シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅳ

薩めぐみは、ジャック・プレヴェールの詩で「戦争と無関心」、ローラン・トポールの詩で「資本主義的幸福の否定と快楽主義」を歌った。
そして彼女は、1984年にサードアルバム『則天去私』(フランス語によるタイトルなし)を発表するが、製作中に「薩自身による詞に曲をつけてみては?」という提案を受ける。そして、彼女は4曲の歌詞を書き下ろす。

それらを紹介する前に、アルバムの全体的な内容を説明したい。
収録曲は全8曲で、薩の歌詞以外のものは、前作のトポール作詞「私の救急車に乗らない?」「私は私を愛する」の新録音が入っている。

また新曲としては、社会学者のジャン・ボードリヤールが薩に捧げた詩「自殺モーテル(Motel suicide)」、文豪ヴィクトリ・ユーゴーの詩に曲をつけた「諸行無常(A ma fille 私の娘、の意)」がある。
ボードリヤールは、それを身につけると「自分らしさ」を得ることができる商品に大金を払うのが現代の消費社会である、と説いた学者だ(大雑把に説明すれば)。「自殺モーテル」では、自殺という自己決定を、商品として扱うモーテルが登場する。たとえ自殺を思い止まっても、前払い制なので取り返しがつかないという、「自分らしさ」すら商品として買えてしまう消費社会への皮肉を歌う。
諸行無常」は、「ひとにはそれぞれ運命がある。みんな幸せになろうとするけど、運命が邪魔をする。でも、そのちっぽけな幸せこそ、人々が本当に欲しいもの」という内容の詩で、生きることの倦怠と希望を歌っている。

では、薩が書き下ろした歌詞について取り上げていきたい。彼女が自身の詩で歌ったのは、「日本人移民である自分が、異端者としてフランスで生きる覚悟」であった。
薩の詩を抜粋して見ていきたい。

「わたしも人の子(Comme tour le mond みんなのように、の意)」
わたしも人の子 みんなと同じ
死体の肉を食べないときは
朝食べるのはクロワッサン
瀕死の記事を読みながら

「すべては愛、残りは誤算(tout est amour すべては愛、の意)」
愛がすべて、あとは誤算
私たちの最後の花火も静かに消えてしまったもの

「宿無し女(Clocharde ホームレス、の意)」
すっかり意気消沈した私はドブに捨ててやったのさ
住所録だのなんやかんや(中略)
愛だよ愛 愛さえあれば貧しくないのさ

「シリコンレディー(Silicone lady)」
私は女のロボットです(中略)
でもこれは、貴方達の子供の歌なのです

「私は人の子」では、「死体の肉を食べる」という異端者が登場する。しかし、それ以外は私はみんなと同じであると主張する。
「すべては愛、残りは誤算」、「宿無し女」は、薩と詩人のウィリアム・クリフとの連名で作詞された。一見、ありきたりな恋愛の歌にみえるが、クリフが同性愛者であり、同性愛に関する詩を発表して文壇から非難された人物であることを知れば、この歌詞が「異端の愛」を歌ったものであるのがわかる。

しかし、日本人である薩の異端者意識が最も表れているのは、「シリコンレディー」である。
この歌詞は物語形式になっている。
女のロボットは美人で頭脳明晰。製作者である博士は嫉妬して、彼女を殺そうとするが返り討ちにあう。その後、財界人たちが彼女の配偶者を作ろうとやっきになる。
こんな話をお信じにはならないでしょう、「でもこれは、貴方達の子供の歌なのです」
という一言で物語を締める。
女のロボットが、人間社会を支配し、しかもそれは未来で生まれてくる自分たちの子供である、とうそぶいているのだ。

さらにこの楽曲には、注目すべき点がある。
この一曲のみ、東京のスタジオでレコーディングされ、編曲者がYMO細野晴臣であることだ。
日本人の薩が書いた、女のロボットが世界を支配する詞を、日本人の細野が当時の流行の最先端であるテクノサウンドで編曲して完成した異端者による楽曲をもって、彼女はフランスの音楽市場に勝負を仕掛けたのである。

この「シリコンレディー」は、「移民には地獄」のフランスにおいて、彼女が日本人として、またシャンソン歌手として生きていくための鎧となった。
アンティークの衣裳に身を包んでテクノを歌う「薩めぐみ」のスタイルは、プレヴェールの過去、トポールの現代性、彼女自身の異端者として生きる覚悟をもって、完成したのである。

次回、最終回。