シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

くどうべん

「家出少年のシャンソン くどうべん補稿」

昭和30年代に発売されたエンゼルレコードのソノシートには、工藤勉「パリ祭」(くどうべんは、昭和40年頃まで漢字表記、工藤勉だった)が収録されている。
工藤は、国立音楽学校を卒業後、昭和31年にシャンソン歌手としてデビューしている。ゆえにその当時の歌声であるといっても良いものだが、これを聴いてみると彼のトレードマークである津軽方言は影を潜め、いかにも音楽学校出身のあまり個性のない歌声だったことがわかる。同時期に活躍していた宇井あきらや山本四郎のほうが、はるかに聴くに値する。

工藤は、なぜ津軽方言を自身のシャンソンに取り入れるようになったのだろうか。私のなかで、疑問が膨れ上がっていった。
私が注目したのは、彼がシャンソン歌手としてデビュー当時、新劇の俳優や声優をしていたことがあるという経歴であった。さらに調べてみると、工藤は寺山修司作品に多数出演しているのが分かった。寺山が脚本を書いた東北を舞台にした作品で、工藤は津軽方言で台詞を言っていたのである。

寺山脚本のラジオドラマで、工藤が出演した音源がCD化している。昭和38年に北海道で放送された「犬神歩き」という青森の寒村を舞台にした30分ドラマだ。
工藤は主人公の祖父の役で、彼のレパートリーであったシャンソン「陽コ当ダネ村」を彷彿とさせる津軽方言で朗々と台詞をまわしている。工藤のシャンソンに織り混ぜられる津軽方言詩の朗読は、俳優としての才に裏打ちされたものだったのだ。

さらに注目すべきは、工藤が寺山主催の劇団「天井桟敷」の旗揚げ公演「青森県のせむし男」に出演していることである。この作品は、シャンソン歌手の美輪明宏がアングラ劇で鮮烈なデビューを飾ったことで有名だが、寺山はシャンソン界から工藤も起用したのである。工藤の役は「松葉杖(白い花)」であり、劇の冒頭の狂言回しだった。工藤の津軽方言の台詞が、劇の第一幕でどのように放たれたのか、気になるところである。
ちなみに工藤は、美輪同様にゲスト枠出演で、天井桟敷の劇団員にはならなかったと思われる。

寺山の随筆「家出のすすめ」には次のような文章がある。
「家出主義…新しい自我の目覚めが、閉鎖的なふるさと社会を超えるのに何よりも大切ーーそして詩とは本来、そんな行動のあとのこころのこりを潤すもの」
この文章に従えば、ふるさとを捨てて東京で津軽訛りでシャンソンを歌う工藤は、寺山にとって理想的な「家出少年」であったといえる。
また、工藤もまた寺山という存在に刺激を受けて、自分らしいシャンソンを模索したのと思われる。