シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

なかにし礼

昨夜のクリスマスイブは、シャンソニエ「蛙たち」の、ライブ配信を観て過ごした。
自宅にWi-Fiがないため、今まで配信は遠慮していたが、昨日はたまたま出先のWi-Fiを使って観ることができた。

その配信で、トリをつとめた笠原三都恵さんが、珍しいシャンソンを歌った。エディット・ピアフ「ジプシーの恋歌」(Edith Piaf「Le gitan et la fille」)という曲だ。この曲は、日本ではラテンが好きな歌手が好んで歌う印象があるが、シャンソンのライブなどで聴く機会は意外と少ない。
「おや、珍しい曲だ。確かこれは、なかにし礼の訳詞だったはず…」と、ふと思った。

そして今朝、なかにし礼の訃報を聞いた。
歌手に限らず表現者のなかには、その創作物をもって、奇妙な符合を引き当てる者がいる。そして、それを目の当たりにした我々もまた、気づかぬうちにその奇縁の糸を手繰り寄せているのである。

なかにし礼は、御茶ノ水にあったシャンソニエ「ジロー」でアルバイトをしたことがきっかけで、シャンソンにのめり込む。大学の仏文科に入ったこともあり、シャンソンの訳詞を自らするようになり、やがて「銀巴里」の歌手たちのレパートリーを数多く手掛けることとなる。
そんな彼に目をつけたのが、宝塚退団後にフリーのシャンソン歌手として活躍していた深緑夏代だった。なかにしは、深緑のもとで専属の訳詞家となる。宝塚のトップ女優だった深緑らしく、歌詞の言葉選びや登場人物の心情描写などを厳しく教育されたそうだ。このことが、のちに歌謡曲の作詞家として活躍する下地となった。
上記の「ジプシーの恋歌」は、彼が深緑のために書いた訳詞だ。歌詞の内容と、言葉がメロディーに絶妙にマッチした佳曲である。

なかにしが、歌謡曲の作詞家に転身したのは石原裕次郎との出会いがきっかけであった。新婚旅行で泊まったホテルに石原がおり、「シャンソンの訳詞なんかより、自分で作った詞が売れたほうが気持ちいいぜ」と言われたのだという。人生、どこで道が拓けるか分からぬものだ。

なかにしが手掛けた歌謡曲のなかには、シャンソンのフレーズを転用したものが多々あることに気づいた。例えば、奥村チヨ「恋の奴隷」は好例である。

あなたと逢ったその日から
恋の奴隷になりました
あなたの膝にからみつく 小犬のように
(中略)
影のようについてゆくわ
気にしないでね

この詞を読んで、ジャック・ブレル「行かないで」(Jacques Brel「Ne me quitte pas」)を思い出す人は多いだろう。

Laisse-moi devenir
L'ombre de ton ombre
L'ombre de ta main
L'ombre de ton chien

僕を留めておいてくれ
君の影として
君の手の影として
君の飼犬の影として

ちなみに、なかにしは戸川昌子のために「行かないで」の訳詞を手掛けている。しかし、そこには上記の「影」に関するフレーズはない。訳詞は、原語を日本語に翻訳し、さらにそれをメロディーに乗せなければならないことから、原曲の中から取りこぼされてしまうフレーズは自然現れる。

なかにしは、シャンソンの訳詞で取りこぼしたフレーズを、歌謡曲の作詞家として拾っていったのではないだろうか。
ミレーの絵画に「落穂拾い」という作品がある。私には、なかにしと、刈り入れの終わった畑に落ちた麦の穂を拾う農民の姿がダブって見えるのだ。