2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧
生者と死者の肉声 石坂真砂シャンソン歌手からフォークシンガーに転身した加藤登紀子のように、シャンソンをきっかけにオリジナル曲を歌うようになった歌い手は数多い。 こうした人々が、オリジナル曲を歌うようになった経緯を知りたいと思った。ところで、…
北海道の伝説のシャンソン歌手・嶋保子北海道で活動するシャンソン歌手の方とお話しすると、よく嶋保子の名前を聞く。嶋は昭和24年、夕張生まれ。 シャンソン歌手の堀内環に師事し、昭和57年に札幌銀巴里でデビューする。 その後、自身の店であるシャンソニ…
「琥珀の虫が羽ばたくとき」先日、珍しいレコードを手に入れたA面 柴田睦陸「ラ・クンパルシータ」 B面 由利あけみ「シボネー」 演奏 櫻井潔と其の楽団 (昭和14年 ビクターレコード)声楽家が歌うタンゴとラテンのレコードである 「ラ・クンパルシータ」は前…
「一枚の写真から紡ぐ縁 第39回パリ祭(2001)」昔、ある方から写真をいただいたことがある。写真の下には「01 07 14」と記されている。2001年、第39回パリ祭のときの写真である。 中央には、芦野宏、石井好子、深緑夏代、高英男がいる。横にはムッシュかまや…
「ヨコハマ・元次郎」先日、Facebookで知り合った方からシャンソン歌手、元次郎(がんじろう)のCDを頂戴した。この場を借りて御礼申し上げます。 元次郎のシャンソンはYouTubeで聴いたことがあり、とても気に入っていたのだが、CDが廃盤である上にプレミアが…
「原点回帰と革新のパリ祭ー89年パリ祭ー」ある方からのご厚意で、パリ祭の映像を数本見る機会に恵まれた。かつてテレビ放送されてものを録画した映像だが、今では大変貴重な資料である。 今回は、1989年(平成元年)のパリ祭を紹介したい。この年はフランス革…
「シャンソン歌手以外の人にシャンソンを ー97年 第35回パリ祭ー」今回は第35回パリ祭(1997年7月10日 東京厚生年金会館大ホール)の映像を観る機会に恵まれたので、レポートしたい。 このときのシャンソン界の状況を見てみると、前年の1996年はベテラン歌手の…
「南蛮人の叫びを歌う 月田秀子」 今年亡くなられたファド歌手の月田秀子のアルバムを、先日手に入れた。歌詞カードには自身の柔らかな筆致のサインが記されている。月田秀子 1951年、東京の下町に生まれる。高校時代に大阪に行き、女優を目指す傍らで、菅美…
「高踏な情歌 ー坂東玉三郎「枯葉」ー」昨日、11月7日は、越路吹雪の命日であった。Facebookを見ると、シャンソンファンは各々の思いを抱いて、彼女を偲んでいたようだ。私は、昨日NHKで放送された「うたコン」という歌番組を観た。歌舞伎役者の坂東玉三郎が…
「追悼 麻田マモル」2017年3月8日に亡くなったシャンソン歌手の麻田マモルを取り上げる。麻田マモル 1951年生まれ。 歌手としてシャンソンやオリジナル曲を歌い、ミュージカルにも出演した。 主に札幌を中心に活動し、すすきのでミュージックバー「Key Point…
「紳士的歌声 山本四郎」日本のシャンソン史を調べていると、今では名前を聞くことがあまりないが、かつて素晴らしい才能を持った歌手が沢山いたことを知り嬉しくなる。山本四郎もそのひとりだ。山本は、東京出身。昭和28年に武蔵野音大を卒業し、同年にNHK…
「瓶詰の砂糖菓子 其の名、わすれな草ー橘薫ー」 日本で最初のシャンソンの専門歌手として知られている橘薫のレコードを手にいれたので紹介したい。橘薫は、明治45年に北海道八雲町で生まれた。 のちに宝塚少女歌劇団に入った橘(エッチン)は、男役の三浦時子…
「文学の秋 シャンソンと詩人 ー谷川俊太郎ー」1960年代のシャンソンブームは、音楽としてだけでなく日本の文学界にも大きな影響を与えた。 私は以前、作曲家の高木東六が、シャンソンをレコード会社による商業主義によって作られた日本の歌謡曲の対局に位置…
「若者とシャンソン 「純粋シャンソン愛好家」の創出」最近、短歌の世界で「純粋読者」という言葉が話題になっているようだ。 これは歌人の雲嶋聆(くもしま れい)が、評論「黒衣の憂鬱ー編集者・中井英夫論」(第35回現代短歌評論賞)で述べられたものである。…
「日本シャンソン界の父 原孝太郎」先日、札幌で美輪明宏がコンサートを催した。 そのなかで美輪が「私は、原孝太郎と東京六重奏に習ってましたからね、それでタンゴを覚えたんです」と話していた。 多分、「それって誰?」と疑問に感じる方がほとんどだった…
「日本のミスタンゲット 菅美沙緒」菅は大正5年、愛媛県生まれ。 東京で声楽家の三浦環のもとで学び、昭和17年に日本歌曲のリサイタルを開いたが、シャンソンに惹かれたことがきっかけで、戦後はシャンソン歌手に転身する。 昭和22~4年にかけて3回のシャン…
☆ 木島新一と「Mavie 80」先日、東京の「アバンセ」というお店に飾られている高野圭吾の絵の画像をアップしてくれた方がいた。その投稿の中に、高野、くどうべん、木島新一の3人が肩を組んでる写真があった。 「くどうべんは知ってるけど、木島新一って誰だ…
名古屋に研修の折、シャンソニエ「エルム」に伺った。 ここは、名古屋を代表するシャンソニエであると同時に「日仏シャンソン協会」(以下協会)の拠点でもある。この協会の活動は、シャンソンを通じて日仏の交流だ。日本のシャンソン歌手が多く所属する「日本…
訳詞家の肖像 山本雅臣前回のNaomiさんのライブを観て以来、日本のシャンソン界で活躍した訳詞家について調べてみたいと思った。日本のシャンソン史が歌手だけでなく、訳詞家によっても支えられてきたのではないか、と考えるようになったからだ。 そんなとき…
「お姉さんの歌 中原美沙緒」日本シャンソン協会では、毎年この時期にシャンソン界に貢献した人物に「プリスリーズ」という功労賞を授与している。 私はこの「プリスリーズ」には関心があるのだが、これまで受章された人々は、シャンソンが好きだという人た…
劇的シャンソン ー訳詞家・五十嵐顕男最近、五十嵐顕男訳の「愛は君のよう」を歌う機会があった。 アダモの「愛は君のよう」は、日本では真咲美岐の「暗い日々のなかで…」から始まる訳詞が有名だが、五十嵐のは若い男が主人公の原詞からかけ離れた内容になっ…
ビショップ節子昭和30年代くらいのシャンソンの資料を見ていると、よく目にするのがビショップ節子という女性歌手の名前である。ビショップ節子 昭和3年、市ヶ谷生まれ。旧姓は桑原節子。 東京音楽学校声楽科を卒業しオペラ歌手を志す。 その後、画家のビシ…
鉄人・高毛礼誠前回のビショップ節子同様に、昭和30年代のシャンソンブーム以降、消息が分からない歌手がいる。 高毛礼誠(たかもれ まこと)なる人物だ。彼は、昭和30年に東京芸大の声楽科卒業後、シャンソン歌手として銀巴里でデビューした。当時のシャンソ…
「アサ芸プラス」というニュースサイトに、露口正義なる人物が書いた記事が投稿された。 俳優・松村雄基がシャンソンライブを開くが、それは彼が同性愛者であるのをカミングアウトすることに他ならない、というのだ。その理由は、「日本のシャンソンはゲイと…
森繁久彌のアルバムを手に入れた。「詩の旅路」というLP二枚組である。 「春夏秋冬」をテーマに、叙情歌、戦時歌謡、寮歌、オリジナル曲を収めている。とはいえ、単純に「春なら春の歌」というわけではなく、「人生の春だった幼少期」「人生の夏だった青春期…
先日閉店したライブスペース「サラヴァ東京」のプロデューサーであるソワレと、店に出演していた若手歌手によるシャンソンのアルバム「シャンソワレ」が発売された。 収録されている曲は、越路吹雪の研究家でもあるソワレのセレクトらしく彼女のレパートリー…
平成も今日で終わるが、何か平成らしい日本のシャンソンのアルバムはなかったろうか、と思っていると レ・モーヴェ・ギャルソンヌ「愛の賛歌」 が目に入った。レ・モーヴェ・ギャルソンヌは、2001~2年に活動した女性3人組のユニットである。ユニット名はフ…
「家出少年のシャンソン くどうべん補稿」昭和30年代に発売されたエンゼルレコードのソノシートには、工藤勉「パリ祭」(くどうべんは、昭和40年頃まで漢字表記、工藤勉だった)が収録されている。 工藤は、国立音楽学校を卒業後、昭和31年にシャンソン歌手と…
昨日は「さっぽろ寺山修司資料館」に行ってきた。 寺山と交流があった山形健次郎氏所蔵の資料を展示する私設博物館で、今年の五月に開館した。展示資料は、山形氏宛の書簡、寺山関連の書籍やポスターである。書簡は学生俳人としてデビューし、ネフローゼで入…
イラストレーターの和田誠が死去した。 和田のイラストは70年代以降レコードジャケットなどでよく見かけるが、あの人懐っこい絵は惹かれるものがある。また、私が学生の頃に読んでいた星新一や阿刀田高の著作の表紙絵は今見ても懐かしい。最近だと、テレビ番…