昭和31年の雑誌「美術手帖」には、シャンソン評論家の蘆原英了による「シャンソンと画家たち」が連載されている。
内容は、ロートレックが描いたイヴェット・ギルベール、アリスティード・ブリュアンの肖像画、さらにはシャンソンの楽譜の表紙を描いた画家を取り上げている。しかしながら、現在では周知されている内容なので、新鮮味はなかった。
唯一面白かったのは、この年にフランスの大きな画家のグループが「肖像画の復権」というテ展覧会を開き、イヴ・モンタンやジュリエット・グレコ、ジジ・ジャンメールなどの歌手の肖像画を製作して展示し、莫大な利益を得たという記事だ。いまではポートレートに取って変わられたが、肖像画にメディアとしての価値があった時代が偲ばれる。
ところで、肖像画を描かれた日本のシャンソン歌手はいるのだろうか、と私は考えた。
思い出すのは、越路吹雪である。
日本の一流の画家たちが手掛けた越路の肖像画は、音楽雑誌やコンサートのプログラムにたびたび掲載されていた。それは現在、CDボックス「越路吹雪のすべて」のジャケットで確認できる。
中原淳一、宮本三郎、小倉遊亀、猪熊弦一郎、高野二三男、宇野亜喜良
が描いた越路像がジャケットを彩っている。
こうして見ると、宝塚歌劇団の男役をつとめた人らしく、写真映えならぬ、絵映え(?)が冴えている。
この中で、一番注目したいのは女性日本画家の小倉遊亀の作品である。なぜなら、この肖像画のみが唯一、芸術作品として製作されたからだ。
現に、寝そべっている越路像には「コーちゃんの休日」座っている越路像には「憩う」という題がついている。
小倉は、昭和35年の第45回院展への出品作として越路の肖像画を手掛けることを思いつき、越路にモデルの依頼をした。小倉が描いたのは、ステージでの越路ではなく、プライベート姿の越路であった。浴衣にへこ帯姿の越路が、リラックスした様子が描写されている。
しかしながら、越路の目は金色に塗られている。これは、能楽の能面に見られる泥眼(でいがん)という手法で、鬼などの人間ではないキャラクターを表すときに用いられる。
つまり、小倉は越路に泥眼を施すことで、プライベートでくつろぐなかにも鋭く光る、越路のスター性を表現したのだ。それを読み取ると、背景の朱も相まって、絵画の凄みが増してくる。
だが越路の肖像画は、小倉のも含めて、ロートレックが描いた「赤いマフラーのブリュアン」のような、彼女のイコン(聖人像)にはならなかった。
越路は、写真の人である。イヴ・サンローランやニナリッチの衣装に身を包んでリサイタルに臨む、華やかさとパワフルさを、肖像画で表した人はついぞいなかった。
それは同時に、戦後の芸能が絵画では描ききれぬほど、機敏な速度で展開するようになったことを表している。
11月7日は越路吹雪の命日。