シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

柴田睦陸 由利あけみ

琥珀の虫が羽ばたくとき」

先日、珍しいレコードを手に入れた

A面 柴田睦陸「ラ・クンパルシータ」
B面 由利あけみ「シボネー」
演奏 櫻井潔と其の楽団
(昭和14年 ビクターレコード)

声楽家が歌うタンゴとラテンのレコードである
「ラ・クンパルシータ」は前の持ち主が聴き込んだようで盤がすり減っていたが、何回かリピートしてようやく聴き取ることができた

柴田睦陸は、大正12年に岡山で生まれた
昭和10年東京音楽学校在学中にポピュラー歌手としてデビューした
戦後は声楽家として、二期会の創設に関わった
ちなみに、昭和30年の「第六回紅白歌合戦」に、「ラ・クンパルシータ」で出場している
昭和63年、病没

由利あけみは、大正2年に広島で生まれた
東京音楽学校卒業後、昭和11年にポピュラー歌手としてデビューする
デビュー当時はアルトで歌っており、「東洋のダミア」と称されたそうだが、実際は幅広い音域で作品を発表している
当時人気だった淡谷のり子に対抗するため、ブルース調の曲を高いキーで歌っている
この「シボネー」も、キーが高めで淡谷を想起させる歌い方であった
昭和14年に「長崎物語」がヒットし人気を得るが、後年、結婚を機に歌手を引退する
ちなみに数年前に発売されたCD「日本シャンソンの歴史」には、由利の「人の気も知らないで」が収録されていた

柴田と由利が歌う外国のポピュラーソングを聴くのは初めてで、その質の高さに驚かされる
声楽を学んでいたから、という理由だけでなく、自分の歌い方をよく理解して、ポピュラーソングを我が物にしている印象がある
しかしながら、東京音楽学校に通いながらポピュラー歌手に転向するのは、当時かなり大変なことだったのではないだろうか
例えば、淡谷のり子東京音楽学校を首席で卒業するも、ポピュラー歌手になったため除籍されてしまった。
声楽を学んだ者が平民の俗曲(ポピュラーソング)を歌うのは卑しいこととされ、特に東京音楽学校はその風潮が強かったそうだ
柴田や由利の頃は、こうした風潮は緩くなっていたのだろうか
だが、私は声楽からポピュラーに転向した当時の歌手たちが、琥珀の中から羽ばたいた蝶に見える
美しい殻に閉じ籠る日々を棄てて、外の世界に脱出して羽ばたこうとする蝶は力強い
今なお、彼らのポピュラーソングが色褪せないのは、逆境のなかで自分の歌を模索し探求した成果なのである

ちなみに、この2曲を演奏している櫻井潔は日本にタンゴを普及させた草分け的な存在で、当時ブームだったダンスホールで演奏していた
バイオリンを弾いて楽団を率いるのは、バルナバス・フォン・ゲッツィの影響だろうか
興味深い人物である
また、「ラ・クンパルシータ」は原一介、「シボネー」は佐伯孝夫が訳詞しているが、いずれも意訳、創作であるらしい

画像は、「ラ・クンパルシータ」、「シボネー」のレコード、ジャケットに印刷された柴田睦陸の肖像