シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

吉永小百合のシャンソン

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吉永小百合シャンソン

先日、札幌の大丸セントラルにブロマイド専門店の「マルベル堂」が出店していたが、私の好きな浜田光夫さんのブロマイドが1枚も売っておらず、( ゚д゚)ポカーン となる。

若かりし頃、小鹿(バンビ)のごとく愛らしかった彼は、映画で吉永小百合さんとゴールデンコンビであった。そういえば、吉永さんは岸洋子さんのファンだったはず、と思い調べてみると、彼女がシャンソンを吹き込んだアルバムを発見した。

吉永小百合 愛を歌う』(1970年、ビクターレコード)

早速入手して聴いてみると、変に芝居がかっておらず、丁寧に歌い込んでいるのが伝わるアルバムである。曲目を見ても、あまり重たいテーマのものを選ばず、無難なラブソングを並べているのも好印象だ。
このアルバムでの吉永さんの歌い方は、「いつでも夢を」のようなイメージとは異なる、例えるなら前年にデビューした由紀さおりさんのような大人っぽさを前面に出している。現に冒頭の「黒いオルフェ」(「Manhã de Carnaval」もとはブラジルのボサノバ)は、スキャットからはじまっている。
このときの吉永さんは25歳。前年に早稲田大学を次席で卒業し、才女ぶりを世間に知らしめていた。その一方で、青春物の映画が下火になっていた時期でもあり、アイドルから大人の女性への転換が求められていたことも、このアルバムの製作背景にはありそうだ。

ところで、このアルバムの構成を見ると、岸洋子さんを暗に意識しているのが読み取れる。
収録曲のうち4曲(「愛の讃歌(Hymne l'amour)」「じらさないで(Ne joue pas)」「私の回転木馬(Mon manege a moi)」「チャオ・チャオ・バンビーナ(Ciao Ciao Bambina)」)が、歌詞は違えど岸さんのレパートリーと一致するし、オリジナル曲「遠い国の古い伝説」は、「夜明けのうた」の作曲者である、いずみたくを起用している。

何より、一番注目したいのは「希望」という楽曲である。
これは、1956年のフランスで上演された、アレクサンドル・ブレフォー(Alexandre Breffort)とマルグリット・モノー(Marguerite Monnot)によるミュージカル『イルマ・ラ・ドゥーズ』(『Irma la douce』。「色女イルマ」と言ったところか。1963年アメリカで『あなただけ今晩は』のタイトルで映画化された)の、同名の主題歌である。
この歌詞は、次のようなものだ。

だまってどこかに行ったまま 一度も手紙をくれぬ人
あなたを探してあてもなく 今日も旅を続けるわたし (略)

走ってきて立ち止まらず振り向かず
さあ いますぐ祈りを込め 信じながら
名前を呼ぶ あなたの名を
希望

この内容が、岸さんのヒット曲「希望」と同じなのは、お気づきであろう。

希望という名の あなたを探して
遠い国へと また汽車に乗る

それもそのはず、吉永さんの「希望」を訳詞したのは作詞家の藤田敏雄で、岸さんの「希望」の作詞をした人なのだ。

さらに見ていくと、岸さんが「希望」のレコードをキングレコードから発売したのは1970年4月であり、吉永さんのアルバムの発売は同年6月である。
ひとりの作詞家が手掛けた同じような内容の楽曲が、レコード会社を越境して発売されるという、異常なことが起きていたのだ。この岸さんへのリスペクトというにはやりすぎな商戦を、吉永さん側は意図していたのか、あまり深入りしたくない疑問である。

とはいえ、岸さんと吉永さんの「希望」、どちらが広く大衆に受け入れられたかは明白だ。
このアルバムは、女優兼歌手として活躍していた吉永さんにとって最後のアルバムであり、72年のシングル発売を最後に、彼女は女優一本で活躍していくこととなる。
吉永小百合 愛を歌う』は、まさに名残の花であったと言ってよい。