随分前のことだが、3月11日に岩見沢「シャンソン酒場Peuple」へ。
前回訪れたときに約束した、フランソワーズ・クシェイダとピエール・バルーのアルバムを流してもらう。
クシェイダのセカンドアルバムは「心の叫び」という仰々しいタイトルだが、同曲はポップなシャンソンで楽しむことができた。収録曲のなかにはシャルル・トレネ「残されし恋には」のカバーもあり、聴き応えがあった。
バルーのアルバムには、フランソワーズ・アルディに提供した「水の中の輪」があり、ちょっと驚いた。今まで、この曲の作詞がバルーであることを忘れていた。この曲は、バルーがナチスから逃れて田舎町に隠れ潜んだ少年時代を歌っている。ともすれば、イヴ・モンタンに提供した「自転車」が動の少年時代、「水の中の輪」が静の少年時代という対の関係になる。こんな発見ができるのも愉快だ。
マスターが、店の中に「男と女」「シェルブールの雨傘」のポスターがあることを教えてくれた。きっと、マスターはバルーが好きなのだろう。
それを裏付けるように、3枚目は戸川昌子さんのレコードを流し、はからずも「サラヴァ」(バルーのプロダクション。バルーは、日本在住時に戸川の店「青い部屋」に出演していた)の夜となった。
この夜は、「シャンソン酒場Peuple」の歴史についてマスターからお話を伺う。
この店を開いたのは、岩見沢でジャズ喫茶を営んでいた永原秀子さんという方だった。
永原さんは、岩見沢駅前のパチンコ屋の一角を間借りして「ジャズ喫茶ゴヤ」をオープンした。
彼女はジャズに情熱を持っていた方だったらしく、北海道にツアーにきた渡辺貞夫をはじめとする多くの名ジャズプレイヤーを岩見沢に招いたそうだ。
当時、ミュージシャンたちは鉄道で道内を移動していたので、岩見沢は次の公演地の中間地点として立ち寄ることができる絶好の街であった。
永原さんの尽力があって、岩見沢はジャズの町として知られた時期があったらしい。
永原さんの「ゴヤ」は、駒沢岩見沢のキャンパスがあったこともあり、学生たちを中心に繁盛した。 やがて、学生から「酒が飲める店を作って欲しい」とリクエストされるようになり、今度はR&Bの店をオープン。
そこは岩見沢で最初にジンを出した店だった。
とはいえ、ジンは学生たちには高級品だったので、店を訪れた学生たちに給仕をさせて、そのお礼として飲ませたらしい。
やがて、永原さんはライブスペースを備えた店を持つことを決めて、ジャズ喫茶「志乃」をオープン。
同時に、岩見沢市内で音楽関連の店を多数経営するようになり、「シャンソン酒場Peuple」もそのうちの一軒であった。
「シャンソン酒場Peuple」のマスターは、開店当時から雇われマスターとしてお店を切り盛りされてきた。
もとは、現在とは異なる場所でお店を開き、現在地に移転してから今年で38年になるという。
その移転費用は、岩見沢で加藤登紀子さんのコンサートを開くことで調達したというから感心してしまう。
岩見沢やジャズ関係者から「ゴヤママ」「志乃ママ」と呼ばれた永原さんは2003年に死去。
岩見沢で最初にジーンズを穿いて街を歩いたというかっこいい女性だったそうだ。
店に歴史あり、それに触れることはシャンソンを聴くことと同じくらいワクワクする。