シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

シャンソン酒場peuple ⑥

夏の名残というわけではないが、岩見沢シャンソン酒場peuple」再訪。

シャンソン酒場peuple」、8月で38周年を迎えたらしい。
だが、それも現在地に移転後のことであって、前住所では15年ほど営業していたというから、合計すれば50年を超える。
本当はアニバーサリーマンスに行きたいところだったが、都合がつかず9月にずれ込んでしまった。

周年のお祝いには、バラの花とブックオフで見つけた倍賞千恵子シャンソンを歌っているレコード。


倍賞千恵子シャンソンのレコードは、見つかりそうでなかなか出てこない盤だ。
彼女のシャンソンは譜面に忠実、あまり面白味はない。
同じ盤に収録されている「船頭小唄」のほうが良かった。

倍賞の愛らしい歌声を聴きながら、マスターから最近パリオリンピックの「愛の讃歌」効果でお客が来たこと、私の「シャンソン酒場peuple」の紹介記事をきっかけに来た客がいたことを教えてもらう。


あと、店内に美輪明宏のポスターが増えた。
今は無き、札幌銀巴里のマスターから貰い受けたものらしい。
店に飾ると退色するので出し惜しみしていたらしいが、やはり美輪さんのまなざしは空間を引き締める。

お祝いを贈ったお礼に、マスターがシャンパンを抜いてくださる。
金色の泡を眺めながら、2枚目のレコードのフランソワーズ・アルディをリクエスト。


「もう森へなんか行かない」のレコードは、かつて常連だった男性が置いていったものらしい。
この男性は、小学生のとき音楽の授業で先生から「今からタンゴのレコードをレコード店に行って買ってこい」と言われて、買って帰ってきて聴かされて以来のタンゴファンだった。
店では、アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴをリクエストしたらしいが、あるときアルディのレコードを店に置いていった。
それからその男性は来なくなり、しばらくしてから息子夫婦が来て、彼が亡くなったこと、家にあった大量のレコードを全て処分したことが告げられた。
マスターは、男性の唯一の遺品となったアルディのレコードを息子に見せると、これは男性がよく家の中で流して家族に聴かせていたそうだ。
そして、マスターは息子夫婦のためにアルディのレコードを流し、男性を追悼したという。
私もまた、レコードを通じてその男性と心を通わせたような気がした。

3枚目は、パトリック・ブリュエルのライブ盤。


彼は、戦前のシャンソンをジャズっぽいアレンジで80年代末にリバイバルさせた歌手。
マスターは、ブリュエルの楽しそうな歌声から、彼が本当にシャンソンが好きなのが感じられることに好感を覚えるそうだ。
一応、日本にもレジョン・ルイというブリュエルばりの才気あるシャンソン歌手がいることをアナウンスしておく。
そして、日本の楽曲をフランス人が歌うこともあるという話から、私が最近気に入っているYOASOBI「アイドル」のフランス語カバーを聴いてもらう。
そして「いまの日本のポップスは言葉の羅列だから、フランス語と相性がいい」ということで意見が一致。
「YOASOBI「アイドル」、シャンソンとしてフランスから売り出せばよかったのにー」というのは私の弁。

やっぱり私は「シャンソン酒場peuple」が好きだ。
ここでは、ただの男子としてシャンソンを純粋に楽しめるから。

ドイツのシャンソン訳詞文化をめぐる冒険

ドイツのシャンソン訳詞文化をめぐる冒険

フランスのシャンソンに自国の言葉で訳詞を作って歌う、というのは日本独自のものかと思いきや、ドイツでも盛んに行われていることが分かった。

きっかけは、引退した某シャンソン歌手とお茶会をしたとき、「ドイツの女性俳優がセルジュ・レジアニのシャンソンをカバーしたレコードがあり、それをきっかけにレジアニの「パリは我がバラ」をレパートリーにした」という話を聞いたことであった。
ドイツの俳優がレジアニのシャンソンのカバーアルバムを出すなんて、そんな奇特なことがあるのだろうか。
早速調べてみると、エリカ・プラハー(Erika Pluhar)という女性俳優が1975年に出した「Die Liebeslieder Der」というLPレコードが、レジアニのカバーアルバムであることが分かった。
このアルバム、日本で購入することは不可能、さらにはインターネット上で音源を聴くこともできない。
しかし、YouTubeには彼女が「hotel zur einsamkeit」という楽曲を歌ったライブ映像があり、これがレジアニの「hotel des voyageurs(旅人たちのホテル)」のカバーであった。
その歌詞は、エリカの夫によるドイツ語訳詞であり、歌唱というより朗読劇のような印象だ。
おそらく私とお茶会をした元シャンソン歌手は、エリカのカバーを聴いてからレジアニのオリジナルを聴いて、それで彼のシャンソンの豊かな音楽性を発見したのであろう。
たしかに、レジアニのシャンソンが市販のCDなどに収録されているのは稀であるし、何らかのきっかけがないと巡り合うことがないような気がする。

この一件から、私はドイツでどのようにフランスのシャンソンが歌われているのか興味を抱いた。
その足がかりとなったのが、物理学者の飛田克己氏のブログである。
氏は、ドイツに留学中に音楽に親しみ、その余暇にシャンソンを聴きにフランスに行ったりしていたらしい。
そして氏のブログをもとに独自に調査して、ドイツでは日本同様に訳詞でシャンソンが歌われているのを知ったのである。
ちなみに、エディット・ピアフのカバーアルバムを出したマリア・ビル(Maria Bill))など、フランス語でシャンソンをカバーするドイツ歌手も一定数存在することが分かった。

ドイツ語でカバーされるシャンソンの訳詞の特徴は、当たり前のことだが、韻が踏まれていることだ。
日本の言語には押韻がないので、フランス語のシャンソンの歌詞を音として再現できないのが最大の難点であるが、ドイツ語ではそれが克服され、言葉の発音とメロディーの響きが共鳴している。
歌詞を発音することもまた楽器のひとつであるのを痛感した。
また、シャンソンの歌詞の内容がドイツ語の訳詞ではどの程度再現されているのか知りたいところだが、フランス語とドイツ語に通じていない私には調べることができなかった。

また、ドイツでは圧倒的にジャック・ブレルのシャンソンがカバーされているのも特徴的だ。
ドイツ語の特徴的な破裂音が、ブレルのシャンソンと非常に相性が良い。
なので、ドイツでは「Kalussel(華麗なる千拍子)」や「Tango funebre(葬送のタンゴ)」などのメロディー性が高いシャンソンが重視され、日本で好まれる「愛しかない時」や「行かないで」「孤独への道」は取り上げられない。
ブレルのシャンソンのメロディー性と歌詞の内容とのどちらを重視するかが、日独の違いとなっている。
だが、歌詞とメロディーの双方に優れた「Lied von den alten liebenden(懐かしき恋人たちの歌)」「Amsterdam(アムステルダム)」は、やはりドイツでも人気なようだ。

ところで、オペレッタの男性俳優である、ミヒャエル・ヘルタウ(Michael Heltau)は、ドイツのブレル唄いと言っても過言ではない。
ミヒャエルのウィキペディアには、ブレル自身が彼にドイツ語でカバーすることを許したとある(google翻訳のため正しい情報かは不明)。
ミヒャエルはブレルのカバーアルバムも出しており、折々でブレルのシャンソンを披露している。
彼はオペレッタの俳優だけに、その歌い方は朗々としており、まさに「いぶし銀」の魅惑に溢れている。
彼の歌声は、ブレルよりもシャルル・トレネに精通すると思っていたら、案の定トレネの楽曲の数々もドイツ語でカバーしていた。
「Ich spiele(私は歌う)」「Ich liebe das Milieu(パリのミュージックホール)」「Was Bleibt Ist Bloß Erinnerung(残されし恋には)」など、やはりメロディー性のあるシャンソンが選ばれているように感じた。
YouTubeでは、ミヒャエルの動画の数々を観ることができ、ピアフの「パダン・パダン」やイタリアのミルバと「群衆」をデュエットしてるものまである。(第二次世界大戦中にユダヤ人が作った「パダン・パダン」がドイツ語で歌われていることは、私にとって驚きであった) 
さらに、Amazonでは彼の楽曲がMP3で安価で配信されているのもありがたい。
ミヒャエルは、日本の「シャンソン歌手」に一番近い存在であるといえよう。

女性俳優のギーゼラ・マイ(Gisela May)は、同じくブレルのシャンソンをドイツ語でカバーしている。
彼女は劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品に数多く出演し、作曲家クルト・ヴァイルやハンス・アイスラーの作品を歌った人だ。
ギーゼラの歌声は、晩年のジュリエット・グレコそのものである。
「Mathilda(マチルダ)」など聴くと、ギーゼラがグレコを意識してるのは明白である。

女性俳優のヒルデガルト・クネフ(Hildegard Knef)は、アメリカでも活躍した人で、「セ・マニフィーク」「アイ・ラブ・パリ」で知られるミュージカルの作曲家コール・ポーターの作品を多く吹き込んだ経歴をもつ。
彼女は、1978年に「Überall blühen Rosen(バラはあこがれ)」という、フランスのシャンソンの代表曲の数々をドイツ語でカバーしたアルバムを出している。
これは、私の手元にもあるので収録曲を紹介したい。

ジルベール・ベコー「バラはあこがれ」「そして今は」
シャルル・デュモン「夢の女」
フランソワーズ・アルディ「出逢い」
ジャック・ブレル「平野の国」「アムステルダム
リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉を
シャルル・アズナブール「あきれたあんた」「ラ・ボエーム
エディット・ピアフ「バラ色の人生」
ジュリエット・グレコ「パリの空の下」
パーシー・フェイスムーラン・ルージュの唄」

まさにシャンソンの王道を攻めたアルバムだが、あまり面白味はない。
ヒルデガルトの重厚なアルトが、楽曲全体を堅苦しくしている。
先述したブレルに加えて、ベコーの楽曲もまたドイツ語と相性が良かった。
ただ、ベコーのシャンソンアメリカでも大々的にカバーされているし、彼のメロディーは万国共通でウケが良いことが証明されただけだ。
そして「聞かせてよ愛の言葉を」「バラ色の人生」「パリの空の下」は、ドイツ語で歌っても、フランスの原曲には遠く及ばない。
だが、ひとつ面白いのは、アズナブールの「Mein ideal(あきれたあんた)」で、ヒルデガルトはこのシャンソンをアップテンポのポップスとしてカバーしている。
不摂生な同棲相手にグチを並べるこのシャンソンを、彼女はドイツのオペレッタの雰囲気に結びつけて表現している。
このアプローチは、ドイツならではを感じて、非常に楽しい。

こうして見ると、ドイツではオペレッタやミュージカルの俳優によってフランスのシャンソンが歌われているのが分かる。
日本でも、音大出身者や舞台俳優がシャンソンを歌うのがセオリーなので、ドイツと共通するといえよう。
ただ、ドイツ語の発音の破裂音はバラードには不向きで、ブレルの「Die alten(老夫婦)」、トレネの「Noch mehr(ラ・メール)」は、日本語訳詞に軍配が上がる。
ここまで調べてみると、他にもシャンソンをカバーする歌手はいるのか、ドイツにはシャンソンの訳詞家が存在するのか、など疑問は尽きない。
あわよくば「日独シャンソン訳詞の会」などのコンサートを催したいところだが、これは力のない私には無理、心ある人に委ねたい。

せっかくなので、ドイツ語で歌われるシャンソンを文末に紹介したい。
マレーネ・ディートリッヒの「行かないで」は、まさにドラマティック・シャンソンの極みである。
ドイツのマレーネ、日本の美輪さんという悲劇的シャンソンの繋がりも見えてきて、シャンソンファンとしてまことに心晴れやかになる。

[動画URL]

https://youtu.be/QlEz-3zJCy8?si=hH_rtnERgdUDqK31

唯文さんのライブ @苫小牧「カプリス」

7月24日、苫小牧のシャンソニエ「カプリス」へ。
こちらは、北海道唯一のシャンソニエであり、毎月末には道内外で活躍するシャンソン歌手をゲストとして招いている。

かつて、苫小牧には「ペペ・ル・モコ」というシャンソニエがあった。
「ペペ・ル・モコ」が閉業した後、そこで働いていた現在のママさんが「カプリス」をオープンさせた。
そして今月は、その「カプリス」が30周年を迎えるアニバーサリーマンスなのだという。

今夜のゲストは、苫小牧出身で都内で活躍する唯文さん。


昨年、東京ドームシティホールで開催された「パリ祭」はライブ配信されたが、その時に視聴した唯文さんの「今夜は帰れない」が素晴らしく、ぜひとも生のステージを観てみたいと思っていた。
唯文さんは、昨年夏も「カプリス」に出演していたが、その時は私の勤め先でコロナのクラスターが発生してしまい、泣く泣く観覧を断念したのであった。
そして今夜、ようやくその夢が実現したのであった。

はじめてお会いする唯文さんは、私に御心を尽くしてくださり、私のリクエスト曲の数々に応えてくださった。

愛しかない時
She
勝手にしやがれ
センチメンタル・ゲイ・ブルース
ハイヒール
アコーディオン弾き
今夜は帰れない

唯文さんのステージを間近で観覧して、私は氏の歌声に「男の死からの再生」が共通して表れているのを感じた。
三島由紀夫は「大義のために死ぬ」ということを、男の死に方の理想としたが、唯文さんの「今夜は帰れない」には、恋人に寄り添うことができない諦念と同時に、祖国のために死んで麦の穂として生まれ変わる悲劇的英雄への憧れが、際どいバランスで込められている。
一方で、今年の「パリ祭」でも歌われたという「愛しかない時」は、戦場をくぐり抜けた冷めきった目で非戦を訴えているように感じた。
戦争を知らない人間が声高に反戦を訴えるのとは異なる、惨禍を知るからこそ主張できる説得力を醸し出しているように思え、やはりこれも「男の死からの再生」だった。
そして「センチメンタル・ゲイ・ブルース」は杉本真人さん、「ハイヒール」は井関真人さんによる歌謡曲で、ともにオネエが主人公だ。
ひとりの男がホモセクシャルに目覚め、やがて「男」というセクシャリティーを捨てて、女装をして「女」として生きていく姿を描く。
伸びてくるヒゲやスネ毛、男の足に合わないハイヒール、などの男が女に成りきるための苦悩が散りばめられたコミックソングだが、その根底のテーマは男としての自分を殺して社会で生きる哀歌に他ならない。

我ながら堅苦しく唯文さんのシャンソンについて記したが、氏はこうした深刻なテーマを前面に出さずに、実に華やかに楽しく、そして卒なく歌っている。
そのエンターテインメントぶりに、私は清々しい好感を抱いたのであった。

シャンソン酒場peuple ⑤

先日、ご機嫌伺いの電話があり、岩見沢シャンソン酒場peuple」へ。

今回はあまり時間がないので、ウィスキー2杯でお暇をする。
いつもは泥酔するまで飲むので、我ながらセーブできて偉い。

とはいえ、今週日曜日の「北のパリ祭」でシャンソンを沢山聴くので、今回はシャンソンのレコードは避けたいところ。
そうしたらマスターから、むかし店でバイトしていた男性が久々に店に来て「加藤登紀子の「あなたの行く朝」という曲が聞きたい」とリクエストしてきた、という話をして下さる。


そのレコードは、お登紀さんが岩見沢でコンサートに来たときに実際に手に取り「このレコードを持ってる人がいるなんて!」と驚いたという品。裏面には、お登紀さんの「夜更け」のサインがある(エモい)。

今回はこのレコードを流してもらうことにした。
昔のお登紀さんのレコードは、芯が一本通った歌い方をしていて、凛とした気持ちになる。

マスターは、私に見せたいものがあると、ゆかりの品々を出して下さる。


昔、店に来たお客が「兄の遺品」だと置いて行った、モンタンやジジ・ジャンメール、グレコ、パタシュー、ブラッサンスのEPレコード。
見た目からして相当古いレコードなのがわかる。
まさにシャンソンブーム時代の遺物である。
昔は、こういうレコードに胸をときめかせていたシャンソンファンがいたのだなぁとしみじみする。

スナップ写真の数々は、peupleが現在地に移転する前の店舗を写したもの。レンガ造りの壁に、シャンソンのLPレコードの付録だった歌手のポスターを沢山貼ったしつらえだった。
店内は小さな空間だったらしいが、連日満員で立ち飲み客が出るほどだった。
お客同士でカップルが成立したこともあったらしい(シャンソンファン同士のカップル、憧れます)。
そしてそんなラブスポットは、当時の地方新聞「北海タイムズ」の記事にもなった。

peupleの10周年記念パーティーには、札幌の歌手、歌川勉さんが出演した(白いシャツの口ひげの人。昔の歌さんはイケオジだったのだなぁ!)。
他にも、シャンソン関係者が複数写ってるらしい。
ちなみに、真ん中が店の創業者の永原秀子さん、左隣が現マスター。

 

山本四郎さんのレコード「恋人よ今晩は/青い霧の夜」

シャンソン歌手の故・山本四郎さんのレコードを入手した。

1958年(昭和33年)に発売された「恋人よ今晩は(Gloria Lasso「Buenas noches mi amor」)/青い霧の夜 (Gerhard Wendland「Der weisse Domino」)」のEPである。

これは、ドイツのグラモフォンレコードが日本に進出するに当たって、第一号に作られたシングル盤であり、グラモフォンレコードの小会社であるポリドールレコードから発売された。
この時にレコード歌手第一号として選ばれたのが、山本さんと深緑夏代さんであった。


深緑さんの「悲しみよこんにちは/パリの夜」は、後にCD化されたが、山本さんの音源はこのレコードでしか聴くことができない。
ちなみに、二人はグラモフォンレコードと専属契約はしておらず、このシングルレコードのみの単発契約であった。

この当時の山本さんは、新人シャンソン歌手であり、中原淳一さんプロデュースによるデビューリサイタルを成功させたばかりであった。
しかしながら、その歌声は見事であり、フランク永井さんを彷彿とさせるムードと気品に満ちている。
おそらく、レコード制作に当たってムード歌謡路線が意識されていたのだろう。
A面の「恋人よ今晩は」は現在では「恋人よ、おやすみなさい」のタイトルで知られるシャンソン、B面の「青い霧の夜」はドイツの流行歌であり、ドイツのグラモフォンレコードへの気配りを効かせている。
ちなみに、A面はフランスの楽団、B面はドイツの楽団のカラオケを先取りし、それに合わせて山本さんが歌うという方法が採られた。
これは当時では画期的な方法だったらしく、山本さんは最初のうちは音合わせに骨を折ったが、徐々に日本の楽団には望めない音の良さを楽しんだという。

山本さんと深緑さんは、ライブの生のステージを大切にし、あまりレコードを残さなかった歌手であったが、日本のシャンソンブームのさなかで二人を求めるファンが多かったのが窺える。
この二人をレコード歌手に指名したグラモフォンレコードの先見の明にも驚くばかりだ。

ちなみに、来月7月は山本さんの七回忌に当たる。

篠原涼子さん「恋はシャンソン」

俳優の篠原涼子さんは、1990年の16歳の時に「東京パフォーマンスドール」というアイドルユニットでデビューした。
94年に小室哲哉さんのプロデュースでリリースした「恋しさと せつなさと 心強さと」がヒット。
2000年代からはドラマ「アンフェア」ハケンの品格」などで俳優としての地位を確立してゆく。

そんな篠原さんのファーストシングルは91年リーリースの「恋はシャンソン」という楽曲だ。
謡曲にありがちな「○○シャンソン」のたぐいかと思いきや、なんとクロード・フランソワの「Chanson Populaire」のカバーだったので驚いた。
訳詞者は「in voice(江藤孝子、川口淳一)」というユニットで、「東京パフォーマンスドール」の作詞曲、編曲を担っていたらしい。

私は歩く 今日も
あなたを探し
昼も夜もない この街で

噂ばなしをたよって
握りしめてる アドレス
あとの事は考えてない
ただ今は 会いたい

抱きよせられて 
あたためあって
Ah ただそれだけで
女はしあわせ感じるの
やさしい言葉
かわすくちづけ
Ah ただそれだけで
女はよろこび感じるの

それさえも許されないのなら
私は飛び出したい 空の上
闇の国

もう一度だけ
あつく燃えたい
男と女のめくるめく恋は
シャンソンだから

愛した男に再会できないなら死んでやる、という歌詞である。
ここから90年代初頭の時代の雰囲気などを感じ取ることはできないが、当時から住所録のことを「アドレス」と呼んでいたことが意外であるし、「女は○○というもの」というフレーズは、現在では絶えて久しい。

この楽曲の聴きどころは、篠原さんのイメージがデビュー当初から一貫しているのが分かることだ。
この楽曲の歌声を聴くだけで、すぐに「篠原涼子!」と気づくし、この延長に俳優の篠原さんの印象的な声色があるのかと思うと、実に感慨深い。
篠原さんのキャリアが、この取るに足らないシャンソンを珍曲に高めている。

ちなみに、「恋はシャンソン」のカップリングは「カメレオン・カフェ」。
これは、イタリアのディスコミュージック、D.D.soundの「Café」のカバーである。
17歳の少女のファーストシングルが、シャンソンカンツォーネのカバーというのは、ずいぶんとシブい趣向だとは思わないか。

シャンソン酒場Peupleの記④

5月18日、岩見沢シャンソン酒場Peuple」へ。
このところ、私のアカウントが店の宣伝じみてきている。
今年は、シャンソンの調査研究よりも、シャンソンを通じた出会いや発見を大切にする一年になりそうだ。

まずは、ウイスキーロックとジルベール・ベコーをリクエスト。


マスターは、フランスのCD3枚組の全曲集を用意してくださる。
これは、ベコーのデビューから晩年までの曲を網羅したアルバムらしく、私は晩年の曲を中心に流してもらう。
ベコーのシャンソンは、歌声とセンスのクォリティが生涯安定していたので、安心して聴ける。

「昔、札幌でベコーのコンサートを観た」
というマスターのお話から、
「札幌にはどんな歌手が来てたんですか?」
と尋ねると、ジュリエット・グレコシャルル・アズナブール、アダモ、ミレイユ・マチュー、ピア・コロンボ…とビッグネームが上がる。

「昔、店のバイトだった青年はシャルル・デュモンのレコードが好きだった。彼は東京に行ったが、里帰りをしたときに「東京ではデュモンのレコードを流す店なんてどこにもない」と嘆いていた」
なんと、美しいエピソードだろうか。
シャンソンのレコード1枚が「ふるさとの訛なつかし」のようになるなんて、胸がキュンとなる。

突然、マスターは店の奥にある沢山のレコードが収納された棚に近づくと、コレクションの数々をカウンターに広げてくださった。

 


マチュー、デュモン、コロンボ、アラン・バリエール、カトリーヌ・ソバージュ、ノエル・コルディ、セルジュ・ラマ、ラファエル、アダモのイタリア盤…。
これらは、マスターが札幌のレコードショップに買い出しに行って集めたもの。
岩見沢シャンソンファンを喜ばせたいというマスターの思いが、レコード1枚、1枚にこもっている。

中でもピカイチだったのが、エヴァのレコード。


エヴァは、ドイツ出身でナチスの記憶が残るフランスで辛酸を嘗めながら音楽活動をして大成した歌手。
彼女の「いつ帰ってくるの」や「雨とウイスキー」などは、歌声に真摯なものを感じて、聴き入ってしまう。

「セルジュ・ラマの「灰色の途」は、日本人では超えられないね」
「酔っ払ってうるさい客も、ピア・コロンボのレコードを流したら一瞬で黙る」(岩見沢の客のマナーの高さよ)
「峰は、やっぱりマニアックな歌手が好きなんだな」

マスターのシャンソン語録はどれも楽しい。

以前、マスターに悩みを打ち明けたことがあった。
それが解決したことを伝えると、スパークリングワインをお祝いに開けてくださる。


レコードは、バルバラの1974年のライブ盤に突入。


ワインの甘味にグラスが進み、だんだんと私は泥酔していったが、もしかしたら私もまたバルバラのレコードに黙らされたのかもしれない。

「昔、札幌に「バルバラ」という店があって、そこもシャンソンのレコードを聴かせる店だった。余市の果樹園のおっちゃんが常連でシャンソンを聴きに来ていた」

やはり北海道にもシャンソンの良き時代があり、「シャンソン酒場Peuple」には今もなお、それが続いている。
そして私もまたその時代の一員に加わりたいと想うのであった。