グラシェラ・スサーナのフォルクローレ
グラシェラ・スサーナといえば、「アドロ」「街燈」などのヒット曲を持つが、私はこれらを日本のシャンソン歌手のカバーで知った。
それゆえ、スサーナの日本語での歌唱には食指が動かなかった。
最近、アルゼンチン出身のスサーナがフォルクローレを歌ったアルバムがあることを偶然知った。
LPレコード『牛車に揺られて』は、1972年の発売で、「アドロ」がヒットする前年に当たる。
そのアルバムのスサーナの透明感のある歌声、そしてアルゼンチンの民謡の大らかなメロディに、私は心を打たれたのであった。
グラシェラ・スサーナは、1953年生まれ。
姉にフォルクローレデュオ「クリスティーナとウーゴ」のクリスティーナ・アンプロシオがいる。
「クリスティーナとウーゴ」のクリスティーナとマルティン・ウーゴは夫婦であるが、この2人が結婚する前はスサーナも混ざって3人で歌手活動していたらしい。
そして、スサーナは1971年に、菅原洋一さんに見出されて来日する。
そのさなかにリリースされたのが『牛車に揺られて』であった。
ちなみに、「クリスティーナとウーゴ」が、NHKのテレビ番組「世界の音楽」で、出演予定だったミュージシャンの代役で歌声を披露し、ヒットをしたのは1973年のことであった。
スサーナのフォルクローレは、1年早すぎたのである。
結果として、スサーナはヨーロッパのヒット曲や日本の歌謡曲を日本語歌唱してスターになったが、私は彼女がフォルクローレの歌い手として認知されていたらどうなっていただろうかと想像する。
彼女のピュアな歌声とフォルクローレの美しい音楽性が忘れさられてしまったことは、まことに惜しい。
ところで、このアルバムにはアルゼンチンのフォルクローレを世界に広めたアタウアルパ・ユパンキの楽曲が3曲収録されている。
ユパンキは、ギターの弾き語りでフォルクローレを歌い、多くの作品を発表するも、当時の軍事政権が彼の活動を反政府的だと敵視したため、1950年代にフランスに亡命する。
そのとき、ユパンキの才能を見出したのがエディット・ピアフある。
ピアフは、ユパンキにギターで伴奏をさせて活動のチャンスを与え、やがて彼のフォルクローレはフランスのディスク大賞を得る。
アルゼンチン政府は、国益のためにユパンキに帰国をうながし、彼もそれに応えるも、数年後に再びフランスに渡って、1992年に死去した。
今回、私はスサーナを通じてフォルクローレの世界に触れたが、調べてゆくとフランスとピアフに繋がっていくのは面白かった。
ユパンキの代表曲「トゥクマンの月」は、次のような歌詞である。
血にまみれた心で迷う
人生がどこに向かうのか
誰が知ろう
でも月が昇ると
私は歌う
愛するトゥクマンの月に
歌う歌う
このユパンキの亡国の譜と、彼を助けたピアフを思うと、胸が熱くなる。