シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

戦時下のシャンソンのレコード

戦時下のシャンソンのレコード

太平洋戦争中の昭和17年9月、ディック・ミネが、「三根耕一」の日本名でシャンソンのレコードを2枚吹き込んでいたことを知り、驚いた。

・『巴里の屋根の下/巴里祭』(テイチク.T3363)
・『プレジャンの舟唄/マドロスの唄(インストゥルメンタル)』(テイチク.T3365)

「巴里の屋根の下」は昭和5年、「巴里祭」は昭和8年に公開されたフランス映画の主題歌。さらに、「プレジャンの舟唄」「マドロスの唄」は、昭和5年のフランス映画「掻き払いの一夜」の挿入歌である。
巴里祭」以外の映画の主演は、歌手で俳優のアルベール・プレジャンであり、戦前の日本で彼の作品が人気だったことが窺える。
ちなみに、昭和に数多く公開された劇中歌シーンが入った邦画は、「巴里の屋根の下」がきっかけで製作されるようになった。

ディック・ミネの「巴里の屋根の下」以外の楽曲はCDで復刻されているので、容易に聴くことができる。
「プレジャンの舟唄」は叙情味のあるメロディと歌詞で、「マドロスの唄」は軽快さが印象的だ。
戦時中は洋楽を聴くことを禁止されていたと思いきや、取り締まり対象は英米のジャズ、ハワイアン、ブルースが中心であり、当時の日本が同盟国だったナチスドイツに占領されていたフランスのシャンソンは、規制が緩かったようだ。
また、当時のニッチクレコード(現・コロムビアレコード)の広告には「決戦時の憩いに」というキャッチフレーズが記されており、戦時下において音楽が、緊迫した生活の緩急をつけるための「アメと鞭」だったことが伝わってくる。

とはいえ、ディック・ミネが歌う「巴里祭」は、パリの祭りの雰囲気など微塵も感じることができない内容になっている。

赤い血に燃える 豊かな夢こそ
春の花にも似たる彩り
金の星にも似たその輝き
燃える瞳こそは若さの誇り
ボロをまとうとも 心は錦
絹を纏うた 晴れの王者
(訳詞・門田ゆたか)

無論、この歌詞の内容は「欲しがりません勝つまでは」のような、戦時下における「贅沢は敵」の思想である。
戦争の時代の「赤い血に燃える、豊かな夢」の意味は敵国を倒すことであり、それまでは「ボロをまとって」「晴れの王者」のような気持ちで生活しよう、というメッセージである。

戦前の日本で、フランスへの憧れの象徴としてシャンソンが普及し、宝塚歌劇団や映画などを通じて夢を与えたはずの音楽が、戦争に利用されていた事実を受け止めねばならないだろう。
さらにいえば、外国曲の訳詞が、その時代の国策や特定の政治的思想に結び付いて安易に作られる危険性も認識せねばならない。

終戦記念日が近づくなか、ディック・ミネシャンソンを聴きつつ、いまの時代を生きる上での反省として捉えていきたい。

YouTube ディック・ミネ巴里祭」の動画
https://youtu.be/dDkfx94t1QU