続・遥かなる友 黒崎昭二
以前紹介した、シャンソンを愛し、地元の秋田県でラジオ番組のDJを長年つとめていた黒崎昭二さん。彼のラジオ番組を録音したテープを、シャンソン歌手の水織ゆみ様より謹呈いただきました。この場を借りて、御礼申し上げます。
今回頂いたテープは、黒崎さんが昭和47年よりNHKラジオFMで担当していた「夕べのひととき」、昭和60年よりFM秋田で担当していた「シャンソンをあなたに」の録音盤。そして黒崎さんが選曲と解説を担当した「思い出のドイツ映画主題歌とウィーン・オペレッタ集」です。
これらのテープを拝聴し、本からは見えてこなかった黒崎さんの番組構成をより深く知ることができました。
それを紹介する前に、「思い出のドイツ映画主題歌とウィーン・オペレッタ集」を取り上げます。実は私は、戦前の映画主題歌はフランスよりもドイツの曲が好きなのです。特に、映画『会議は踊る』の主題歌、リリアン・ハーヴェイ「唯一度だけ」などは、何度聴いても映画のワンシーンが思い浮かびます。『嘆きの天使』の「また恋したの」、『三文オペラ』の「匕首マッキー」を聴けば、映画のワンシーンに加えて、ずっと観てみたかった作品を観ることができた感激も甦ります。
ウィーン・オペレッタ(私は、ウィーンのミュージカル?と解釈しています)、これは私が今まで聴いたことのないジャンルで、オペラみたいなものなのかと身構えて聴きましたが、すごく華やかで思わず踊りたくなるくらい楽しい曲ばかりでした。今度は、映像で観てみたいです。
それでは、黒崎さんのラジオ番組について紹介します。
今回頂いたテープに共通するのは、番組中に二人の歌手による同じ曲の聴き比べを試みている点です。
「夕べのひととき」は、カンツォーネ歌手の村上進さんがゲストで、彼が選んだイタリアの曲を紹介しています。詳細は後述しますが、ここでは、男性作曲家で歌手のルチオ・バッティスティと女性歌手のミーナ(日本では「別離」「砂に消えた涙」が有名)が同じ曲を歌った音源を聴き比べしています。バッティスティが心に訴えかけるように歌うのに対し、ミーナは歌手らしく高らかに歌うのが特徴的と、村上さんは分析しています。
次に「シャンソンをあなたに」では、フランスのオリジナル曲と、それを日本のシャンソン歌手がカバーしたものを聴き比べしています。実は、シャンソンのなかには、フランスの曲を日本の歌手がカバーする際に、曲調やテンポを変えているものが多々あります。その差を紹介しても面白いかもしれませんが、曲調の違いだけがクローズアップされてしまって番組としては軽薄な内容になると思います。これは、個人で調べれば良いことなのです。
その点を黒崎さんはよく理解していて、なるべく原曲に寄せた編曲にしている日本人歌手の音源を選曲しているのが伝わります。この辺に、黒崎さんのセンスが光っていると思いました。
私としては、今まで聴いたことのなかった合掌一朗さん「光知らずに(Sans Voir Le Jour)」(原曲は、エンリコ・マシアス Enrico Macias)を聴けたのが良かったです。合掌さんは関西の重鎮として活躍した方でしたが、歌詞を大切に歌われているのがわかりました。
もうひとつ注目したいのは、村上進さんのことです。村上さんは、素晴らしい歌声で聴き手を魅了し、40代の若さで夭逝された日本を代表するカンツォーネ歌手です。
村上さんのレコードは残っていますが、彼の音楽観のようなものを語った資料はほとんどなく、私自身このテープを通じて村上さんのことをさらに知ることができたように思いました。
番組は、村上さんが選んだカンツォーネを、彼の解説とともに紹介するという構成です。村上さんが選んだのは、前述のミーナとルチオ・バッティスティ、そして女性歌手のオルネラ・ヴァノーニ(日本では「逢引き」「命をかけて」が知られる)でした。村上さん曰く、ミーナは庶民に愛され、ヴァノーニはインテリに愛された歌手だそうです。
彼女たちの楽曲を聴くと、完全にロックやニューミュージックの影響を受けているのが分かります。ところで、フランスのシャンソンがロック化し、所謂「フレンチポップ」となったとき、日本のシャンソン愛好家たちは「フランスのシャンソンは終わった」と言って断罪し、これが日本のシャンソンが下火になった要因のひとつとなります。
しかし、村上さんはロック化したカンツォーネを受け止めて、自分のなかで咀嚼しました。それによって彼は、唯一無二の世界観を築く歌い手として屹立したのだと思います。そして村上さんのファンは、彼が出演していたシャンソニエ「銀巴里」の客を中心に広がっていきました。ロック化したシャンソンに抵抗感を示した人たちが、ロック化したカンツォーネに惹かれていったのですから、これは音楽のジャンルを越えた村上さんの非凡な才能を表しています。
現に、番組で紹介された楽曲を聴くうち、いつの間にか頭のなかで村上さんの声で再生されています。村上さんならこう歌うだろうというのが、自然と分かるのです。そのくらい彼は、原曲に対する研究とリスペクトをしていたのではないかと思います。
そんな村上さんに対し、黒崎さんの反応は意外にも冷たいです。
「銀巴里ではカンツォーネを聴く人は一握りですよね」
「村上さんの出演日に、銀巴里に行列ができるといいですね」
「カンツォーネは、高級というか一般受けしませんよね」
時代のコンプライアンスの差とはいえ、はっきり言ってゲストに対し無礼千万です。
ですが、村上さんはあえて否定もせず、さらりと受け流します。
そして、
「僕はいい年寄りになりたいんですよ」
と言います。
つまり、人生経験や知性を深めた高齢者になるために、あえて「高級というか一般受けしない」曲を歌っている、と言うのです。
無論、前述のように村上さんが高級な曲を歌っているという解釈は見当違いです。彼があえて否定したりしないのは、きちんと自分の力でレパートリーを開拓したという自負と余裕の現れだと思いました。
番組の最後に、収録に同席していた村上さんのファンから、村上さんの出演日には「銀巴里」に行列ができるのを耳打ちされ、黒崎さんは謝罪します。上から目線で人を見て、実際に恥をかいたのはどちらなのか、という話です。
黒崎さんの番組には、シャンソンをはじめとするヨーロッパの音楽への思い入れが詰まっているのが如実に伝わりました。ところで、今回のテープを聴きながら、昨日取り上げた「コロナでシャンソンが存亡危機」の記事を読みました。シャンソンが失くなるということは、黒崎さんはじめシャンソンを愛した人たちの想いも失われてしまうということです。それは何としても避けなければというのが、私の思いです。