シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

エッフェル塔の嘆き

エッフェル塔の嘆き」

1940年(昭和15年)6月、フランスがナチスドイツに占領されたのを、当時の日本人はどのように思っていたのか、を知りたいと思った。

私が入手したのは、昭和15年9月発売の雑誌『カメラクラブ』(合資会社アルス)。

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これは写真に関する雑誌で、本号の特集は、
「在りし日の巴里 興隆独逸の姿」
とある。

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パリの芸術家が集うモンマルトルや、学生街のカルチェ・ラタンの穏やかなフランスのグラビアと、軍隊が国を掌握し、産業が盛んになるドイツのグラビアを対比して、掲載されている。

「敗戦のフランス、落城の巴里、その巴里の姿は昔と変わらないだろうが、巴里の自由と平和は果たして昔のままに在るだろうか? 在りし日の巴里の横顔と、興隆ドイツの雄々しく力強き姿とを対照する時、吾等は如何なる感銘を受けるであろうか。」

グラビアに添えられたこの文章を読むに、当時の日本がフランスを占領したナチスドイツに対して批判的な態度だったのが伝わってくる。ナチスドイツは、「自由と平和」を奪う不気味な存在と認識されており、それがアーミー姿の少年や広場に集う軍人たちのグラビアに反映されている。

しかし、これが発刊された同じ月に、日本がナチスドイツと同盟(日独伊三国同盟)を結んだことは皮肉である。
国際連盟を脱退して孤立していた日本は、フランスを陥落させたドイツの戦力に注目して、手を結んだのだった。当時の日本は日中戦争の最中だったが、やがて西欧を敵にまわした太平洋戦争へと傾斜していく。

この年の10月、ある和製シャンソンが発売された。
淡谷のり子エッフェル塔の嘆き」だ。
(作詞・藤浦洸、作曲・平川英夫/コロムビア・品番100113)

花はマロニエ 小雪のように
歌で散る散る セーヌの河岸に
旅の画かきが パイプをくわえ
行けばなげきの エッフェル塔
霧か小雨か 濡れかかる

無論、この歌詞はナチスドイツに占領されたパリの嘆きを暗示している。表現をぼかして、体制批判をしているのは、戦時下ならでは、といえよう。
当時の日本では、本やレコードの出版物には検閲を行っていた。本来ならば、同盟国に批判的な内容ならば発禁されるが、このレコードが検閲を免れたのは、日本の未来が危険な方向に進んでいることへの抵抗を示しているのではなかろうか。
1冊の雑誌、1曲の流行歌から、いにしえの国民の感情が見えてくる。

エッフェル塔の嘆き」
https://youtu.be/FtlvLciuHw4