シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅲ
1979年にジャック・プレヴェールの詩をレコードに吹き込んだ薩めぐみは、日本とフランスで衝撃をもって迎えられた。彼女は、このアルバムを引っ提げて両国でリサイタルを開くが、そのときの衣裳はパリの蚤の市で手に入れた20年代のシャネルのスーツに、アンティークのスパンコールとビーズの飾りをつけたという。
アンティークの衣裳に身を包んで歌うスタイルは、このとき完成したと言ってよい。
プレヴェールの詩の使用を認められた彼女だが、二度と彼の作品で新しい楽曲を発表することはなかった。レコード発売の翌年、彼女の前に新しい詩の世界が拓かれていたからである。
1980年、イラストレーターで劇作家のローラン・トポールが彼女に幾篇かの詩を捧げた。
トポールは、1938年生まれのポーランド系ユダヤ人。第二次世界大戦中は、ナチスドイツから迫害を受け、戦後はイラスト、劇作、小説などで才能を発揮した。97年に死去している。
トポールのイラストは、「ブラックユーモア」と称されている。確かに、作品を見ると暴力性やサディズム、マゾヒズム、エロティシズムに富んでいる。しかし、幼少期の彼がナチスに迫害されたことを思えば、サブカルチャーや戯画で片付けることはできないだろう。
薩は、トポールの詩に曲をつけた楽曲で構成したリサイタルをジェラール・フィリップ劇場で3ヶ月上演した。そしてその楽曲を、セカンドアルバム『Je M’aime(私は私を愛する)』に収録する。
トポールは、薩にどのようなテーマの詩を捧げたのか。日本でトポールの風刺漫画本『マゾヒストたち』を翻訳したフランス文学者、澁澤龍彦の言葉を使うなら、「資本主義的幸福を否定した快楽主義」である。快楽主義、つまりは自身の本能によって快楽と自由を得ることである。
それがどのように詩に表されているのかを、アルバムに収録された詩を断片的に見ながら解いていきたい。
「Monte dans mon ambulance(私の救急車に乗らない?)」
サイレンの音にぞくぞくしながら
担架にゆっくり寝そべって
ブルゴーニュの赤を一杯
ヴァカンスにはこれが一番
居心地満点 私の救急車
「Noir et blanc(黒と白)」
モンパルナスタワーの私のアパルトマンを
すっかり白く塗らせたの(中略)
でも黒いところはちゃんと残るの
足の付け根の真ん中に
「Credit Requiem(クレジットレクイエム)」
アメリカンエキスプレス
あんたは私をほしくないのね(中略)
いずれあんたのカードも火あぶり
死んだカードをふところに
みんな自由な旅に出るのさ
まず「私の救急車に乗らない?」だが、フランスでは救急車は有料だ。それに乗ってヴァカンスに行くという皮肉が込められている。
「黒と白」では、当時フランスで唯一の高層ビル、モンパルナスタワーの黒い外観を白く塗りつぶすことができる財力のある女が登場する。しかし、その陰部は黒々としているというユーモアが効いている。
「クレジットレクイエム」では、資本主義の象徴であるクレジットカードを手放して自由を得ようと訴えている。
このように、トポールは資本主義の幸福を満喫する人々を皮肉っている。では、いかにして「快楽主義」を獲得すればよいのか。それは、アルバムのタイトルにもなった詩「Je m’aime」に記されている。
「私は私を愛する」
私は禁じられた部屋を持っている(中略)
夜が来るとわたしはそこを訪れる
たったひとりで
わたしのなかに潜む欲望と共に(中略)
わたしが愛するのはわたし
愛せるのはわたしだけ
トポールは、自分の内に秘めた欲望と向き合い、それを本能的にいつくしむことで、金では買えない本当の幸福を得ることができる、と説いているのだ。言いかえれば、自分の幸福は資本主義という制度に規定されるべきでないという、彼の主張を知ることができる。
トポールの詩を読むと、救急車でバカンスに行ったり、ビルを塗りつぶしたりなど、ユーモア溢れる世界観である。しかし、そのユーモアのなかに強いメッセージ性が込められているのだ。これは、前回のプレヴェールの詩と同じであろう。
トポールが、シャンソンのために詩を書き下ろすことは異例であり、これもまた薩の人気を上げることに繋がった。日本では、1982年刊行の「ユリイカ シャンソン特集」で、芳賀詔八郎が「ローラン・トポールのシャンソン」という題で、薩のアルバムを紹介している。
なお、このアルバムの曲調は、全体的にクラシックにロックを融合したプログレシブ・ロックのような印象を受けた。前作の落ち着いた曲調とは大きく異なる。
またアルバムにはトポール以外にも、演出家のジャン・ベルナード・モラリーや、俳優のダニエル・ジェゴーも詩を寄せている。
(続きます)