シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

直村慶子

訳詞家・直村慶子と俳句

日本のシャンソン歌手はイタリアの流行歌・カンツォーネをレパートリーにする人が多い。その理由は諸説があるが、昭和20、30年代の音大出身のシャンソン歌手が学校でイタリア歌曲を学んでいたため、比較的イタリア語に長けていたからだろう。日本にカンツォーネがもたらされた時に、名乗りを上げたのが音大出身の芦野宏であった。芦野がシャンソンカンツォーネをレパートリーにし、レコードを出すことで、これらの両刀使いが定着したと私は推測する。
とはいえ、シャンソン歌手の石井好子音楽事務所には設立当時から、戸山英二をはじめとするカンツォーネ歌手が在籍していたので、日本におけるカンツォーネの黎明についてはまだ調査せねばならない。

ところで、かつてカンツォーネの訳詞家に直村慶子という人がいた。
彼女は埼玉県浦和出身。カンツォーネに興味を持ち、村上進(彼もシャンソンカンツォーネの両刀使いだった)に師事する。86年、四谷に村上と連名でライブハウス「ウナ・カンツォーネ」を開店する。また、村上のレパートリーのために、カンツォーネの訳詞を行い、多くの曲を残した。また、村上以外の歌手にも訳詞をしており、大木康子がレパートリーにしていたシャルル・アズナブールシャンソン「愛のために死す(Mourir d’aimer)」はよく知られている。
2000年、没。

私の手元にある直村に関する資料はとても少ないが、彼女の訳詞の根底には、俳句を嗜んでいた経験があったようだ。直村の訳詞のなかに、俳句の要素がどのように生かされているのかを見ていきたい。
注目したいのは、彼女の訳詞のなかに叙情的な風景描写が挿入されていることだ。

夏の輝く光のなかに 静かにひまわりは風に揺れる
(ひまわり)

窓辺を染める夕暮れが あなたの椅子に届く頃
私はいつでも背に持たれて あなたを思う
(愛遥かに)

足にまつわり ただよう霧の向こうに
走り去って行く あの日のあなたの後ろ姿
(失われた月日)

夏の光がひまわり、夕陽が椅子、霧が足、をクローズアップように、自然現象が人や物を照らし出すのは、俳句における自然詠である。直村の訳詞における俳句の影響は、こうした手法から見ることができる。

しかし、直村の訳詞の真価はこの俳句の手法を脱却した先にあると、私は考える。それが如実に表れているのが、村上進のレパートリー「6時が鳴る時、私はブエノスアイレスで死ぬだろう」だ。

聞こえる死の足音 
最後に飲むウイスキー グラスの縁から
彼らは歌いながら 私を迎えに来る
死への憧れは 偽りの愛より深い

恐るべき「死」を、童話の無邪気な小人たちのように描いたこの訳詞は、直村の作品のなかでも異質であり、最も良くできている。
そして、この曲を四十半ばで闘病し死去した村上が歌ったことも詞の世界を深めた。不気味な童話のような歌詞をまるで玩具を手遊びするように歌われているのを聴くと、訳詞家と歌手が危険な綱渡りをしているように思えて薄ら寒くなる。

「6時が鳴る時、私はブエノスアイレスで死ぬだろう」は、村上がタンゴの巨匠・アストル・ピアソラの作品を自身のレパートリーにして作品群のなかの一曲だが、今にしてみれば、これらをもって彼は引導を渡されたといっても過言ではないだろう。訳詞家として専属歌手の生涯に寄り添うのは冥利だろうが、それ以上に残酷である。

ところで、直村は歌手としてもステージに立っていたようだ。彼女の歌声による訳詞も聴いてみたいところである。