シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

5月よりラジオ番組を持ちます

ラジオ番組『ラ・シャンソン世界の音楽をあなたにー』

この度、毎週土曜日18~19時にラジオ番組を持つこととなりました。
札幌在住の歌手、Singer Hiromi様よりお声をかけていただき、一緒にパーソナリティーをつとめます。
私が以前「シャンソンを後世に伝えたい」という投稿をしたのを目にしたHiromi様が、お話を下さったのです。

とはいえ、ラジオ番組の内容はどんな風にしたら良いのだろう、と悩みました。
あまり専門的なのも堅苦しいだろうか、と思い、初回は、お喋りと合間にシャンソンを流すものになりました。
録音を聞いて見ると、「アハハ」「はい、はい」しか喋っていない、とんでもない内容になっていました。これではいけない…。
何より、シャンソンとそれに関わる方々に申し訳ない内容だと、深く反省しました。

第2回より、私は構成を考え直しました。

①フランスのシャンソンの代表曲を、年代順に紹介する。
②日本のシャンソン歌手の皆様を紹介する。

①では、東芝EMIから発売されているCD『ベストシャンソン100』をテキストにして、楽曲の成り立ちと歌手の経歴を、1曲ずつ紹介して参ります。

②では、日本のシャンソンの歌い手様をおひとり取り上げ、御経歴と楽曲(毎回2曲)を紹介いたします。

加えて、番組後半では、Hiromi様による、ポルトガルで活躍し、北海道で亡くなられた日本人ファド歌手の月田秀子様の楽曲を紹介する時間があります。

私も改めて、シャンソンについて初心で学び直し、歌い手様や楽曲について知ることを通じて、その魅力をリスナーの皆様と共有していきたいと思っております。
また、番組を作るにあたり、皆様にはご指導ご鞭撻、ご協力を仰ぐことがあると存じます。
一生懸命つとめて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。

峰 艶二郎 拝

FM81.3MHz「さっぽろ村ラジオ
毎週土曜日18~19時
『ラ・シャンソン世界の音楽をあなたにー』

5月7日(土) 
自己紹介+金子由香利様の特集+月田秀子様のコーナー

5月14日(土) 
①フランスのシャンソンを知る
コラ・ヴォケール「さくらんぼ実る頃」
②日本のシャンソンの歌い手様を紹介
金子由香利様「水に流して」「ミラボー橋」
③月田秀子様特集

スマホのアプリ「リスラジ」で、全国で放送が聴けます。
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.dpn.android.listenradio

【追記】
5月7日、私のはじめてのラジオ番組を聴きました。
とにかく反省点が多く、心苦しいです。

楽曲が途中でフェードアウトしましたが、これは事前録音した私たちの会話に音楽を後付けして、放送時間枠に収めたからでした。
次回以降は、フルコーラスで音楽をお楽しみいただけるよう、改善しております。

来週土曜日以降の放送は、構成も一新してお届けいたしますので、高聴いただければ幸いです。

シャンソン歌手・あみ様のライブに行きました

苫小牧のシャンソニエ「カプリス」さんにゲスト出演されている、あみ様のライブに行ってきました。
あみ様とは、Facebookを通じてお話しさせていただいたりしておりましたが、実際にお会いするのははじめてでした。
諸事情で、1部で失礼してしまい申し訳なかったです。

あみ様のステージは、可憐さに満ち溢れておりました。
あみ様が、愛をテーマにしたシャンソンカンツォーネ、日本の楽曲を歌われる眼差しが、桜吹雪のなかに佇んでいるかのように潤んでいたのが、印象的でした。

あみ様が桜なら、ピアニストの今野勝晴様の伴奏は、水が澄んだ白川のように洗練とされてました。
お二人が、ステージにひとつの春の景色を作っているように思われました。

今回は、数曲リクエストさせていただきましたが、中でもカンツォーネの「逢いびき」が印象に残りました。
あみ様の「逢いびき」は、どこにでもいるアラサーの澄ました顔をしたOLが電話が鳴り響くオフィスの中で、自分の不倫の呵責を自問自答する様子が、描かれています。
こういう女性、もしかしたら自分の職場にも…という危うさがあります。
これは90年代から2000年代の「月9」のドラマを見ているような感覚です。
その頃は、昼間に学校や会社などの社会生活を過ごして、夜に帰宅した後はテレビドラマを見ながら、作り物だけど現実味のある社会生活を擬似体験していたように思います。
あみ様の「逢いびき」には、歌の世界を擬似体験させるリアルさがありました。

帰り際、写真を撮っていただきました。
拙著を紹介くださったので、あみ様が出演される「パリ祭」のチラシをご紹介させていただきます。

宇井あきら 作曲集

シャンソン歌手にして作曲家としても活躍した宇井あきら。

大正10年、東京生まれ。武蔵野音大卒業後、NHKの専属歌手となり、オペラ歌手としても活躍する。
昭和28年、作曲家の高木東六のもとでシャンソンを学び、シャンソン歌手としてデビューし、歌手として指導者として活躍した。
昭和38年からは作曲家としても活動した。
平成21年、没。

昭和45年のレコード大賞に選ばれた菅原洋一「今日でお別れ」(作詞・なかにし礼)は、宇井の代表曲だが、彼が手掛けたその他の楽曲についてはあまり知られていない。
今回、それを知る手がかりとして

『たった一人のエトランジェー宇井あきら作品集ー』(ポリドール)

というカセットテープを入手した。

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これは宇井が、訳詞家の津田誠や薩摩忠、山本雅臣、永田文夫中原淳一、さらには女優の葦原邦子などが書いた歌詞に曲をつけている。
それを、宇井のもとでシャンソンを学んだ歌手14人が歌っている。

このカセットの収録曲は、宇井がパリをはじめヨーロッパを旅しながら触れた音楽をもとに作られたとある。
確かに、「ロカ岬」はポルトガルのファド風、「海辺のバラード」はシャンソン風である。宇井が、日本人がイメージするヨーロッパの音楽のステレオタイプに見事に嵌った曲作りをしていたのが伺える。

宇井が、ヨーロッパの音楽に根差した作曲をしていたのは、師の高木東六の影響だ。
高木は、日本人の民衆の手による音楽の創出を目指した「日本のシャンソン運動」の推進者であり、シャンソン歌手は自身の楽曲を自ら作るべきだと主張していた。これは今でいうシンガーソングライターであるが、宇井は高木の理想を弟子として実現したことになる。
宇井が手掛けた楽曲を聴いていると、師から弟子へ、そして宇井の後進の歌手へと受け継がれる信念のバトンを思わずにいられない。

ところで、今回このテープを聴いて気になったのは、「夢を見ましょう」という楽曲を歌っている横井浩二という人物だ。物腰の柔らかいダンディーな歌声が、非常に印象的であった。
手持ちの資料やインターネットには、一切情報がなく、大変気になる人物である。

追記
横井浩二氏は、銀座のシャンソニエ「蛙たち」の元オーナー・横井公二氏とのことでした。美雲様、御教示ありがとうございました。

ニッチクレコード「夜のタンゴ」

久々にSPレコードを買った。

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ニッチクレコードから発売された、ドイツの女性歌手、ポーラ・ネグリの「夜のタンゴ」「今日幸せは来ない」。
ニッチクレコードは、コロムビアレコードが、昭和18年~21年にかけて使っていた社名なので、このレコードは戦時中に発売されたものということになる。

戦時中は洋楽が禁じられたが、同盟国のドイツのタンゴは大丈夫だったという話を聞いたことはあったが、まさか戦時下の国内でレコードが発売されていたとは思わなかった。
ちなみにこのレコードは、昭和12年コロムビアから発売された同名のレコードを再版したものだ。

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(品番は共に、J1151)

「夜のタンゴ」は、昭和19年頃まではラジオで流れていたらしい。
さらには、当時の学生たちが「夜のタンゴ」を聴くことが戦時下の抵抗を示す行為であったり、ドイツが降伏した際に「夜のタンゴ」を聞きながら日本の敗戦の予感に涙した人もいたそうだ。
「夜のタンゴ」は、こうした凄まじいエピソードに事欠かない楽曲なのである。

資料としても記憶としても、このレコード盤の価値は重い。

ところで、このニッチクからは何とシャンソンのレコードが発売されていたことも判明した。
現在、全力をあげて調査中である。

エッフェル塔の嘆き

エッフェル塔の嘆き」

1940年(昭和15年)6月、フランスがナチスドイツに占領されたのを、当時の日本人はどのように思っていたのか、を知りたいと思った。

私が入手したのは、昭和15年9月発売の雑誌『カメラクラブ』(合資会社アルス)。

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これは写真に関する雑誌で、本号の特集は、
「在りし日の巴里 興隆独逸の姿」
とある。

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パリの芸術家が集うモンマルトルや、学生街のカルチェ・ラタンの穏やかなフランスのグラビアと、軍隊が国を掌握し、産業が盛んになるドイツのグラビアを対比して、掲載されている。

「敗戦のフランス、落城の巴里、その巴里の姿は昔と変わらないだろうが、巴里の自由と平和は果たして昔のままに在るだろうか? 在りし日の巴里の横顔と、興隆ドイツの雄々しく力強き姿とを対照する時、吾等は如何なる感銘を受けるであろうか。」

グラビアに添えられたこの文章を読むに、当時の日本がフランスを占領したナチスドイツに対して批判的な態度だったのが伝わってくる。ナチスドイツは、「自由と平和」を奪う不気味な存在と認識されており、それがアーミー姿の少年や広場に集う軍人たちのグラビアに反映されている。

しかし、これが発刊された同じ月に、日本がナチスドイツと同盟(日独伊三国同盟)を結んだことは皮肉である。
国際連盟を脱退して孤立していた日本は、フランスを陥落させたドイツの戦力に注目して、手を結んだのだった。当時の日本は日中戦争の最中だったが、やがて西欧を敵にまわした太平洋戦争へと傾斜していく。

この年の10月、ある和製シャンソンが発売された。
淡谷のり子エッフェル塔の嘆き」だ。
(作詞・藤浦洸、作曲・平川英夫/コロムビア・品番100113)

花はマロニエ 小雪のように
歌で散る散る セーヌの河岸に
旅の画かきが パイプをくわえ
行けばなげきの エッフェル塔
霧か小雨か 濡れかかる

無論、この歌詞はナチスドイツに占領されたパリの嘆きを暗示している。表現をぼかして、体制批判をしているのは、戦時下ならでは、といえよう。
当時の日本では、本やレコードの出版物には検閲を行っていた。本来ならば、同盟国に批判的な内容ならば発禁されるが、このレコードが検閲を免れたのは、日本の未来が危険な方向に進んでいることへの抵抗を示しているのではなかろうか。
1冊の雑誌、1曲の流行歌から、いにしえの国民の感情が見えてくる。

エッフェル塔の嘆き」
https://youtu.be/FtlvLciuHw4

「Song Book 春のめざめ」を観に行きました。

「Song Book 春のめざめ」を観に行きました。

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札幌在住のシャンソン歌手・NAOMIさん主催のライブに伺いました。
ご出演は、八田朋子さん、レオンさん、ピアニストの平岡健一さん、アコーディオニストの田村賢太郎さん。

八田さん、レオンさん、田村さんは、東京でご活躍されてます。
八田さん、レオンさんはライブ配信で拝見しておりましたので、生でお二人のステージを堪能できて幸せでした。恥ずかしいくらいテンションが上がっちゃいました。田村さんは、昨年の札幌でのライブで拝見して以来で、迫力ある伴奏にワクワクしました。

印象に残った楽曲を紹介します。

NAOMIさん「モンマルトルの丘」
昨年生誕100年を迎えたコラ・ヴォケール、今年生誕100年を迎えるムルージ等の楽曲として知られる美しいシャンソン。淡い逢瀬のひとときと、それを偲ぶ切なさを、月明かりのように淡くしっとりと歌われておりました。

八田朋子さん「優しきフランス」
第二次世界大戦中にフランスがナチスドイツに占領された際、シャルル・トレネが歌った故国賛美のシャンソン。フランスの美しい風景を讃える歌詞は、戦時下のフランス人に支持されました。
八田さんは「歌い手として、コロナや戦争で傷ついた世の中で何ができるか」を課題として、北海道に来られたそうです。八田さんの甘い歌声とピアノとアコーディオンの華やかな伴奏は、素晴らしかったです。それゆえ、私は戦時下のフランスを思わずにはいられなくなりました。戦争が起こり得る世の中について考えるのが、いまという時期なのだと思います。

レオンさん「雪が降る」
アダモがフランスで発表後、日本語でもレコード化したシャンソン
「春のめざめ」とはいえ、突然雪が降りだすのが札幌の気候です。その地域性に根差した選曲が面白いと思いましたし、ダイナミックな歌声も楽しませていただきました。

今後も、この企画ライブは続くとのことです。
北海道にシャンソンが広がるアンテナとなることを願っております。

追悼 仲代圭吾さん

シャンソン歌手の仲代圭吾さん、3月21日に逝去されたとのこと、ご冥福をお祈りします。

私が最初の仕事を辞めて実家に敗走する車中で、仲代さんのCDをエンドレスで掛けたのが、まず思い浮かぶ。私の人生の1ページには、仲代さんのシャンソンが流れている。

札幌のシャンソン愛好家の方々が、「昔よく札幌に来ていた仲代さんのステージは素晴らしかった」と口々に仰っていた。その仲代さんのステージを私も観ることが叶ったのは、2019年のことだった。
銀座「蛙たち」の2ステージ。客席にはシャンソン歌手の井関真人さんがいた。「俺は仲代さんの弟子なんだよ」と話しているのが聞こえた。
仲代さんのステージの2部の冒頭は「俺はコメディアン」だった。その途中、仲代さんは歌詞が出なくなる。一度中断して、再度歌いはじめるも、同じところで歌詞が出ない。
そのとき、客席にいた井関さんが、そのフレーズをひと節歌った。すると、仲代さんは調子を取り戻し、最後まで一気に歌い上げた。その光景はまるで、寄り木をして花を咲かせる梅の古木のように美しかった。私は感動して涙が止まらなくなった。仲代さんと井関さんの師弟の絆の崇高さに、お二人のシャンソン歌手としての歩みと、その信条を垣間見たからである。

その後も私は泣き続けた。仲代さんが明るい「オー・ソレ・ミオ」を歌っても泣いていた。最後の「百万本の薔薇」で少し涙が収まったが、アンコールの「マイウェイ」の「やがて私はこの世を去るだろう」で、再び泣いた。

終演後に、仲代さんが握手してくださった。
「札幌では、仲代さんのステージをみんな語り継いでいます」
とお伝えした。そのときの仲代さんの優しい笑顔はいまだに記憶に残っている。

仲代さんのステージは、私がいままで見たシャンソンのライブで、五本の指に入るものだ。シャンソンは三分間のドラマと言われているが、その歌い手の方々にも美しいドラマがあるのを感じたひとときであった。