シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

戦時下の手風琴円舞曲

戦時下の手風琴円舞曲

太平洋戦争中、日本には「ニッチク」というレコード会社が存在した。
これは、「コロムビアレコード」のことで、戦時下に敵国の社名を使うことができなくなり、和名として「日蓄工業株式会社」と改め、通称「ニッチク」と表記したものである。

この「ニッチク」製のレコードは、昭和17~21年に発売された。主に、軍歌や戦時歌謡が吹き込まれたが、なかには同盟国であるドイツのクラシックの楽曲のレコードも発売されている。
昭和18年10月の「ニッチク」のパンフレットを見ると、「決戦下の憩ひに!」と書いてある。戦時中の国民の生活は、自由を束縛して緊縮していたイメージだが、実際はメリハリをつけた飴と鞭の体制だったことが窺える。

さて、今回は面白いレコードを入手した。


ガルドニ手風琴合奏団「碧きドナウ」
アレクサンダー手風琴合奏団「波濤(はとう)を越えて」

のレコードである。

まず「手風琴(しゅふうきん)」とは、アコーディオンのことである。

「碧きドナウ」は、ヨハン・シュトラウス2世によるウィンナワルツの傑作である。

「ガルドニ手風琴合奏団」とは、フランスで活躍した、フレド・ガルドニ(1902-76)が率いる「Fredo Gardoni et son ensemble」のことだ。彼は、1920年代にミスタンゲットとモーリス・シュバリエ(当時、彼らは出演していたレビューの共演者であり、恋人同士でもあった)に楽曲を提供した人物らしい。
日本では、戦前のコロムビアから「ガルドニ・アンサンブル」の名前でレコードが発売されている。

「波濤を越えて」は、メキシコの作曲家フベンティーノ・ローサスのワルツ「Over the waves」だ。
無論、この曲は当時でいう「敵性音楽」である。しかし、この曲は一時期、ヨハン・シュトラウス2世の作品と間違えられたことがあったらしく、日本でもウィンナワルツと勘違いされてレコード化に至ったのであろう。


次に「アレクサンダー手風琴合奏団」について見ていきたい。
そして、「アレクサンダー手風琴合奏団」とは、フランスで活躍した「Orchestre de Danse Alexander」のことである。

「オルケスト・ドゥ・ダンス・アレクサンドル」は、アコーディオン奏者のモーリス・アレクサンドル(Maurice Alexander. 1902-80)が率いた楽団であった。彼は、「青色のジャバ」で知られるシャンソン歌手のフレエルと組んで、曲作りをした人物でもある。
「オルケスト・ドゥ・ダンス・アレクサンドル」は1930年代のフランスで活躍していたらしく、日本でも昭和5~10年の間にコロムビアから「アレクサンダー・ダンス管弦楽団」の名前で、彼らのレコードが数多く発売されている。

面白いのは、当時の日本のコロムビアが、フランスのコロムビアを通じて、彼らに日本の歌謡曲を演奏させてレコード化していることだ。ミス・コロムビア「十九の春」、松平晃「希望の首途」などを演奏したレコードが確認できる。

そんな「ガルドニ手風琴合奏団」「アレクサンダー手風琴合奏団」のレコードが、戦時下でも発売することが許されていたのは驚きである。厳密には、フランスは敵国だからだ。

その理由として考えられるのは、
①当時のフランスがナチスドイツに占領されていたため、従属国と捉えられていた。
インストゥルメンタルのため、外国語が入っていない。
ことである。

さらに調べてみて分かったのは、「ニッチク」から「アレクサンダー手風琴合奏団」が演奏する「巴里祭」と「巴里の屋根の下」のレコードが発売されていたことである(私はまだ現品を見たことはない)。
これは、昭和8年に発売されたレコードの再販だが、インストゥルメンタルとはいえ、戦時下でシャンソンのレコードが売られていたのは、驚愕の事実だ。洋楽が禁止され、軍歌が奨励された時代においても、ヨーロッパのワルツのリズムと、アコーディオンの音色は当時の国民の心を掴んで離さなかったのである。

おそらく、「ニッチク」からは、こうしたフランス発のレコードが多数発売されていたと思われる。今後もまた、資料収集をしていきたい。