シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

岩見沢「シャンソン酒場peuple」の記

2023年12月20日
1年ぶりに、岩見沢シャンソン酒場peuple」へ。
多分日本で唯一シャンソンのレコードを聴かせてくれるシャンソニエ。

マスターにカトリーヌ・ソバージュのレコードをリクエスト。

そして世間話をしたあとに、リクエストしていないのに、セルジュ・レジアニ、パトリック・ヌジェのCDをセットしてくれる絶妙な采配。なんで私の趣味が分かるのかしら? これが半世紀お店を営んでこられた手腕なのでしょう。

今宵は、グラシェラ・スサーナのデビューレコードが岩見沢から全道に広がっていったというお話をお聞かせくださった。
毎回勉強になる。

そして、さりげなく私の現状を察して、慰めつつ戒めてくださったマスターのお心遣いに感謝。
今年は良いことも散々なこともあった一年でしたが、来年も置かれた場所に咲けるように精進しないといけません。
すべては、「シャンソン酒場peuple」への飲み代と電車賃のために。

【再訪】

2024年2月28日、岩見沢シャンソン酒場Peuple」へ。

先日、黒澤明「生きる」を観ていると、主人公役の志村喬シャンソンバーに入る場面があった。


大きなカウンターにキラキラしたグラスの数々、そしてジョセフィン・ベイカー「J’ai Deux Amours」、ダミア「Dis-moi tout bas」が流れるのを観ると、無性に「Peuple」に行きたくなった。
加えて、月始めに病床に伏せていたとき、偶然マスターからお電話いただいたことも、大変励みになった。
何か手土産をと思い、BOOK・OFFを1時間物色して、ファド歌手のドゥルス・ポンテスのライヴ盤を探し出す。
シャンソンのお店にシャンソンのCDを持っていくのは無粋だと思うので、上々である。

マスターと再会を喜びつつ、まずは日本酒を頂く。
増毛「国稀」を、大きなグラスに並々とついで下さるのが嬉しい。
そしてリクエストしたのは、大木康子さんのレコード。


かねてから、このお店の雰囲気には大木さんがふさわしいと思っていた。
銀巴里ライヴのジャケットの大木さんは、あどけなさを感じる肖像だが、歌声はさすが成熟している。
「大木さんを聴く人、珍しいよ」「いやいや、聴いている人、結構いますよー」と話ながら、1曲目の「恋の友達」を一緒に歌ったのが楽しかった。

銀巴里繋がりで、「札幌銀巴里」の話になり、鬼籍に入った歌川勉さん、斉藤雪子さん、嶋保子さんの話になる。
マスターが語る、神山慶子さんのお店「ソワレ・ド・パリ」は、豪華な店内に黒服さんたちが沢山いた頃の思い出であった。
私が知る「ソワレ・ド・パリ」は、神山さんがお一人でのびのびと歌ってらしたお店だから、私の知らない時代の記憶である。

また、岩見沢にコンサートに来た深緑夏代さんの楽屋を訪ねたお話もお聞かせくださった。
そのときマスターは、深緑さんが宝塚を退団して、契約の関係で一回だけ出演した東宝のミュージカル「マイ・フェア・レディ」について質問したらしい。
深緑さんの伝記『深緑夏代: 宝塚・シャンソンに生きる』(下瀬直子著)のなかには、そのことはサラッと一行で記されているのみだが、それを突き詰めたマスターに惚れてしまう。

大木さんのレコードが終わると、ドゥルス・ポンテスのCDへと続いたが、私はというと、日本酒からウイスキーに河岸を変えてグラスを重ねていったので、記憶があやふやになっていく。
あげくには、3枚目の新井英一のCDを荒木一郎と聞き間違えて覚える始末だった。
新井さんの「遠くへ行きたい」を聴きながら「なぜ荒木一郎が?」と疑問が頭をかけめぐり、最近永六輔のテレビ番組「遠くへ行きたい」のアーカイブを夜な夜な観ているのをなぜマスターが察したのか、やはり只者ではない、と確信しつつ、うじうじ泣き出す体たらくをさらしたのであった。

「ちょっと、この歌手を聴いてみて」
とマスターが流したのは、フランソワーズ・クシェイダのCDである。
日本では彼女の「小さな紙切れ」というシャンソンが知られている。
「この人はピエール・バルーに見出だされた人なんだ」
と言いながら、クシェイダのCDの隣にピエール・バルーのCDを並べる。
しかし、ここで私の泥酔もピーク。
電車の時間も迫っていたので、後ろ髪ひかれながら、ここでお暇する。

最後にこんな興味深い話題とCDを出してくるのはズルすぎる。
また来月、岩見沢行きの電車に乗らねばならないではないか。
遠くへ行きたくはないから、私はただただ岩見沢に行きたい。