シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

追悼 仲代圭吾さん

シャンソン歌手の仲代圭吾さん、3月21日に逝去されたとのこと、ご冥福をお祈りします。

私が最初の仕事を辞めて実家に敗走する車中で、仲代さんのCDをエンドレスで掛けたのが、まず思い浮かぶ。私の人生の1ページには、仲代さんのシャンソンが流れている。

札幌のシャンソン愛好家の方々が、「昔よく札幌に来ていた仲代さんのステージは素晴らしかった」と口々に仰っていた。その仲代さんのステージを私も観ることが叶ったのは、2019年のことだった。
銀座「蛙たち」の2ステージ。客席にはシャンソン歌手の井関真人さんがいた。「俺は仲代さんの弟子なんだよ」と話しているのが聞こえた。
仲代さんのステージの2部の冒頭は「俺はコメディアン」だった。その途中、仲代さんは歌詞が出なくなる。一度中断して、再度歌いはじめるも、同じところで歌詞が出ない。
そのとき、客席にいた井関さんが、そのフレーズをひと節歌った。すると、仲代さんは調子を取り戻し、最後まで一気に歌い上げた。その光景はまるで、寄り木をして花を咲かせる梅の古木のように美しかった。私は感動して涙が止まらなくなった。仲代さんと井関さんの師弟の絆の崇高さに、お二人のシャンソン歌手としての歩みと、その信条を垣間見たからである。

その後も私は泣き続けた。仲代さんが明るい「オー・ソレ・ミオ」を歌っても泣いていた。最後の「百万本の薔薇」で少し涙が収まったが、アンコールの「マイウェイ」の「やがて私はこの世を去るだろう」で、再び泣いた。

終演後に、仲代さんが握手してくださった。
「札幌では、仲代さんのステージをみんな語り継いでいます」
とお伝えした。そのときの仲代さんの優しい笑顔はいまだに記憶に残っている。

仲代さんのステージは、私がいままで見たシャンソンのライブで、五本の指に入るものだ。シャンソンは三分間のドラマと言われているが、その歌い手の方々にも美しいドラマがあるのを感じたひとときであった。