シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

五十嵐顕男

劇的シャンソン ー訳詞家・五十嵐顕男

最近、五十嵐顕男訳の「愛は君のよう」を歌う機会があった。
アダモの「愛は君のよう」は、日本では真咲美岐の「暗い日々のなかで…」から始まる訳詞が有名だが、五十嵐のは若い男が主人公の原詞からかけ離れた内容になっている。しかし、その内容は日本のシャンソンのイメージそのものの世界観、かつ若い男視点の訳詞があまりないので、気になる作品ではあった。
彼の訳詞作品には、もう一曲よく知られたものがある。「街角のアヴェマリア」だ。水夫たちにとって娼婦たちが港のマリア様、という日本のシャンソンらしい内容である。この曲も原詞とはかけ離れた内容である(もともとはレイ・チャールズに贈られた演奏のみの曲らしい)。
おそらく五十嵐は、曲名だけ見て歌詞を創作したのであろう。彼ほど型破りな訳詞家も珍しいが、その作品は魅力的であり多くの歌手に歌われている。

五十嵐の経歴について調べてみた。
1943年(昭和18年)福島県出身。家は貧しい石材屋だった。小学生のときに学校の先生から「出エジプト記」を聞かされ、キリスト教に興味を持ち、上智大学神学部にすすむ。しかし、徐々にギリシャ正教に惹かれるようになり中退。以来、ホテルマンをしながら演劇を学んでいた。

この頃、五十嵐は堀内環のもとでシャンソンを学び、シャンソニエ「蛙たち」に出演していた。このあたりは佐野加織さんのホームページに詳しい。
おそらくは、上記の訳詞もこの時期にしたものと思われる。曲名から歌詞を創作したのは、演劇の影響があったと見て良いだろう。

76年(昭和51年)にギリシャに渡り、舞台監督として活躍する。
彼のギリシャでの活躍ぶりは、JALの機内誌「Agora」に取り上げられている。それによれば、彼は打ち捨てられた古代ギリシャの劇場の遺跡で演劇公演を行っていた。打ち捨てられているとはいえ、遺跡を使用した公演を行うには毎回役所と衝突を繰り返して、様々な障害を乗り越えて実現させていた。
古代ギリシャにおいて花開いた芸術や文化は、長い年月を経てシルクロードを伝わり、アジアの最東端である日本へとたどり着いた。そして、日本国内で熟成し、現在の日本文化と呼ばれるものになっている。だから決してギリシャにとって異質な文化ではなく、共通性が沢山ある」
という信念のもとで、ギリシャの遺跡で日本の伝統芸能を基調にした内容の公演を催し、日本とギリシャの文化の架け橋として紹介されている。
また、ギリシャ出身の作家・小泉八雲ギリシャで知られていないため、彼の記念館設立にも奔走した。

2014年に五十嵐は帰国、翌年都内の病院で死去した。

シャンソン歌手のなかには今でも彼のことを覚えている人がいて「これからって時にギリシャに行ってしまって…」と回想するのを何度か聞いたことがある。
シャンソンの歴史のなかに埋もれてしまった人々を訪ねるのが、私の役目のような気がしてならない。

ところで、五十嵐の訳詞は上記の2曲しか見つけることができなかった。他にもあるのだろうか。