌手たちと活動するが、現在は芸能活動をしていないという。
ちなみに、タン・ランと同じような経歴の南ベトナムルーツのシャンソン歌手は、ゴック・ラン(Ngoc Lan)、キエウ・ンガ(kiều nga)等がいる。
タン・ランが歌う「アイドルを探せ」
https://youtube.com/watch?v=oyQ42BCHbhg&si=FuadG8XG_mUUof1A
ゴック・ラン(Ngoc Lan)、キエウ・ンガ(kiều nga)が歌うシルヴィ・ヴァルタン「Toi Jamais」
https://youtube.com/watch?v=NhNIpRj9tak&si=KMaJQqYB5jFuGh5C