シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

田中綾先生が、拙著を紹介してくださいました!

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2022.3.20.北海道新聞の日曜版に、文芸評論家の田中綾先生が、拙著『戦前日本シャンソン史』を紹介してくださいました。

田中先生は、私の大学時代の恩師です。
私は高校時代から文学や古い音楽などが好きな「変わった子」でした。それゆえ、学校生活は馴染めませんでした。
そんなときに、大学受験のオープンキャンパスで、田中先生と出会い、面談をしてくださいました。そこで私の趣味嗜好に深く共感していただいたことで、私の未来に光が射しました。
そして、無事に大学に合格し、田中先生のもとで教えを受けることができました。

田中先生は私に、文学、映画、美術、演劇、音楽などの芸術文化、そして厳しく孤高な批評精神を、教示してくださいました。
私がいま、文章を執筆しているのは、その教えがあったからです。

田中先生の批評眼に、拙著を留めていただいたのは、私にとってどんな文学賞よりも栄誉なことです。
心より感謝し、今後も一層精進して参ります。

峰 艶二郎

「クミコ×藤澤ノリマサ シャンソンとポップオペラ」

「クミコ×藤澤ノリマサ シャンソンとポップオペラ」
を観に行きました。

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きっかけは、Twitterでクミコさんと知り合って、昨年開催した「高野圭吾展」の広報に多大なお心遣いを頂いたので、感謝を込めていつかコンサートに伺いたいと常々思っていたからです。
クミコさんのCDは持っていますが、生で歌声を聴くのは初めてでした。
シャンソンも歌謡曲も、しっとりと歌い上げる素晴らしいステージでした。

共演の藤澤ノリマサさんは、北海道のSTVラジオで、楽曲を度々聴いていたので、懐かしさを抱きました。
まさに「口からCD音源」、歌唱力の高さを堪能しました。

このコンサートで、私が印象に残った楽曲を紹介します。

クミコさん「百万本のバラ」
貧しい絵描きが片想いを寄せる女優に、百万本のバラを贈るストーリーです。ですが考えてみると、貧しい男が恋を患って、町中のバラを買い漁るというのは、狂気めいています。
クミコさんは、この歌詞にある不穏の種を摘み取りました。シンバルがせわしなく細かく響くなかで、能楽の「もの狂い物」のような世界を描いていきます。
「バラを…バラを…バラヲクダサイ…」

藤澤ノリマサさん「オー・ソレ・ミオ」
ナポリの民謡として有名な楽曲。
藤澤さんは、若々しさに満ち溢れたフレッシュさと、高貴と典雅をもって、高らかに歌い上げられました。
こうした楽曲こそ、藤澤さんの原点であり真骨頂なのでしょう。爽やかなハーブティーの喉越しのような気持ちいいナポリの風が、胸を吹き抜けていきました。

笠原三都恵様に訳詞を歌っていただきました

笠原三都恵様に、私の訳詞を歌っていただきました。

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笠原様とFacebookでお友達になり、YouTubeライブ配信で、その歌声に触れました。
笠原様の歌声は、とてもインテリジェンス。まるで、学生街を歩きながら古本屋さんの軒先を覗くような、知的な気持ちになります。
そんな笠原様に、私の文章を朗読していただいたり、あわよくばシャンソンの訳詞を歌っていただけたら素敵だろうな、という思いを胸に秘めておりました。

その念願が叶って、シャルル・トレネ「秘密の庭」という訳詞を捧げることとなりました。
トレネの楽曲は、ユーモアかつ社会への皮肉に富んでいて、シャンソンの醍醐味に溢れています。私の訳詞でも、それを表現できるように苦心しました。
こうして、ブロンズのライオンや緑のタヌキが歩き回る「秘密の庭」が創造されました。
ちなみに、この訳詞の初披露は「蛙たち」様で!、と秘かに思っておりました。それを伝えなくても汲み取ってくださった、笠原様に感謝いたします。

それにしても、自分で手掛けた訳詞の初披露のステージに立ち会えないのは、誠に遺憾です。
自分の文筆は、いわば自分の子供のようなもの。入学式や運動会などの行事に立ち会えない親の気持ちはこういう感じなのか、と思う次第です。

以下、笠原様の投稿です🍀

3/1(火)は、間もなく 創業58年を迎える、銀座コリドー街の老舗シャンソニエ「蛙たち」で 歌わせていただきました🎶💕😊
この時季ならではのシャンソンを中心に 聞いていただきました🎶💕😊
共演は Sarahさん、高野ピエールさん💕😊 ピアニストは 江口 純子 さんでした💕😊
リストの覚え書きです↓
🎼 パリのお嬢さん
🎶 ジャクリーヌ・フランソワのシャンソン。日砂順二さんの 訳詞。
🎼 秘密の庭
🎶 シャルル・トレネシャンソン。札幌の 峰 艶二郎さんが 書き下ろしてくれた訳詞💕
🎼 愛は限りなく
🎶 サンレモ優勝曲。矢田部道一さんの訳詞。
🎼 ア・パリ
🎶 イヴ・モンタンシャンソン。津田 誠さんの訳詞。
🎼 月明かりの夜に(ピエールさんと)
🎶 ムスタキ作詞&作曲。笠原の訳詞。
🎼 情なし娘の店には
🎶 ピアフのレパートリー。山本雅臣さんの訳詞。
🎼 ランデヴー
🎶 金子由香利さんのアルバムに収められたシャンソン万里村ゆき子さんの訳詞。
🎼 バルバリ・バルバラ
🎶 コシモンのシャンソン。同門の 山下弘子さんの訳詞。
🎼 ムッシュウィンター・ゴーホーム
🎶 ジルベール・ベコーシャンソン。矢田部道一さんの訳詞。
🍀お出かけくださいましたお客様、ありがとうございました🙇💕
🍀トレネの「秘密の庭」は 初めて歌いました😊 「シャンソン・マガジン」のトレネ特集に寄稿された 峰さんの記事がきっかけで 出会ったシャンソンに、峰さんが 行き届いた訳詞を書いてくれました❣️
🍀「ムッシュウィンター・ゴーホーム」は さすがに歌い納めですね😆 今シーズンは2回しか歌えなかった😆
🍀3/5はピエールさんのリサイタル(内幸町ホール)、そして マダムの北村ゆみさんのお誕生日です💕 お祝いごとの続く、おめでたい 蛙たちですね〜❣️😊 コンサートのご成功をお祈りいたします❣️

小貫和子様とのご縁

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小貫和子様とのご縁

人と人との出会いを通じて、未知の世界へ導かれる、ということがあるようです。

小貫様とFacebookで知り合い、色々なお話を伺うようになったのは、ここ一年くらいだと思います。小貫様は、長年に渡りシャンソンの歌い手として活躍されています。ライブのプログラムをご覧いただいて分かるように、そのレパートリーには圧倒されます。
そのひとつひとつを、小貫様は長年かけて沢山のレコードを聴き、ご自分の鋭い感性をもってレパートリーに選ばれてきました。
私はその鋭意に深く感銘を受けております。

小貫様は、同時に私を未知の世界へ誘ってくださいます。
ひとつは書籍の刊行でした。それまで、自分が本を作るなど考えもしなかったことでしたが、小貫様に強く勧められた途端に、そのテーマが目の前に現れました。こうして実現したのが、拙著『戦前 日本シャンソン史』でした。

もうひとつは、シャンソンの訳詞です。
私は表現者になるつもりは一切ないので、これは実現しないだろうと内心思っておりました。
しかしある時、「あっ、これは訳詞をつけて、広く聴いてもらいたい」と思う楽曲が現れました。そして、慣れぬ手付きで仕上げたものを、小貫様に校閲いただきました。
翻訳、作詞は素人の私が仕上げた拙いものが、小貫様の感性が留めてくださったのか、改めて訳詞のご依頼をしてくださいました。

今回手掛けたのは、今年生誕100年を迎えるムルージ(Mouloudji)のシャンソン「L'amour L'amour L'amour(愛、愛、愛)」です。
この楽曲を小貫様は、歌い手と客席がひとつになって歌いたいと仰りました。
しかしながら、この楽曲の歌詞は非常に難解で、愛の長所と短所が手の込んだ詩的な歌詞で綴られていました。とても日本人が口ずさめるような内容ではないと判断しました。
そこで、私は「愛は苦しみであり、求めるものであり、喜びである」という3つのテーマに絞り、訳詞をしました。また歌詞に話し言葉を織り交ぜて、親しみが湧くようなものになるよう、工夫もしました。
とはいえ、実際にメロディと歌声に詞が乗ったとき、どのようなハーモニーになるかは、お聴きになる皆様に委ねなくてはなりません。何せこれが、私の言葉に息が吹き込まれる初めての時なのですから。

私は、今回の小貫様のライブにどうしても伺うことができず、歯がゆさを感じています。ですが、是非とも皆様のご予定に組んでいただければ幸いです。
心より盛会をお祈りいたします。

峰 艶二郎 拝

シャンソン歌手、ソワレさんのこと

最近、新宿でシャンソンを歌ってらっしゃるソワレさんが企画する「木曜日のシャンソニエ」という生配信動画が面白い。
現在、YouTubeツイキャスなどのメディアで2週間おきくらい?で開かれている。

これは、ソワレさんと、ピアニストのイーガルさんのお二人が、シャンソンを歌い、語り合う内容だ。
シャンソンの魅力を語るだけでなく、疑問や問題点にも言及しているのを観ていると、私はシャンソンを「語る場」を欲していたのだと、つくづく思う。

ところで、この「木曜日のシャンソニエ」では、配信を観ながらコメントを入力することができる。私などは、使えるものはバンバン使いたい性格なので、コメント欄を荒らす狼藉者のごとくコメントをする。
すると、それをイーガルさんが読み上げてくださる。こちらが申し訳なくなるくらい、逐一読み上げてくださり、それがお二人の話題に上ったりする。
お二人とも、シャンソンに真摯に向き合っているのが分かるゆえ、私などのつぶやきに親身になってくださるのが、大変嬉しい。

コロナで動画配信が普及し、演者と観客が拍手や歓声ではなく、コメントで繋がれるようになった。
新たなコミュニケーションのかたちが創造されたことで、いままでシャンソンについてリアルに語り合う場がなく、飢えていた私のシャンソン愛は満たされつつある。
私はシャンソンに関する文章を書いてきたが、「対話」にも興味が湧いてきている。

ソワレさんの「木曜日のシャンソニエ」
初回は、アコーディオン奏者の桑山哲也さんとピアニストのアニエス晶子さん
2回目は、イーガルさんと俳優の井上彩名さんがご出演だった。(井上さんの「ジジ・ラモローゾ」は不覚にも鼻の奥がツーンとなった)
次回は、3月とのこと。


そして、ソワレさんは越路吹雪の研究家でも知られている。

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最近ソワレさんは、越路が生前リサイタルで歌ったもののレコード化されていない楽曲の数々を発掘しカバーした
越路吹雪Book 2021」
というCDアルバムを発表された。
越路はロングリサイタルを年に2回催しており、それは彼女が死去するまで長年続いた。
それゆえ、レコードには収録されなかった楽曲が多くあるようだ。

それらをメディアとして発売しなかったのには、当時の製作側の意向もあったことと思う。
とはいえ、そういった楽曲を調べあげてリスト化するのではなく、実際に歌って再現しようとする試みがすごい。
歌い手だからこその挑戦であるし、ソワレさんの研究心も伺える力作だ。

アルバムを聴いてみると、シャンソンらしくピアノやアンサンブルをバックに歌ったものではなく、ピコピコした電子音もふんだんに入って編曲されている。
シャンソンで、いわゆる「今風」のアレンジというとネガティブな先入観を抱きがちだが、楽曲の雰囲気を壊さずに不思議と調和しているのが面白い。むしろ越路が生きていたら、そのアレンジで歌っていたのでは?と思うほどだ。

アルバムのタイトルは「Book2021」とあるから、今後も続くのだろうか。
それならば、ぜひとも越路がリサイタル歌った反戦シャンソンを取り上げてほしい。
私が越路の最も評価するところは、彼女がリサイタルで反戦の歌を取り上げていた点である。

ソワレさんが「政治的言動」と捉えられることに好意的であるのを祈るばかりだが、私は今だからこそ、越路の華やかなイメージとは異なる他の部分を、もっと広く知ってもらいたいと思っている。

シャンソン歌手としての二葉あき子

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シャンソン歌手としての二葉あき子

昭和歌謡を代表する女性歌手、二葉あき子。
「夜のプラットホーム」や「フランチェスカの鐘」などの代表曲があるが、昭和28年から33年頃は、シャンソン歌手として紹介されることがあった。

二葉は、大正4年広島県で生まれた。
東京音楽学校を卒業し、教職につくが、昭和11年からコロムビアレコードの専属歌手になり、流行歌手として活躍した。
戦後は、「さよならルンバ」「水色のワルツ」などのヒット曲に恵まれ、平成15年に引退するまで現役で活躍した。平成23年、死去。

そんな二葉が、シャンソン歌手として紹介されるようになったのは、昭和28年頃だ。現に、同年4月の雑誌「アサヒグラフ」には、淡谷のり子越路吹雪らとともに「シャンソン歌手」として取り上げられている。
ちなみにこの年は、フランスから女性歌手のダミア(Damia)が来日し、日本でシャンソンブームに火が着いている。
極めつけは、昭和28年と29年の紅白歌合戦で、二葉がエディット・ピアフ(Edith Piafs)の「パダム・パダム(Padam Padam)」を歌っていることだ。

二葉がシャンソンを歌うきっかけとして考えられるのは、彼女が昭和25年に発表した「水色のワルツ」、26年の「巴里の夜」が、フランスのシャンソンを意識して作られた楽曲、いわゆる「和製シャンソン」であったことだ。彼女が、日本人の手によるシャンソンを手がけたことで、その原点であるフランスのシャンソンにもチャレンジしてみた、というのは、ストレートな理由である。
加えて、インターネットに記してあったのは、二葉が昭和30年前後から声帯に異常をきたしており、それを誤魔化すためにオリジナル曲ではなくシャンソンを歌っていた、ということだった。私はこちらのほうが真相だと思っている。
ちなみに、二葉はこの声帯異常以降、発声を低音に切り替えている。

当時の二葉がシャンソンを歌ったレコードは残っていない。もし彼女がシャンソンを歌った理由が声帯異常によるものなら、不完全なものをレコードに残したいとは思わないだろう。
彼女がシャンソンを吹き込んだのは、CD全盛期の平成11年のことである。

この年は、二葉の歌手生活65周年にあたり、その記念曲として「パダム・パダム」がシングル化した。
シングルのメインの楽曲は、ムード歌手の三島敏夫とのデュエット「星ふるデッキで」だ。そのカップリングが「パダム・パダム」である。
ちなみにこのCDが、二葉にとってラストシングルだったらしい。

二葉は「パダム・パダム」を作詞家の藤浦洸の訳詞で歌っている。おそらく、紅白歌合戦で歌ったのと同じ歌詞だろう。

わたしのうしろから ついてくる音は
過去の足音よ昨日の足音よ
いつもわたしの前を急ぐ足音は
未来の足音なの いずれめぐり来るさだめの足音

こちらが心配になるくらい「足音」を連呼する歌詞となっている。正直、上手い訳詞とは言えない。そもそも「Padam」は心臓の鼓動を表すので、「足音」とするのは間違いである。

一方で、二葉の歌声はやはり巧い。彼女は当時84才だったが、長く歌ってきた貫禄に溢れている。

そして、このとき二葉が「パダム・パダム」をシングル曲に選んだのは、次のような歌詞に共感する年齢になったからではあるまいか。

昨日の足音と明日の足音が
つづいているうちは わたしは生きている
懐かしい昨日よ 楽しい明日よ
そして今日歩む いとしいわたしの歩む足音

画像1.2 シングル「星ふるデッキで/パダム・パダム」のジャケット
画像3 昭和28年4月「アサヒグラフ

『戦前 日本シャンソン史』発売

残部わずか


『戦前 日本シャンソン史』発売

この度、私が長年かけて研究していた、戦前の日本のシャンソンの歴史に関する本を自費出版しました。

宝塚の「モン・パリ」「すみれの花咲く頃」、フランス映画の「パリの屋根の下」「巴里祭」、ヒット曲「サ・セ・パリ」「聞かせてよ愛の言葉を」、佐藤美子、淡谷のり子、蘆原英了にいたるまで、戦前の日本でシャンソンの普及に関わった楽曲や人物を取り上げました。
付録には、昭和28年に来日公演をした、ダミアの1ヶ月のドキュメントを収録。

夢の国フランスの流行歌に心奪われ、その魅力を日本に普及させようとしたレジェンド達の「シャンソン愛」の軌跡をお楽しみください。

峰艶二郎『戦前 日本シャンソン史』(MN新書)
1500円(送料込)


拙著を御高覧くださった、三神恵爾様より書評を賜りました。
三神様は、拙著の表紙のコラージュ作品の作者です。
拙著を上梓した真意を汲み取ってくださり、心から感謝いたします。


私の主宰する「がいこつ亭」でもシャンソンに関する原稿を寄稿してくれている、若い書き手である峰 艶二郎さんの初めての著書、『戦前 日本シャンソン史』(私家版)が完成した。表紙に私のコラージュ作品「予兆」が配されている。峰さんはこのFacebookをフルに活用し、主に日本におけるシャンソンの受容の歴史を研究し書いてきた。若きシャンソン研究家として、近年その才能を方々で着実に評価されつつある。

わずか100ページを少しだけ越える程度の薄い冊子のような著書だが、8編の論稿が収められている。これまでに書かれた文章のそれはほんの一部に過ぎないものと思われるが、あらためて目を通してみると、峰さんもまた私と同じ同志のように思えるほどに、反骨の意思をはっきりと胸に宿していることが分かる。8編の中でも力がこもっているのはやはり、戦時下のシャンソンを論じた一章だ。

その中で峰さんは、こう書いている。
「昭和一六年に太平洋戦争が始まると、敵国である洋楽を歌うことは不謹慎とされ、軍歌や軍国歌謡一色となる。とはいえ、開戦当初に政府が示したのは『明るく戦時下を乗り切る』ことであった。国民が明るく過ごすことで、厳しい戦時下の生活を乗り切ることができるという『飴と鞭』の方針をとったのだった。現に開戦当初は、ハワイアンをはじめとする洋楽を聴くことが許され、落語や漫才が娯楽として流行した。」

なかなかの炯眼だ。いつの時代であれどこの国であれ、世の中がきな臭く軍国主義一色に染まってゆくときは、案外このように明るい闇を保護色としてまとっているものだ。ほんとうはすでに黒々とした闇の帷が降りていたとしても、そのことに気がつかないように明るく振る舞いながら、初めは徐々に、そしていつか気づくとすでに抜けられない泥沼にはまっていたというのが、戦時下の正しい光景だ。そんな怪しげな世の中の変貌とシャンソンもまた、当然無縁ではなかったということらしい。

この本を出すにあたって峰さんは、表紙に用いた絵をぜひとも使わせてほしいと希望した。どうしてまた、こんな暗いものをと最初は思ったものだったが、峰さんが好きなピンクの背景の中に置くと、なるほど峰さんの狙いがどこにあったのかが理解できた。この表紙から立ち上がる明るいイメージ、それにも関わらず私の絵の醸し出す不穏なムードが、すなわち「明るい闇」とシャンソンのテーマとピタリ一致しているではないか。シャンソンに限らず歌は時代を映す鏡であり、危機を予知するカナリアでもあるはずだ。そうしたイメージを私のこのコラージュ作品に見てとった峰さんはだから、わが「がいこつ亭」の同志に間違いない。

いずれ遠くない未来に、もっと豪華な本を出版できるようになるかもしれないとは思うが、この小さな一冊が記念すべき一歩を記す一冊であることに間違いはない。その刊行に一役買えたことは何よりだ。また一緒に仕事ができたらいいね。私の部屋でこの本にふさわしい場所を探し、書棚の一角に置いてみた。『うたの思想』『流星ひとつ』『琉歌幻視行』どれもみな、歌を論じて反骨の響きを奏でているものばかりだ。そこにそっとこの本を加えたいと思う。