シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

森繁久彌

森繁久彌のアルバムを手に入れた。「詩の旅路」というLP二枚組である。
「春夏秋冬」をテーマに、叙情歌、戦時歌謡、寮歌、オリジナル曲を収めている。とはいえ、単純に「春なら春の歌」というわけではなく、「人生の春だった幼少期」「人生の夏だった青春期」という風に、それぞれの時期に森繁が愛唱した歌を配しており、森繁の人なりが見える構成だ。

ところで、森繁は昭和30年代頃にシャンソン歌手として紹介されていた。調べてみると、森繁の代表曲「銀座の雀」の作詞者・野上彰が関係していた。野上は、囲碁の指導者として知られているが、シャンソンに精通しており、訳詞やシャンソンを意識した自作の詩を発表した。
森繁は、野上が脚本を担当したNHKラジオの「愉快な仲間」という番組を通じて深交を結ぶ。「銀座の雀」は二人が居酒屋で飲んでいる際に、野上が酔興で部屋の壁に殴り書きした即興詩に曲がついたものだった。この曲のヒットで森繁は芸能人として大成していった。
また野上は、当時関東を中心に活動していたシャンソンの愛好会「東京シャンソン協会」の会長だったことから、協会主催のイベントに森繁を出演させる。そこで森繁は野上の詩を歌ったり朗読したことで「庶民の哀歓をじかに歌に盛り込み歌い上げるという点で、真のシャンソン歌手」(浅野信二郎・安倍寧「日本シャンソン界の展望」)と評された。これを見ると、森繁はフランスのシャンソンをうたう歌手というより、シャンソンの影響を受けて作られた日本の曲をうたう歌手として評価されていたのがわかる。

それは、このアルバムからも見てとれる。このレコード各面冒頭には、森繁自作の詩の朗読が入っているが、そのバックでピアノ演奏をしているのが松井八郎である点は特筆すべきである。松井は、ジャズピアニストでありながら、シャンソンの影響を受けた曲を沢山作り、芦野宏や橘かおるなどのシャンソン歌手にそれを提供している。また、越路吹雪の初期専属ピアニストでもあった。そんな松井が森繁の詩の朗読に合わせて、その世界を音で表現する。これはまさに、日本のシャンソンを意識した構成だといえる。
森繁といえば、俳優・歌手だけでなく「日曜名作座」などの名人芸ともいえる朗読でも知られるが、彼のなかにシャンソンへのリスペクトがあったことは今後注目しなければならないだろう。

「銀座の雀」は銀巴里では、くどうべんが歌っていたが、このアルバムに収めている「銀座の雀」を聴くと森繁の歌にはまた違う味がある。地面が未舗装で通りに柳が生えていた戦後間もない私の知らない銀座の風景が描かれたこの歌は、そこで生きた男たちの凱歌だったといえるだろう。