昨日訃報に接した山上悦男さんを、私は舞台照明家として存じ上げていた。
本日、『シャンソンマガジン』編集長の山下直樹さんが、山上さんが生前執筆した寄稿文を投稿され、それを通じて氏の経歴を知るに至った。
高校卒業後に、舞台照明の研究生になり、それ以来は寺山修司の作品や、キャンディーズ、アリスなどのコンサートツアーに関わったそうだ。独立後、34歳のときにシャンソン歌手の深緑夏代さんの事務所の社長、中村富一さんと知り合い、シャンソンの薫陶を受けた。私は、深緑さんの生誕100年の記念に生前のコンサートの動画をYouTubeにアップしたが、そのときの照明が山上さんだったのは、このような関わりがあったからなのか、と納得した。
そして、舞台照明家として日本国内、さらには海外でも活動の場を広げていたそうだ。
山上さんは、2015年からシャンソン歌手が一堂に会するコンサート「るたんフェスティバル」をプロデュースされている。私が、山上さんと知り合ったのも、このコンサートのプログラムに寄稿させていただいたことがきっかけであった。
そして、世界中が恐怖したコロナ禍のなかでも「るたんフェスティバル」は開催されている。
そのときの山上さんの言葉は非常に印象的である。
「世界的な新型コロナ感染拡大は、人が世界中で繋がっているということ。人類の一人としての意識を地球的規模で共有させたのでは。天安門事件から31年、香港の「自由」の危機に涙が溢れます。アメリカでは黒人の死によるデモが止まりません。人間の自由のために歌う。今を生きている喜びと悲しみ、怒りを歌う。芸術を、シャンソンを愛するすべての人に1杯の水を届けたいと思います。」
コロナが世界中の人々が繋がりを確認させた、という文章には、ふたつの意味がある。
ひとつめは、現代の国境を超えたグローバル社会ゆえにウイルスが蔓延したこと、もうひとつは、コロナへの不安や悲しみを世界中の人々が共有したということだ。
さらに山上さんは、香港の反政府抗争、黒人差別の当事者たちに心を寄せる。それは、国、民族、言語は異なれど、人間は感情を共感することによって繋がりあえるという信念である。
そして山上さんにとって、その役目を果たすのが舞台芸術であった。緊急事態宣言にともなう外出禁止、「エンターテイメントは不要不急」などの人々の分断が進んだ時期に、世界中の繋がりを訴えた氏に、私は感服する。
山上さんが、その信念に至ったのは、舞台照明家として、地に足をつけて活躍していたからだろう。世界中の地面に足を踏みしめて仕事をなさっていたゆえに、地球上の境界を超えた繋がりを発見したに違いない。
遠方より常々若輩の私を気にかけてくださった山上さんは、まさに「あしながおじさん」だ。
物語とは異なり、ついぞお会いすることが叶わなかったことは、私にとって大きな後悔である。
原色の光の海を操りし海幸彦の御身に会えず