シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

銀巴里20周年記念コンサートのプログラム

1969年6月5日(木)、サンケイホールにて「銀巴里創立20周年記念シャンソンフェスティバル」なる催事が開かれた。
そのプログラムを手にいれたので一日中眺めていたが、ステージの豪華さといったら目を見張るばかりだ。

美輪明宏さん(当時は丸山姓)を筆頭に、宇井あきらさん、沢庸子さん、木村正昭さん、戸川昌子さん、と開店当時のバンドマスターだった原孝太郎さんの弟子たちがトップに君臨する。
そして大関格の仲マサコさん、山本四郎さん、小海智子さん、工藤勉さん、仲代圭吾さん、金子由香利さんと続く。
さらに、シャンソンコンクールの受賞者で石井好子さんの音楽事務所の専属だった、加藤登紀子さん、大木康子さん、薩めぐみさん、深緑夏代さんの弟子からキングレコードでデビューした当真美智子さんが出演する。
ゲストは、なかにし礼さん、司会は音楽評論家でもあった志摩夕起夫さん。伴奏は、昨年亡くなった吉村英世さん、美輪さんの出演時は結城久さんがつとめている。

曲目を見ると、意外とオリジナル曲が多い。
薩さんの「恋のなごり」、仲代さんの「謎の女B」、宇井さんの「それでいいのさ」はオリジナル曲だ。
極めつけは、二部で歌われた美輪さんの「ヨイトマケの唄」で、それに続いて「星の流れに」「裏町人生」「別れのブルース」の歌謡曲が歌われている。
美輪さんは、シンガーソングライターの草分けであるが、その「ヨイトマケの唄」を辿れば、戦前の「別れのブルース」のモダニズム、「裏町人生」のニヒリズム終戦後の「星の流れに」の焼け跡の辛苦という、昭和の精神史が浮き彫りになる演出となっている。
また、工藤勉さんの代表曲「陽コ当ダネ村」が当時は「陽ツコ当だねな」というタイトルだったことや、今ではあまり名前の出ることのない木村さんがレオ・フェレの「悪の華」に挑んでいるのは面白い。銀巴里が、文学シャンソンの受け皿であったことの証である。
さらに、和製ジュリエット・グレコと言われた沢さんがダミアの「かもめ」を歌っていることも興味深い。

ところで、このプログラムには蘆原英了さんや高英男さん、中原淳一さん、五木寛之さんなどの芸能関係者や作家が賛を寄せている。
しかしながら、出演者を代表して寄稿した工藤勉さんは、美輪さんや沢さん、戸川さんを誉めた最後に「今の銀巴里には、こういう歌手はいなくなった」と突然落としにかかってるし、音楽評論家の諏訪英一さんに至っては、歌手同士や客同士の派閥、フランス語を知らないことをバカにするインテリ、フランスのシャンソンと和製シャンソンの違和感に触れて、「シャンソンは日本人の心情に定着しない」と批判している。
誉めてるのか、けなしているのか、プログラムを読んでる側もヒヤヒヤするが、こうした広い意見を尊重して受け入れた場所が銀巴里だったのだろう。
ある意味、現代よりも生きやすい時代の空気を感じた。 

 

銀巴里の20周年は大々的に祝われたようで、記念のLPレコード「シャンソン・ド・銀巴里」も発売されている。


こちらは、歌手たちがレコーディングスタジオで吹き込んだもので、収録歌手がこのコンサートの出演者と被っていることにも注目したい。